スイミング・プール

Swimming Pool
スイミング・プール
公開年:
2003
製作国:
監督:
製作:
脚本:
音楽:
主演:
出演:
  • チャールズ・ダンス
  • ジャン=マリー・ラムール
  • マルク・ファヨール
  • ミレイユ・モセ

フランソワ・オゾン監督のことを「映画技法の百貨店や〜」などとふざけて言ってますが2003年の「スイミング・プール」なんかはまさにそういうのが実感できる作風です。やや行き詰まり気味の女流作家サラ(シャーロット・ランプリング)が出版社社長の持ち物である南仏の別荘を使わせてもらうことになり落ち着いて執筆活動をしようととした矢先に現れる社長の娘、奔放なジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)です。

スイミング・プール

この映画を観たときの驚きようったらなかったですね。まったく想像もしていなかったまさかの展開に慌てふためきます。内容そのものというより、フランソワ・オゾンがこのような作風の映画を作るなんて思いもしていなかったからなんですよ。他の一癖も二癖もありそうな怪しい監督(怪しい監督って誰だよ)の作品だったらそれなりの腹づもりとかしていましょうが、これ観たときはまだフランソワ・オゾンがここまでの映画技法百貨店と思っていなかったんですね。いろんな作風を繰り出すとは思っていましたが、こっち系のこれ系にまで来てるとはね、全然知りませんでした。油断してました。驚きました。

そして予想だにしていなかった分、たぶん滅法楽しめたんですよ。知らずに映画を観るのはほんとラッキーなことです。

で、あまりのぶっ飛びぶりに、ストーリーの解釈やパズル的楽しみより先に「Rickyといい8人の女たちといいまぼろしといい5×2といいあれといいこれといい、よーく思い出してみたらこの監督の作品っていつも完全にジャンルを飛び越えてぶっ飛んでいる作風ばかりやないか。これではまるで表現技法の百貨店やがな」と、はっきりくっきり認識したんです。

あとから追っかけていてこの感想ですから、リアルタイムで観てきたファンはほんとに毎回驚かされ楽しめたろうなと思います。

「スイミング・プール」は2003年の作品です。ややスランプ気味の女流作家サラをシャーロット・ランプリングが演じます。「まぼろし」も凄かったけどこっちも凄いです。作家としても女としてもちょっとくたびれてきたことによる葛藤というか心境をよーく表現されています。

南仏の社長の別荘を借りて、優雅にくつろぎつつ執筆活動に専念しようとしていた矢先、ドタバタと登場するはち切れんばかりの若い女性、社長の娘ジュリーです。サラの劣等感を刺激しイライラ神経をつんつん突きまくります。若くぴちぴちで性に奔放です。サラは最初は放っておこうとしますがもう気になって気になって仕方ありません。イラつくしムカつくし、しかもイラついてムカついているのがこっちだけというのがさらに腹立つじゃありませんか。サラは創作活動どころではなくなるほどイラつくんですが、ふと想像力をこの娘に向け、ジュリーの小説を書き始めるんですね。

後の「危険なプロット」に通じる、劇中小説です。目の前の娘をモデルにサラが書く小説を映画で表現し始めます。虚と実・・じゃなくて虚と虚の交わりが起こり始めますよ。虚構と虚構、虚構の中の虚構、想像の産物、事実の描写、事実ってどこよ。みたいな。超虚構の実験的作風が徐々にもたげ始めます。

くたびれた女流作家と若い娘の対比を軸に、性的な葛藤など心理的なドラマが展開する映画であると思い込んでいたものですから、虚と虚の交わり展開に身を乗り出すことになりました。そしてそんなところにとどまらず、まださらに驚かされる展開が後半に待ち受けます。「えっ」とのけぞります。そしてまだあります。その後もっと酷いことになります。どうなるかは秘密ですが、大抵のひとがもうこの映画について知っているかもしれませんね。ああいう展開になるわけですが、でも知らぬ人にとっては大事な大事な面白展開の秘密です。ネタバレはいけません。Rickyだってあの展開を知らずに観る人だってまだまだおります。何年前の映画だろうが初めて見る人にとっては新作と同じです。ネタバレに注意しましょう。

というわけでネタバレを避ける場合、ご紹介はこれでお仕舞いにしておきます。
最近の筆者の傾向では「ではネタバレしつつ解釈は次のページで」と言うこともあるのですが、今回はそれもパス。観た直後ならあれこれあれこれ、多方向に検討するのは楽しい作業だしのめり込みそうですが、そんな気力はもうないのでやめておきます。
解釈ごっこに熱が入らないもう一つ理由があるのですね。この技法による作品、確かに解釈をしたりあーだこーだと可能性を探るのはとても楽しい作業ですが、やっぱりその、映画の芯の部分ではそういう難解さを本質に置いていないことが明白であるためですね。技法的には確かに凝りまくった複合パズルみたいな作風ですが、やっぱり最後はこころ的なものに収束するわけです。そういう意味では真面目な映画(真面目な映画という言い方もどうかと思うが)である「まぼろし」とかと、大きくは違わないのじゃないかなと思えまして。

こうして観てから時間が経って軽く反芻しても、ややこしいミステリー要素よりも、シャーロットの表情とか、最後のあの顔とかですね、あの洋服とか、それから若いピチピチギャルの肢体とか、それはスケベ心だから別か、まあ、あの、何にしろそういう方向でぐっときている部分が印象に強く残ってるわけです。

でも観た直後はたいへんでした。解釈ごっこに明け暮れ、ミステリーの謎解きに一晩語り明かした熱い思い出もたっぷりあります。ジャンルを超えたいろんな方向、いろんなテーマで堪能できる濃密な一本、「スイミング・プール」は覚悟してどうぞ。
フランソワ・オゾン天才。

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