ラスト・エクソシズム2 悪魔の寵愛

The Last Exorcism Part II
「ラスト・エクソシズム」の続編、パート2です。近頃この手のパート2が立て続けに出ております。さてこの「ラスト・エクソシズム2」は完全に前作の続きです。ですが映画のテイストは全く異なります。なかなか挑戦的なパート2です。
ラスト・エクソシズム2 悪魔の寵愛

パート2です。何のって「ラスト・エクソシズム」ですがな。あれも面白かったですね。POVってところは新鮮味ないにしても、狂気か悪魔か何なのかってところを描く本編部分が丁寧でよろしかったです。でもってオチ近くはテイストを変えてドババーっと派手にやらかすという、そういう作品でした。
パート2は監督が変更になりましたが、話は前作の続きです。前作の少女が森から逃れて街にやってきます。話は続いていますが、何と作風が全く異なるんですね。これがまず特徴かと思います。前作と同じノリは微塵もありません。挑戦的に作風を変えたことに対する感想は「よくやった。とてもいい感じ」です。

監督はエド・ガス=ドネリーという方です。どうせ知らない人だろうと思っていたらなんとなんと怪作「スモールタウン マーダー ソングズ」の監督ですがな!これは驚いた。この映画観ていろいろ思うところがあったんですが、知って納得見て合点です。

さて前作とどういうところが違うかというと、まずはPOVではありません。まあこれはどうでもよろしいです。で、森から逃れた少女が少女専門福祉施設でお世話になり、前作で体験したカルト宗教での恐ろしい体験を「幻」ということにして、これを克服していきましょう、と、そういう展開です。もちろん幻ではありませんでしたので、物語の節々に悪魔的な恐ろしいことが起きるのですが、そのほとんどのシーンが「びっくりさせる」方式です。わりと単純なこけおどし的なホラーシーンなわけですが、それはそれでびっくりするので随分楽しめます。何ら否定するものではありません。ですがこの映画の魅力はそんな部分でもないのです。

挑戦的な作風というのは、前作と全く異なるテイストのパート2に仕上げたことでして、その作風自体が挑戦的という意味です。どういうことか。こういうことです。

えーと、ホラー映画なんかのパート2っていうのは大まかに二通りのパターンがあります。一つは完全無欠のパート2で、パート1が受けたわけですから同じテイストの同じような面白さを作ります。作品によってパワーアップしたりパワーダウンしたり様々ですが、まずは順当なパート2っていう、そういうのがひとつですね。
もう一つホラーのパート2で特徴的なのは「セルフパロディ化して笑いに走る」というパート2です。これは私の記憶では「死霊のはらわた」のパート2が最初です。薄ら記憶ですので正しいかどうかは知りません。テイストをがらりと変えて、より大袈裟にやったりギャグに走るわけですが、このパターン、「死霊のはらわた2」以降、多くの例があるかと思います。「ピラニア3D」と「ピラニア リターンズ」なんかまさにピタリの例ですね。「REC3」みたいにパート2は順当で、パート3でいきなりギャグをやったりするパターンもあるし、「フィースト」みたいに最初から馬鹿らしい映画の馬鹿っぽさをさらに発展させたりするパターンもあります。いろいろありますが、ギャグ化するパート2、これは割と好きなパターンでよく見かけます。

ということをホラーを見る度に薄ぼんやり考えておりましたら、ひとつの考えが浮かびましてね、それはこうです。
「パート2でがらりと変えてコメディ化するのは面白い。でもそれ以外の作風に挑戦している映画があるかな? やってみればいいのに」
それ以外の作風とは何でしょう。例えばの話、ホラーがSFになったとか、そういう程度の話ではないんです。怖い話が面白い話になるくらいの変化とは、娯楽ホラーがリアリズム系になったり青春映画風になったり文芸映画風になったり、そういう意味です。

はい。日々薄らぼんやりと考えていたそういうアイデアがこの「ラスト・エクソシズム2」でひとつ具現化したのであります。
挑戦的な作風とはズバリ「少女小説映画のような佇まいの作風」であります。そうなんです。この映画、本編中の雰囲気や佇まいが青春映画的、少女小説的なんです。
でもって、そこがとても良いんですよ。
もともと恐怖モノというのは少女小説と相性がよろしくてですね、日本のホラー漫画なんてものも最初は少女漫画からスタートしました。このテイストを映画でやると、ややリアリズムよりで地味なテイストを伴った文芸的作風、すなわち少女小説的映画の作風となるのでして、いわゆるサンダンス系とかインディーズ系とか、あるいは昔ながらの丁寧なドラマ系という、そっち方面のテイストに近づきます。

「ラスト・エクソシズム2」はまさしくそのテイスト、怖いとか悪魔とか以前に、画面の切り取りや少女の仕草などがそこはかとなく少女小説的映画なのであります。これは今までありそうであまりなかったパート2の変更で、挑戦的です。何が挑戦的か、それは前作「ラスト・エクソシズム」の作風を好むような客層が少女小説的テイストを好むとはなかなか考えにくいからです。ホラーとギャグは相性良くても娯楽ホラーと少女小説は相容れない可能性が高いんです。興行的に不安になるに決まってます。ですが私も映画部の奥様もたいそう気に入ったので、気に入る客層も確実にあります。

というところでカナダ出身の監督のエド・ガス=ドネリーの強引な手腕です。「スモールタウン マーダー ソングズ」しか知りませんのでどうのこうの言うわけにはいきませんけれど、「ラスト・エクソシズム2」を気に入ったがために、改めて「スモールタウン マーダー ソングズ」の魅力に気づいたというオチまでつきました。
正直、あれ観たときは「なんか意味わからんし」とか思ってしまいましたが、今にして思えばあの意味のわからない地味さこそが「スモールタウン マーダー ソングズ」の魅力であったわけですよ。そのテイストは「ラスト・エクソシズム2」の妙な地味さに通じます。この魅力に当時気づかなかったあたしのばかばかばか。っていうか。

この映画の脚本か監督、きっと女流に違いないと変な確信を持ってしまいましたが女優監督ではありませんでした。原案と脚本のデイミアン・チャゼルも若いお兄ちゃんです。
この二人、男ですがきっと心は女性に違いありません。でないとあんな乙女心の映画を作れるわけがありません。そしてそれ見て乙女心を突き動かされて映画を気に入るようなやつも心が女性なのに違いありません。つまり、私はむさ苦しい髭のおっさんですが実はフランス女優だったということがこうして白日の下に晒されたわけなのです。

馬鹿な話は置いといて、主人公少女を演じたアシュリー・ベルは前作の子供っぽさがすっかり抜け落ち、ちょっとやつれ顔が気の毒な気配もありました。若いのに皮膚薄そうで心配になりますがそのような心配など無用ですね。

施設のお友達でモモみたいな可愛らしい子が登場しますがどこかで会ったことあるなあどこで会ったかなあと思っていたら「マーサ、あるいはマーシー・メイ」で見たジュリア・ガーナーでした。

内容に全く踏み込まない感想文で失礼しました。前作が好きで本作が嫌いな乙女心皆無の男の子たちがきっとたくさんいて、口々に罵ったり貶しているに違いないと妙な確信を持ちつつこっちとしては面白かったなー、面白かったなーと、大満足の一本でした。

おっと追記しますけど、少女小説的ホラーと言えば「エクソシズム」や「ビザンチウム」がありますね。してみると、少女的文芸技法によるホラーっていうもの自体は、すでに実践されていてこれこそ流行の最先端とも言えるかもしれません。世の中の流れ的にはこういう技法を許容する下地はすでに十分にあるということですね。パート2での挑戦と最先端の技法、さすが製作者の面々は十分いろいろと判っておられます。

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