カランジル

Carandiru
ブラジル、サンパウロのカランジル刑務所(サンパウロ刑務所)で1992年に起きた虐殺事件を描いた実話ベースの物語です。虐殺事件を描きますが、本編の中心は刑務所内の医師が面談する囚人たち個々のお話です。開放的でこれがかなり最高。超面白い。絶品。人生に必要な一本。ヘクトール・バベンコ2003年の作品。
カランジル

カランジルのサンパウロ刑務所は収容能力4000人という南米最大の刑務所で、事件発生の頃はここに7500人が詰め込まれていたというのですからたいへんです。刑務所内は巨大コロニー、囚人たちは高密度の暮らしの中で協調を会得し、緊張感と開放感を両立させたような生き方をしております。

医師と囚人たち

この刑務所にやってくるエイズ検査の医師です。医師はひとりひとり囚人と面談し、興味津々で「君はどうしてここに入ったの?ここではどんな暮らししてるの?」とインタビューします。この医師、なんか好奇心旺盛で温かい人で、囚人たちに心底興味を持っているのが伝わります。にこにこして話を聞く姿には人間に対する愛情に満ちておりますよ。この演技、演出の細やかなこと。

インタビューされた囚人は嬉々として武勇伝や事情を語ります。この囚人たちの語る事情と、彼らの刑務所での出来事が映画の本編です。ラテン気質全開で語られる「わしはこうして刑務所に入った」物語は、それはそれは一つずつが面白くて楽しくて(辛いのもあるけど)、インタビューする医師と同様、こちらもにこにこしつつ前のめりで話に聞き入ります。
冒頭では「ただのたくさんいるむさ苦しい男たち」にすぎない囚人たちですが、映画の進行と共にひとりひとりが輝き出します。

そうです、この映画は単なるセンセーショナルな映画ではなくて、刑務所内の人々を描く博愛に満ちた映画でもあります。

開放的な刑務所と人間らしい囚人たち、映画を見ている間中「日本から脱出して今すぐここで暮らしたい」と渇望します。刑務所内や囚人に限らず、囚人の語りに出てくる朽ち果てた街や小汚い裏通りも、すべて私の目には極楽に見えます。「ここには人間が人間らしく住んでいる」と、泣けてくるほど愛おしい思いが募りましてたいへんでした。

医師にしろ囚人たちにしろ、実のところ単なる愛情やヒューマニズムでほがらかにやっているのではありません。生きるための知恵であり、死なないための防御でもあります。高密度に詰め込まれた悪党どもですから、根底には一触即発の緊張感がただよっているのは確かです。集団生活する上での生物的な知恵が協調や自発的ルールとなって現れているということですね。

それでも映画では徹底して人間味を描き倒します。意図してそうしているのは明らかです。悪党ですが人間味もあります。悪いやつなんだけど面白かったりします。

この映画は日本で公開されておらずDVDで観るしかないんですが、特典が充実していまして、未収録シーンを観ることが出来ます。
採用せずカットしたシーンのいくつかは「これをカットしたのか、惜しいなあ」って思いつつも、納得もできたりします。囚人たちを「うわ。怖い」って思うようなシーンをひとつ切っているんですよね。
やや情緒的なシーンも削っています。気球が飛んでいくとても美しいシーンを惜しげもなくカットするのは、このシーンの持つ情緒性が映画のトーンと合わないと判断したのでしょう。
しかしせっかく撮った良いシーンをバッサリやるその勇気に感心しますよね。私なら作ったものは無駄なく全部使っちゃえとか思ってしまいます。

さて映画には原作があります。狂言回しの役割でもあるインタビューする医師が刑務所での体験を元に本を出していまして、それが原作とのことです。この原作も実録ドキュメンタリーではなくて、囚人の人権を尊重して個人が特定されないようにエピソードを紡いだものだそうです。
映画ではヘクトール・バベンコ監督が原作本を元に脚本を作りましたが、その際にもやはりエピソードと個人との関係など、大きく変えているとのこと。
脚本は3年かけて練り上げたそうでして、隙のない見事な台本にその威力が溢れています。

刑務所広報

DVDの付録には資料映像も収録されていて、ひとつは1920年代の「刑務所広報」みたいな短編です。
この刑務所が如何に囚人の人権を尊重し社会復帰を助けているかということを知らせています。読み書きやデッサンを習ったり体操したり図書室で調べ物をしたり楽器を練習したりしています。
別の映画でこういった広報映画の撮影シーンを見たことがあります。
実際は違うのに撮影の時だけ人権と文化を大事にしている素敵な刑務所です、って演技をするんですよ。何の映画のシーンだったかな。

そう、こうした広報は大抵嘘でしょう。それはわかっていますが、もっと重要なことがあります。
例え嘘であっても広報で「人権を尊重し、文化的な知識と教養を得るシステムが機能している」と宣伝していることです。
囚人が快適に過ごし知識を付けていくことは、かつて政府にとって宣伝になったということです。犯罪者の待遇を良くすることが、広く国民に受けが良いということです。
これがかつては当たり前のことでした。いやもちろん今でも当たり前のことです。
普通の先進国では刑務所は快適です。あ、この件については確か前に書いたので良ければ参照してもらうとして(「孤島の王」をお読みいただけば)普通の先進国では当たり前の囚人の人権ですが、どこぞの正気の社会では当たり前ではなくなってきています。
「犯罪者を甘やかすな」「税金の無駄遣い」「犯罪者死ね」というような、劣等感と妬みに満ちた想像力のかけらもない人間性の欠落した服従主義者のクズの意見がぷわぷわと思い浮かびますね。
こういう声が大きい後進国では政府の広報も変わってくるでしょう。
政府広報「囚人は罪人ですから相応の罰を与え、辛い思いをさせます。予算を削減してまともな暮らしをさせません。反省させでかい態度を取らせません。やつらは劣等国民なので人権はありません」
国民「ありがとう神様政府様。もっと税金上げてください。弱い者を懲らしめてください」
身の毛もよだつ話ですね。

さて不愉快な国を思い出してしまったので気を取り直し「カランジル」で描かれる個々のエピソードです。好きなエピソード満載。好きなシーンをここに書いていいなら、それは全部です。ですからそれは無理です。エピソードそのものではなく、その中に光る細部の素晴らしさをお伝えしたいところです。シーンの隙間にあるちょっとした表情や態度、言葉の使い方、会話劇、そんなところも注目して監督のきめ細やかな脚本と演出を堪能してください。としか言いようがありません。
やさしい医師、つらい義兄弟、計画性のある真面目な強盗たち、苦悩を知った殺し屋、きつい管理職、普通のこの手の映画では必ず悪役だけどこの映画では素晴らしいお父さんのような所長さん、悪党たち、悪党の家族、出所する人、盛り沢山です。

撮影

撮影は実際のカランジルでも行われた模様です。撮影時に刑務所はすでに機能しておらず廃墟で、解体されるまでの期間に撮影したようですね。
ここで当時を再現し撮影している様子がこれまたDVDの映像特典で確認できます。

監督の厳しい演出も確認できます。役者やスタッフのラテン気質の振る舞いも確認できます。
「用意、スタート」
「おんどれこら」
「待て待て、そんなセリフ台本にないでしょ」
「このほうがスムーズに喧嘩に入れるからアドリブ入れました」
「あのね、アドリブいらないから、取りあえず台本通りにやってくれないかな」

「ここをこうして、こうして・・・」
「監督、その前に提案があります」
「監督、私も提案があります」
「あのな、提案はいいから早く仕事してくれないかな」
メイキングも面白いのでこれも観る価値ありありですよ。

ヘクトール・バベンコは1946年アルゼンチン生まれ。日本では「蜘蛛女のキス」が有名ですね。
出演者の中で注目されたであろう人はロドリゴ・サントロでしょう。オカマ役すごかったですね。「ビハインド・ザ・サン」の主人公でしたね。「フィリップ、君を愛してる!」にも出演していました。
医師役のルイス・カルロス・ヴァスコンセロスもビハインド・ザ・サンに出演していましたか。
他の役者さんたちもたいそう印象深くいい感じですが、ブラジルの映画をほとんど知らないので活躍を存じておりません。

虐殺事件

ものすごく素晴らしい映画が進行し、やがて結末はおぞましいことになります。そうですこの映画は虐殺事件を描きます。
ヒューマニズムに溢れた囚人の描写は、虐殺のおぞましさをより際立たせるためだったのかと思うほどです。
この事件は実際に世界中で大きな話題となり、裁判にもなり、20年を経てちらほらと裁判結果が出たりしているようなそういう事件です。

この事件に関する記事をいくつかリンクしておきましたので興味ある方はどうぞ。

カランジル(サンパウロ刑務所)は歴史的建造物とも言えると思いますが、2002年に一部を遺し解体され、現在は青少年公園になっているとのことです。

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