路上のソリスト

The Soloist
記者スティーブ・ロペスとホームレス、ナサニエル・エアーズの親交を描く実話。
路上のソリスト

LAの記者ロペスが新聞に連載しているコラムで取り上げた男は、名門ジュリアード音楽院の在籍経験を持ち分裂病を患うホームレス。最初は純粋な興味から、徐々に更正を願い、さらに友情まで、深く関わっていく様を描きます。

2005年に取材を開始、2008年に書籍化され2009年に映画が公開されました。
ロペス氏は現在も記者を続けており、2009年の上映プロモーションでは来日してインタビューにも応じています。

限りなくノンフィクションに近いこの物語、なかなかの出来映えです。
前半は「才能ある演奏者にチャンスを与え更生へと導く物語」かのごとく進みますが そう単純な映画ではありません。LAが抱える路上生活者とその地区スキッド・ローの現状、精神疾患患者の人間の尊厳、更正を願う気持ちに含まれる差別的傲慢について、 と物語の進行と共に深みのあるテーマもしっかり打ち出してきます。
この映画が、ドリームワークスによって広く一般の人が観る映画に仕上がったことには意味があると思います。

と、ここまでは当たり障りのない感想。ここからは、ひねくれ者が少し顔を覗かせます。
ドリームワークスらしい夢の娯楽作品に仕上がっていて、その分、深みとリアルさにちょっと欠けるのです。

スキッド・ローを撮るために制作陣は地区内に事務所を置き、2年間にわたり 多くの貢献をしたのだとか。実際の患者たちを映画に起用もしています。素晴らしい仕事じゃありませんか。

しかし、そこまでして表現があれか?と、失礼ながら思ってしまったのも事実。
まるで絵本の世界のような「小汚い街」「精神病患者たち」です。リアルさはありません。リアルなものを撮ってるのに。主人公の内面も単純化して描いており「ちょっと悩むこともあるヒーロー」程度の表現です。二つの世界の住人の対比や傲慢と謙虚について、ホームレスや意図的格差の社会問題について、人間の尊厳について、病気への誤解、と、テーマは明らかにしているのにそれが映画表現として伴っていない。なんせ軽いのです。もちろん、それは映画技術的に意図的なものでしょう。それが娯楽映画の本道、ドリームワークスの凄腕なところではあるのでしょう。
でないと、多くの人が観てくれないわけですからね。
しかも軽い表現なのに、ちゃんとテーマを伝えてる。むむ。よく考えればさすがの仕事ぶり。何も評価を下げる要素などありません。
よく考えれば素晴らしい映画を作ったと言えるじゃないですか。わし何をちんたら文句書いてたんだろう。

私のような性根の腐った人間の評価なんか気にせず、皆様は是非ご覧になってこの問題に触れて頂ければ、と思います。

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