プレステージ

The Prestige
過去の因縁によって競い合う二人のマジシャン。「メメント」のクリストファー・ノーランが放つ怪作。
プレステージ

クリストファー・ノーラン、いいですね。この監督の緻密な構成への傾倒はいったい何事でしょう。
「プレステージ」は奇作・怪作・珍作にしてカテゴリーの枠を越えた変作です。
この監督の他の映画と同じく、ネタバレされれば興味半減という弱点がありますが、それを補ってあまりある珍妙な世界が堪能できます。
見終わってしばらく、誰もが口あんぐり開けてしまうこと間違いなし。こんな変な映画はなかなかありません。

注目は奇妙なマッド・サイエンティスト役のデヴィッド・ボウイ、最初は彼だということに気付きませんでした。
「デヴィッド・ボウイが出る映画は必ず駄作」というのが定着して(いるのか?)四半世紀以上経ちますが、ついに厚い衣を脱ぎ捨て、真価が発揮されたと見ていいでしょう。この変な役、変な喋り方、変な人はデヴィッド・ボウイの新しい境地でしょうか。

19世紀末のロンドンが舞台。冒頭、いきなりの死です。なんだなんだ。誰が死んだ。何故死んだ。事故か。事件か。殺人か。そして時間が巻き戻され、マジシャン二人の人生が語られます。若い修行中のマジシャン。最初はいい感じの関係ですが妻の死を境に敵同士になります。復讐と恨み辛みの報復合戦、互いにより凄いマジックのタネを得ようと奔走したり、陰湿なやり方で相手を貶めよう傷つけようと躍起になります。
マジシャンの話だからして、もちろん映画的にもマジック満載。構成に、編集に、伏線に、会話の中に、手品の舞台と同じく罠とトリックが仕掛けられています。
しかし、まじめな人は要注意。
「知恵と仕掛けのミステリの王道」であることを期待しすぎるとだんだん腹が立ってくるかもしれません。
さてみなさん。ここで怒りについて考えてみましょう。
怒りの発動にはさまざまな原因があります。期待の裏切り、想像の外、身を守る術、迷惑、好き嫌い、しかし怒りのボーダーラインについて冷静に考えれば、結局「自分の許容範囲」の内か外かという絶対的な特徴があり、すぐ怒る人は許容範囲の狭い人、怒らない人は許容範囲の広い人ということが言えます。赦しという言葉を使ってもわかりやすいですね。
この映画を見て怒る人、それはまさに許容範囲の狭さ、自分の想像し期待したものの外側に及んだ要因を受け入れられない偏狭さの発動に他ならないのです。
この映画が仕掛けた最大のトリック、それは映画が観客に向けた反応の試験ではないでしょうか。だから怒ってはいけません。そう。寧ろそこは笑ってもいいところなのです。

2010.3.11

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