明日、君がいない

2:37
午後2時37分。とある高校、校内で誰かが死ぬ。
明日、君がいない

なんとこの映画を撮り始めたとき、監督は19歳だったとか。こりゃ驚き。完成度高いのですよ。稚拙なところなど全くありません。

冒頭は高校の校内で誰かが自殺したらしい描写です。トイレに閉じこもり鍵をかけた中での物音と、流れる血。何が起こったのか、と思う間もなく次のシーンでは時間が巻き戻され、その出来事が起こる日の朝です。ここから、何人かの若者にスポット当て、彼らの1日を密着描写します。個性的な青春映画の形相を帯びてきます。
高校生らしい悩みや問題を抱えた若者たちの表面から奥底まで、目線がどんどん切り替わる(「エレファント」のような)技法を駆使して群像劇風に追跡します。
タイトル、原題は「2:37」。この時刻に起こる悲劇を表しています。邦題「明日、君がいない」もなかなかよく出来てますね。登場人物たちの中の誰かひとりがいなくなるんだ、と思いながら物語を追う不安感はまさしく監督が意図した通りの観客の反応でしょう。

この映画の素晴らしい二つの側面のうちの一つは、このミステリ的な構成です。「犯人は誰だ」の如く「死ぬのは誰だ」と、登場人物たちの一挙一動に注視します。彼らの心の動きを察知しようと、些細な行動やちょっとした一言を漏らさず確認しようとするのです。伏線探しもしてしまいます。それにより、エピソードの全てが重要なシーンとして印象に残る仕組みです。
ミステリの技法に則り、ちゃんと、意外な人物が意外な側面を持っていたり、意外な事実が暴露されたりする展開にもなっています。観客の集中は「犯人捜し」と違って「自殺者探し」ですから、この注視によって見ているとますます辛さと不安感が増幅されます。そしてその辛さや不安感が、この映画の二つの側面のうちのもう一つをより強調させることになります。

もう一つの側面はもちろん、テーマである「友人の死」に関するドラマ的側面です。登場人物たちは決して仲のよい友人たちばかりじゃありません。しかし、注視している観客にとってはすでに登場人物たちは特別な存在になってしまっています。観客にとって、登場人物の死は「不安の的中」「予想外の結末」「気付いてあげられなかった後悔」「喪失感」など感情面において十分に「観客にとっての友人の死」たり得ているのです。
この映画のミステリ的側面と友人の死に関するドラマ的側面、その両面が融合されて一気に描き尽くされる結末は、見る者全ての心を大きく揺さぶるでしょう。

監督がこの話を考えついたのは、長年の友達が突然自殺したことによるショックがきっかけらしいです。その時の感情、不条理感を十分に分析して咀嚼して映画に落とし込んだことに最大の賞賛を送りたいと思います。

2010.5.27

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