エル・クラン

EL CLAN
エル・クラン
公開年:
2015
製作国:
監督:
製作:
脚本:
撮影:
音楽:
  • セバスティアン・エスコフェット
主演:
出演:
  • リリー・ポポヴィッチ
  • ガストン・コッチャラーレ
  • ジゼル・モッタ
  • フランコ・マシニ
  • アントニア・ベンゴエチェア
  • ステファニア・コエッスル

裕福で幸せそうなプッチオ家のお話、アルゼンチン映画「エル・クラン」の緊張感と可笑しさと恐怖と衝撃は一体全体何事か。

エル・クラン

2015年のアルゼンチン映画、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子症に輝いた「エル・クラン」は実話を元にしたホームドラマですが、壮絶なホームドラマで驚異的なホームドラマで犯罪の物語で時代の狭間の壮絶と悲哀を背負う張りつめた特殊な一本です。

何のこっちゃ何ぐだぐだ言うとんねんと今思いましたね。ぐだぐだ言いたくもなります。どこから行きましょう。

事件

「エル・クラン」の舞台はは1980年代のアルゼンチン、実際に起きた事件の映画です。ある一家が起こした事件の映画でして、発覚当時アルゼンチンで大騒ぎになったらしいです。公式サイトではこの実際の事件についての説明もされていて興味深いですね。興味深いし、この映画の登場人物たちが実際の事件を起こした連中と実にそっくりであることにも注目です。

で、事件当時少年だったという監督が映画化したもので、犯人や被害者も実名で描きます。取材を重ね、事件映画としても丁寧に作られています。

背景

ただセンセーショナルな事件だったというだけではなく、この事件には政治的社会的要素がつきまといます。歴史と時代に影響を受け翻弄される人間とりわけそこにいる世代というものを直撃します。時代を特定した特定国だけの特殊な話ではなく全世界全世代が寓話として実感できる普遍性も伴います。

とは言え具体的に1985年のアルゼンチンです。1976年にクーデターを起こして軍事政権をおっ立てた元軍人のホルヘ・ラファエル・ビデラが退陣し、その後も政権は安定せずビデラの後釜はすぐに失脚、その後のガルティエリとかいうやつも軍存続のために戦争起こして敗戦、さらに後釜も短期間、さらに後釜は敗戦処理でおおあらわ、85年になっても政治は安定せず、その後労働者から支持を得た大統領も政権取ったら新自由主義に陥ったり(日本の民主党みたいにね)、まあなんせいろいろ安定していません。そういう時代、移り変わる時代です。思想的にも暮らし的にも職業的にも、末端である国民は翻弄され影響を受けます。

犯罪も影響を受けます。独裁政治からの変わり目、そういう時代は面白い時代であると同時に何物かを過去に追いやる時代でもあります。そして暇な平和な時代と異なり、例えば民間人の事件などというものに対して公の機関はまともには対処しません。

時代の狭間

この時期の犯罪についての物語ですがふたつの映画を思い出します。韓国、ポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」スペインでは「マーシュランド」ですね。どちらも軍事政権崩壊後、民主国家になる過程におけるわずかな隙間の時代に起きる事件を題材にしています。特に「殺人の追憶」では、政権の不安定さから警察の捜査が杜撰だったりすることなんかを描きまして、「エル・クラン」の犯人放置と通じるものがなくもないです。
日本では帝銀事件やもうちょっと後の高度成長期の三億円事件などが思い出されます。いずれも、犯罪としてさほど綿密なものではなくどっちかというと杜撰な捜査や恣意的な見逃しもみ消し胡麻化しというものと直結しています。

そもそも国家の機関で殺人兵器を携帯している警察という組織に対して庶民が脳天気に社会正義を信じることのほうが異常な感覚で、通常は国体維持のため自国民を制圧することこそが存在の理由となります。犯罪捜査というものは被害者の為を思ってやるわけではなく治安の維持のためにやります。ですから治安の維持という目的のために、時に犯罪者を匿い、時にでっちあげ、時に庶民を殺します。

「エル・クラン」の杜撰な犯罪が見過ごされた理由はこれに加えて主犯の親父さんが前政権で信用おける立場にいたということが決定的に重要になります。ころころと政権が変わる狭間の時代、昨日まで上級でのさばっていた人間が突如一般庶民に叩き落されたりします。しかし場合によってはまたすぐに権力側で復活を遂げる可能性もあります。職を失うという単純なこと一つとっても、権力側にいた人間と一般庶民では意味が全く異なりますね。親父さんが呑気に構えているのも、今だけちょっと我慢したらまた安泰なときがくるだろうと思っているからだったりします。

日本で例えれば自民党という組織がありますね、その組織は権力を持っていますから犯罪者がいても全く問題になりません。ちょっとの間身を隠せばまたすぐにしゃーしゃーと表舞台に出てこれます。というか、犯罪者という言い方もちょっと違いますね。犯罪者って概念は権力の世界にはありません。彼らは自分たちが法を超越した存在であると考えているわけですね。「エル・クラン」の親父さんと同じ精神構造であることがわかります。

 

時代と世代

「エル・クラン」の家族には時代と世代の普遍性が満ちています。家族ですから親がいて子供がいます。主人公一家は子供が何人もいますから年齢もちょっと離れています。親父とおかんの世代から、長男、次男、娘たち、弟、と、上手に世代が散っています。時代の狭間に生きる多世代の個々の事情が実に象徴的、普遍的に描かれますね。実際の事件にも同じ普遍性があったはずですし、時代における普遍性に着目した監督がこれを大きなテーマとして据えているのは確かなことです。

例えば親父さんは独裁政権時代に生きています。彼の常識や思想は過去最も己が輝いていた時代に作られ、それは変化しません。時代の移り変わりの時期、自身を取り巻く状況が大きく変わっても発想の根源や価値観は不変ですのであのような人間となります。

親父さんの憎しみにはある程度の一貫性があります。ある程度の一貫した憎しみと、行う恐ろしい犯罪にはちょっと一貫性が感じられないこともあります。ですが、それは若い世代の考え方ですよね。親父さんにとっては何か一貫性があるのかもしれませんし、一貫性が必要なほどやっている犯罪は重要な問題ではないと考えているのかもしれません。

子どもたちの中で一番下の弟は新しい時代の人間です。彼の価値観は人間の尊厳や民主的な思想の洗礼を受けています。犯罪を恐ろしいこととして捉えますし、他人の人権を身勝手な理由で奪うことを受け入れません。犯罪に恐怖する感覚は我々にも非常によくわかりますね。しかしなぜ犯罪が恐ろしいのでしょう。なぜ他人の人権を奪うことが恐ろしいのでしょう。わかりませんが、それはあります。でも今の時代にもその感覚がない人がたくさんいます。ですのでそのような人間にも恐怖します。この感覚を共有できる人間が日本からだんだんといなくなる恐怖を日々実感します。「エル・クラン」の時代と今の日本は全然違う種類でむしろ逆の時代ですが、猛スピードで変化していっている時代の狭間感という意味では同じです。

というわけで、一番下の弟は逃げ出します。逃げてよかった。ほんとうに逃げてよかった。と、思うような人ばかりであればいいのになと思いながら弟くんの無事を祈ります。

長男が大変です。長男ですから年上です。親父の世代から一番影響を受けており、親父世代の考え方も持っています。新し時代の価値観の中で青春を過ごしますから新しい価値観にも染まっています。どっちもあるしどっちもわかります。そして、どっちが本当の己の思想なのか、それを決め兼ねていますし、自分の居場所がどこにもないことを自覚もしています。この彼が最も厄介なことになります。彼の辛さは親父世代にも弟世代にも絶対にわからない辛さです。

パブロ・トラペロ監督は時代の狭間と世代の普遍性を強調するため、この長男を主人公に辛さをすべて引き受けさせます。映画全部を通して、そして最後の衝撃にいたる道筋を思い返すとき、事実を基に丁寧に描いてきた実話ベースの犯罪ストーリーの中で、長男の苦悩を犯罪と個人の問題に押し込めず、まるで時代に翻弄された被害者であるかのように描きます。映画を観終わっても衝撃から立ち直れない我々は反芻の中で、身の置き場のなかった長男の苦悩について思いあたることになります。

で、問題は次男です。この次男ですが、これほんとに事実に基づいてんのかと疑いたくなるほど物語的にいい位置、いい立場にいます。単純に物語映画として見たらこの弟の存在に「なんという優れた脚本だろう」と唸るレベル。

映画的な魅力

最初は名前だけなんですよ。時々家族内で彼の名が出ます。「あの裏切り者め」とか不穏な言葉も出ますね。妹たちから信頼されているところも見て取れます。映画を見ている我々にとっては噂でしか知らない肉付けのない彼が物語の後のほうになって登場します。どんなやつが出てくるのだろう、硬い意思を持つ強面にいちゃんか、恐ろしいやくざっぽいやつか、あるいは下の弟のような正義の心を持っているのか、策士か、どんな変わり者が出てくるのか、あれこれ想像していましたが実際に出てくるやつがあんな風貌のあんなやつっていう、この脚本上の盛り上げ、役者のキャスティング、その役者の味わい深い風貌、実に見事で私はひっくり返りそうになりました。個人的に、この弟の噂話からの引張り具合いと登場、そしてまた登場してからのあの行動の数々という映画的な美しい流れが「エル・クラン」で最も魅力的な部分でした。褒めても褒めても褒め足りないお気に入りの部分です。

で、この弟なんですが、時代がどうのこうのとかそういうの抜きにして、これがね、次男としての存在が「あるある」なんですよ。男兄弟の真ん中って、結局こういうやつなんです。お前いったい何者やと。お前の恐ろしさ、無頓着さ、刹那的な行動、可愛がられる術を心得ているその態度、本気なのかふざけているのか、まったくもって次男坊タイプで、世の兄弟の真ん中男は心して弟を見なければなりません。

そしてこの次男を見ながら「お前は俺か」と思っている自分にも私は驚愕します。そうなんです。いい人で仙人のような私ですが、時と場合によっては犯罪者になり得るのでして、そうなったときの恐ろしさも自覚できているのでございます。だからあまり犯罪を誘発させるような態度を取らないでくださいね。「たばこ吸うな」とかね。

というわけでですね「エル・クラン」は単に映画としてもその構成や表現がずば抜けていて、物語としても面白さに満ちていて、実話の事件として興味深く、世界に普遍性を持つ時代とその狭間ということに関してとことん人を考え込ませるびっくり仰天の優れた映画であったというのが私の感想です。

親父やおふくろさん、お姉ちゃんに妹、長男の奥さん、長男のスポーツ仲間たち、元の権力に近い人々、被害者、被害者のそばにいる人、いろいろ魅力的な人間たちも登場します。いちいち書きませんがその全てが魅力にあふれていますしね。たまんないです。「エル・クラン」、傑作のひとつと思います。

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