父親たちの星条旗

Flags of our fathers
硫黄島の闘いを日米双方から描く「硫黄島プロジェクト」のアメリカ視点作品。
父親たちの星条旗

この写真は確かにほんとに良く撮れています。ドラクロワの絵画のようですね。一世を風靡してもおかしくない。そしてこの一枚の写真がアメリカを、そして日本の運命を大きく動かしました。

硫黄島に上陸して5日目に撮られた写真です。最初に別の人たちが立て、その後別の人がまた立て直したんですね。実につまらない理由で。
たまたま2度目に旗を立てた若者がこの写真をきっかけにアメリカでヒーローに祭り上げられ、戦費集めのヒーロータレントとして政治利用されます。
現場での戦闘はこの旗を立ててから1ヶ月ほど続き、日米双方、それぞれ2万人以上の被害者を出す悲惨極まりない泥沼戦闘が行われました。この写真、勝利の瞬間の写真ではないんです。

この作品は、実際の戦争シーンを回想しながらヒーロータレントたちのツアーの様子を描きます。それら全てを老人が回想して親友の息子に聞かせているという構図で、3重構造になっております。
その息子さんが聞いた話をまとめて書いた本が原作であるジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズによるノンフィクション「硫黄島の星条旗」である、とこういう案配でしょうか。

戦争と政治を並列にありのままに描いている点がこの映画の新しさだと思います。140億ドル集めるために「みんなで国債を買おう」のキャンペーンを行う政府に利用される若き兵士たち。まこと哀れです。
戦費が足りない、と頭をひねる政府ですが、もうちょっと深くつっこむと、その140億ドルが誰に支払われるのか、誰が儲けるのか、その儲けの末端に誰がいるのか、という重要な問題が当然出てきますがそこは敢えてスルーです。それやると全然違う目的の全然違う映画になってしまいますから。 そういうのは(かつての)オリバーストーンやマイケル・ムーアがやるべき仕事かと思われます。

それよりも何よりも、戦争には付きものの「敵」というものがこの作品では希薄です。日本軍は謎の忍者部隊みたいな、抽象的なものとして描きます。
この意味は「敵とか味方とか、戦争にとってはほんとはどうでもいいのだ」を端的に示しています。「本当の敵は敵国以外のところにあるのだ」「戦争なんて茶番の公共事業なのだ」「敵も味方も末端の兵士は同じただの人間の若者なのだ」 とか何とかんとか、色んなことを含ませたりしているようにも感じます。
二部作の後編「硫黄島からの手紙」では、本作でただ不気味なだけの敵国兵士の生身に迫ります。別作品として分けて描くのには大きな意味があるのです。一本の映画で混ぜ込んでしまっては全然伝わらないのです。

この作品を製作中にクリント・イーストウッドさんは「硫黄島からの手紙」も自ら監督することに決めたらしいですが、二部作を通して描ききる自信と覚悟の現れですね。
老齢と言えるこの巨匠には、まだまだ世界に言いたいこと、確認しておきたいこと、学ぶべきこと、表現しておきたいことがあるのでしょう。

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