アメリカン・アニマルズ

American Animals
「これは真実の物語を元に作られた映画ではない」との文言が映し出されて映画が開始します。直後に一部の文字が打ち消され、「これは真実の物語 である」となります。おおっ。何やら強気で来ました「アメリカン・アニマルズ」です。
アメリカン・アニマルズ

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監督はドキュメンタリー映画で名を馳せた方で「アメリカン・アニマルズ」は劇映画ですがその根底にはドキュメンタリーを撮ってきた監督ならではのリアル表現がビシバシ感じられます。

技法

リアルつっても、揺れる手持ちカメラとかドキュメンタリー風タッチとかそういう意味じゃまったくないですよ。寧ろ演出や編集はとことんスタイリッシュでまるでカッコいい映画のようですらあります。

ひとつ個性的な技法を用いていることが挙げられます。なんとこの映画のモデルとなった本人がインタビューに答える形式で出演しています。劇映画が進行する中、時々インタビューシーンが現れて「あのときこうだったああだった」と述べます。

ということは進行中の役者が演じてるドラマは完全に再現ドラマとしての位置付けなのか。そうなのですがそうではありません。本人のインタビューが挟まれようが何だろうが映画本編は映画本編としてとことん作り込まれているので再現フィルムを見ているような気分には一切なりません。これは映画技術の自信みなぎる技法です。

この技法について、書きながらデジャヴにも見舞われます。同じことを思って同じことを書いたことがありますよ。何でしたっけ。そうそう「運命を分けたザイル」です。あれと同じ技法です。

なーんだ、同じ技法の映画あるじゃん。だめじゃん。とか思うんじゃありません。そんな事言いだしたら世の中のほとんどすべての映画が同じ技法であることについて釈明せねばならなくなりますよ。

話飛びますが、ある御用コピーライターは昔清志郎が君が代をロックアレンジでやった曲に対して「国歌をロック調にして演奏するなんて二番煎じ三番煎じでちっとも個性的じゃないし面白くもないし国を批判するとかカッコ悪いよねー」とボロクソに貶しました。この御用コピーライターは100番煎じ1億煎じの同じ技法の他の音楽を知らないのでしょうか。そうではなく、彼ら服従主義者全体主義者にとって「少数派のちょっと目立つ批判者」が忌々しくて仕方ないのです。少数だからこそ目立つことがらに対して「こんなことが流行っている。嘆かわしい」と否定します。何故こうなるのでしょう。それは全体が大好きだからです。「全体」に背く少数派が憎くて憎くていても立ってもいられないという、こういう症状を「カッコ悪症候群」と言いますので覚えておきましょう。人間だったらよかったのにねえ。

と、わけのわからない話はいいとして「運命を分けたザイル」と同じ技法で綴る「アメリカン・アニマルズ」ですが、この映画について感想を書くとき、書きたいことがあります。リアリティについてです。

リアリティ

この映画のリアリティは一般的な意味のリアリティとちょっと異なっていて、そこに痺れたんですがどういうことかというとこうです。

映画で描く人間と犯罪はとてもスタイリッシュで映画的でドラマ的で虚構じみています。若者たちも適度に賢く適度に間抜けで、四人の個性も虚構のキャラのようにある程度類型化もされています。つまりとっても面白いんです。犯罪計画や犯罪そのものもドラマチックで映画じみていてスタイリッシュでカッコ良く適度に間抜けで面白い。にもかかわらずですよ、にもかかわらず根底にリアリティが潜みまくっています。単にリアリティの感じられる映画はたっくさんありますし、単にクソ面白いクライム映画も山ほどあります。でもその両方を同じ重量で感じさせる映画は珍しいといっていいと思います。

人間

ドキュメンタリー出身という肩書きに拘るのもどうかと思いつつ拘りますが、ドキュメンタリーを撮ってきた人ならではの、登場人物についての掘り下げがまずあるんじゃないかと思います。

いい映画観て、登場人物の描き方ですね、これを素晴らしいなと思ったとき、監督を調べたらドキュメンタリーを撮ってきた人だったということが何度もありました。ドキュメンタリーで特に人間を追うようなタイプを撮っていると、登場人物に肉付けをしないではおれなくなるのでしょうか。本物の人間は「キャラ」ではないことを身をもって知っているというか。それはちょっとした一言かも知れないし仕草かも知れないし矛盾を含む言説かもしれないですけど、何かわずかに人間味というものを加える部分があったりします。

「アメリカン・アニマルズ」の登場人物にもそれが宿っています。彼らは犯罪映画の単なるキャラではなく、キャラであると同時に人間であるということを含ませながら描きます。自信たっぷりに宣言した「これは真実の物語である」を裏付ける大事な要素と思います。

4人の若者が犯罪を行うべく奮闘します。世間を知らず己の漠然とした不満の捌け口としての犯罪です。単なるアホたれです。ですが彼らには彼らの苦悩があり彼らのアホたれぶりは社会の合わせ鏡的な部分も含みます。

犯罪

「アメリカン・アニマルズ」で描く犯罪は図書室から希少本を盗むことです。これは面白いネタですね。映画化決定!と思いたくもなります。この犯罪を計画するのは大学生たちです。彼らは計画を練り上げ、その過程で虚構に埋没します。この映画における犯罪は、犯罪そのものが虚構的なんですよ。

若者たちのリアルがひとつここにもあります。彼らが思い描く犯罪計画は彼らが触れてきた映画の世界です。彼らが犯罪計画に没頭している間、彼らは映画のキャラになれています。賢いながらも浅い知恵で、ごっこ遊びに明け暮れます。でももちろん当の彼らは本気も本気、茶化していい状態じゃありません。ここに犯罪のリアリティが大いに潜んでいます。

比較的裕福で不自由なく暮らす若者です。中産階級の闇がここにあります。

若者の犯罪・中産階級の闇

ミヒャエル・ハネケは「愛、アムール」で愛という中産階級の幻想について突きつけました。別の場所でハネケは「自分の映画を見る層はまさしく自分が映画でボロクソに描いている層と同じ」と冗談めかして語っています。

ある程度の資産を持ち不自由なく資本主義社会で暮らす層は、文化芸術に触れたり学問や政治に興味を持ったりと、文明人としての余裕を手に入れます。同時に、社会の悪影響を受けやすくもなり、共同幻想の罠に落ちたりもします。この話は風呂敷広げすぎなので横に置いといて、若者に特化した一例として、現代の若者がハマっている泥沼思考についてちょっとだけ考えてみます。

特別な存在

プチブル階級にありがちな社会的洗脳の代表格は「平凡であることは悪だ」「成功者にならなければならない」「特別な存在になるべきだ」みたいな押しつけです。これを子供の頃からやられ続けると「特別な存在にならなければ生きている価値がない」「成功以外はすべて失敗」みたいな極端な考えに至ります。昔の少年が将来王貞治になりたかったふわふわした夢とは明らかに異なりますよね。このような価値を植え付けられた子供たちにとっての重圧は普通に育ってきた大人が想像できる範囲を超えていると思います。

「アメリカン・アニマルズ」で犯罪に走る若者たちはアホたれで世間知らずで稚拙で甘ったれです。特別な何かになるため、自分に価値があるのだと納得するために犯罪に走ります。前回ちょっと書いた「見えない太陽」の孫息子もまったく同じ動機です。大人目線では、その情報源である映画や漫画やネットを目の敵にしますが、ネタ元を締め上げたところで何の解決にもなりません。

以前何かの映画感想の中で、今時の若者が好む設定について書きました。昔の少年は努力と根性の果てに成功者になる設定を好んでいたが、今時の子はある日突然覚醒して成功する設定を好むという話です。この話とも繋がります。最早覚醒とやらに憧れるしかないところまで追い込まれているわけです。

映画アメリカン・アニマルズ

突如気を取り直して「アメリカン・アニマルズ」のここが好き!いきます。というのも、監督のインタビューがあったので読んでみたら、上でだらだら書いていたことを監督がズバリ簡潔に語っていたからです。無駄なことだらだら書いてしまいすいません。インタビュー読んでください。

この映画に興味を持ったのはバリー・キオガンが出演していたからです。そうですそうです「聖なる鹿殺し」の彼ですよ。それまで知らなくて「聖なる鹿殺し」で突然大注目。いいですよねこの彼。

そのバリー・キオガン演じる・・・えーとなんて名前だっけ、彼がですね、犯罪の後の父ちゃんの誕生日、ハグするときに父親に「おいおい長いな」って言われるシーンがあるんですよ。このシーンがとても好きなんです。ぐっときました。

その彼だけじゃなく、この映画4人の若者たちが大層魅力的です。たまんないねー。ってなるシーンもそれぞれあります。キャスティング見事です。そして本物の当人たち、彼らもまたいい味なんですよ。どこかの国では、この本人たちのシーンもヤラセであると思われたそうです。

もうひとり、注目は被害者司書のBJです。監督インタビューによると、彼女は映画を観るまで犯人たちについてまったく知らなかったそうです。彼女にとってもちろん犯罪者たちは悪魔です。この映画によって彼女に赦しと慈悲をもたらしたそうなのですが、もうこの一点だけをもってしても「アメリカン・アニマルズ」に価値があったと大声で言いたい。

単に映画としてスタイリッシュでカッコ良くてめちゃいいです。

特に本編の中心、四人が犯罪計画を練っている時のクライム映画ばりの演出がカッコ良くて痺れますね。その中で「ブラック」「グリーン」「ピンク」などとあだ名を付けたりします。「ちょ、ピンクはやめてくれよ」って言ったりします。このレザ・ボア・ドッグズシーンですけど、この一連の流れはクライム映画としての面白さ、映画好きのためのパロディ的面白さに満ちています。後で考えれば何という馬鹿馬鹿しいことを彼らがやっているか思い知るシーンでもあります。髭つけて変装とか、彼らが虚構の世界に逃げ込んでごっこ遊びをしていることと、後に「人を傷つけてしまうこと」への現実の恐怖と対峙したときの対比ですよね、とてつもなく迫り来る演出・脚本です。

それだけでも凄いことなのにこのシークエンスはもうひとつオチに関する出来事の大きな伏線になっていることに気づく仕組みもあります。

この仕組みのおかげで「アメリカン・アニマルズ」は後味の良い素晴らしい映画となりました。

この後の数行はいいところをネタバレしますのでこの映画をこれから観ようと思ってる方は読まないほうがいいかもしれません。畳んでおきましょうか。

主犯格の青年いますね、彼は服役後どうなりましたか?映画の最後、インタビューに答える彼は、映画製作を学ぶ学校に入学したと答えます。

これを聞いて短絡的に「こいつだけは相変わらず派手な世界に身を置きたい野心が残ってるのか」と決めつけてはいけません。思い返しましょう犯罪計画を。

この青年が中心になり人を集め役割を分担し指示してまとめ上げます。ドラマチックな展開を作り上げ皆を本気にさせ仕事に没頭させますね。その根っこには観てきた映画のネタが散りばめられていました。彼が犯罪チームでやって来たことはまさに虚構をみんなで作り上げる映画監督の仕事そのものではありませんでしたか。そしてみんなもその気になってがんばりました。彼らがやったことは犯罪ですが、もしこれが「映画を作ろうぜ」だったとしてもまったく同じ展開になっていたと想像できます。

映画探偵Moviebooのいつもの妄想ですが、彼は服役中にそれに気づいた、あるいはソーシャルワーカーやカウンセラーとの対話の中でそれについて気付かせてもらったんではないでしょうか。

この映画、予告編の編集がすこぶるカッコ良くて、それを先に見てしまったものだから「本編でがっかりすかも」と身構えていたんですがなんのなんの、予告編負けなんてしていませんでした。

ところで、ふと気づいたんですが、Moviebooで節々に「再現フィルム」という言葉が出てきます。この言葉を普通に理解して受け取れるひとがどのくらいいるのか、ハタと気づいてしまいまして、解説しておきます。
「再現フィルム」という言葉はテレビ番組、夜のワイドショーみたいな「ウィークエンダー」で流行した言葉で、この番組で「三面記事」という言葉を覚えましたが、その三面記事、つまり下世話な事件やなんかの紹介コーナーに、事件を短いドラマに再現して流すというのがありました。再現フィルムという言葉を使うのはこの番組だけというわけではありませんが流行のひとつのきっかけとなったんじゃないかと思います。ということで今は死語なのかもしれませんね。

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