今さら言えない小さな秘密

Raoul Taburin
伝説を持つ匠の自転車屋が実は自転車に乗れなかったという「今さら言えない小さな秘密」を気軽な牧歌的コメディとして観てもいい。でも実はけっこう気合いの入った映画だったりします。
今さら言えない小さな秘密

まあ、あの、一見あれです、ワンアイデアのライトコメディ。村で頼りにされている自転車修理の達人が実は自転車に乗れないことをひた隠しに隠していたという。ネタとしてはおもろいが、それで映画一本作ってどうすんのと。そう思っても仕方ないかもしれませんが、ところがこれが意外と面白いんです。気合いも入っていますし、私なんかはうっかり強い影響を受けてしまい、これを観た夜にとても奇妙な夢を見てしまうレベルでした。ちょっと珍しく超個人的筆者発狂系(珍しくねえよ)の感想文行きます。

童話のようなこの映画、主人公の自転車屋は童話のような牧歌的な優しさあふれる人柄でしょうか。それが違うんです。わりと姑息なやつです。姑息で、ずるくて、そういう己に自己嫌悪を持っていたりもしますが、でもやっぱりいざとなると悪い虫も出てくるという、決して安心印のほわほわ映画なんかではありません。人間の厭らしい面もしっかり出します。この主人公をやっているのが「ありふれた事件」の殺人鬼、ブノワ・ポールヴールドでございまして、私はこの人を見るだけでいまだに胸騒ぎがします。

牧歌的ほわほわライトコメディと思わせておいて毒気もたっぷり、仕舞いにはその毒気そのものを愛おしく感じさせる優れた脚本で物語が紡がれます。この脚本を書いた天才誰ですかと思ったら、案の定ギョーム・ローラン、ジュネと組んで「アメリ」「ロング・エンゲージメント」を書いた脚本家ですよね。「今さら言えない小さな秘密」の脚本にもそういえば「アメリ」の風合いがたっぷり含まれます。

ただし原作があります。「プチ・ニコラ」も映画化されているジャン=ジャック・サンペの同名の絵本とのことで、どのような内容で、どのような映画アレンジなのかということは実際のところ全然わかりません。

どこか景色の良い田舎の村です。時代設定はわかりませんが現代の今ではないです。自転車修理、パン屋に肉屋、郵便配達員、村はずれにヤギがいて、携帯電話などは存在しません。そのような世界です。ただ、だからといって昔話という感じもしません。これは時代を特定しないファンタジー独自の世界と言えると思います。

世界に関しては実によく出来ています。村そのものもよく出来ていますし、キャラのすべてがよく出来ています。

主人公のこどもの頃から大人の今に至る時代が描かれますが、村は時代の経過に追随しません。ずっと同じです。同じ建物、同じ佇まい、同じ路、同じ景色です。何十年という年月を一切受け付けず、大いなる存在としてただそこにあります。パン屋のこどもはパン屋になり、肉屋のこどもは肉屋になります。郵便配達員のこどもは自転車修理屋になりましたが、田舎の村はずっと同じように存在し続けます。

人々、キャラについてはもっと露骨です。オーバーオールを着ている6歳の主人公は白髪の大人になってもオーバーオールを着ています。オレンジ色のワンピースを着てピアノを練習する女の子は数十年後にもオレンジ色のワンピースを着ています。登場人物全員がこどもから大人になっても映画世界でずっと同じ服を着て同じように振る舞いまして、そこには時代の変化というものがありません。もっと言うと時間の概念がありません。でもこどもは大人になりますから、標準的な時間の経過はあります。この不思議世界、くらくらするんです。

物語のわかりやすさとして認識してもいいと思います。童話のようなお話で何人かの人がでてきますから、誰が誰かということを一発で理解できるようにそういう表現をしているだけとも言えましょう。でもそれだけじゃないですよね、この世界が完全に閉じた世界であるという事実はこの映画にとって重要なポイントです。

このコメディ映画は泣くようなドラマチックな映画じゃありませんが、それでもうるっと来るシーンが最後のほうにあります。確かにうるっときました。それは物語上の理由だけじゃなく、昔を思い出すというそのシーンで、思い出シーンと今のシーンが完全に同じ環境にあるということを突きつけるシーンでもありまして、私はそこに持って行かれました。その上、自転車に乗れるとか乗れないとかというどうでもいい話を大袈裟に感じてしまうとか、この村=世界で起きてきた事象すべてを愛おしく感じてしまうとか、どうかすると多分映画が意図している以上にガツンとやられたようです。

これはノスタルジーとも少し違います。こどもの頃には世界をこんな風に認識していたということを脳に甦らせたのかもしれません。これはコリン・ウィルソンが言うところのタイムマシンですね。

ところで私はある日バンドの遠征でバスに乗り込み走っているとき、こどもの頃住んでいた場所に近づきました。「この辺りに五つ子地蔵があるはずだ。そこが目的地だ」というので「それならよく知っている。いつもそこで遊んでいたから。このすぐ近くだから運転代わるよ」と運転を代わるものの、行けども行けども五つ子地蔵がない。でもよく遊んでいた堤防や神社や住んでいた家はそこにある。よく知っていて近いはずなのに路がわからない。そこで幼稚園の時に隣に住んでいたタマキ君の家に行くとおっさんになったタマキ君がいて「五つ子地蔵はここからだと遠回り」という。「そんなことない、川を越えて左に曲がって踏切を越えたら防空壕跡があってその先が五つ子地蔵だろ」「防空壕跡は今でもあるしあの時のろうそくにも火が付いているけど地蔵はもっとずっと遠くてすぐには行けないよ」防空壕跡で人骨を拾ったことを思い出し五つ子地蔵に近づくことが良くないことだとようやく理解し、タマキ君の言葉が警告であることに気づくという、そんな夢となって現れたということはもしかしたらこのコメディ映画、自分にとってはとんでもないホラーだったのかもしれないとちょっと思って、わけのわからない話を書いてしまいすいません。

この映画は普通に楽しい映画ですので、誤解を与えてしまったとしたらまことにもうしわけありませんでした。お詫びに公式から予告編動画貼っときます。

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