めがね

めがね
どこかの島にやってきた女性とその島の住民。 はい。ええと、この作品が好きな方は気分を害される前にどうぞお立ち去りください。以降、糞味噌に貶します。
めがね

さてこの映画、やりたいことは理解できますが、押しつけがましさと説明過多で厭らしさ爆裂、恥ずかしさで身もだえする雰囲気ちゃん映画となっております。

冒頭からいきなり「黄昏れ」「黄昏れ」の連発、こいつら全員狂人かと思わないではおれない言葉の暴力にさらされ居心地の悪さが開始10分でピークを迎えます。
「黄昏れ」は夕方のことではなく、多分「ぼーっとする」「ぼんやり寛ぐ」みたいな状態を指している言葉の誤用と思われますが、それがわざとであるにしても、ぼーっと心地よい状態への自然な誘導は皆無、すべて説明的に押しつけられます。

ぼんやり心地よい世界へ主人公が足を踏み入れ、だんだん同化する話がメインでして、しかしそもそも心地よい部分が過剰な押し売り状態なので不愉快さしか残りません。ぼんやりすることを押しつけられてはたまったものではないです。この映画がめざしているであろう”心地よさ”をよく知っている人ほど、とても恥ずかしい思いをすることになります。

北欧映画のような”間合いの美学”に面白さを醸し出したい気持ちもあるのでしょう。より親切に見てあげればそうなります。
惜しいかな、間合いはただだらだらすればいいってものではありませんで、表面的には似ているかもしれない北欧映画や日本映画の良作における間延びした演出には、その前後の抑揚やシナリオ上の必然性があるものです。それは映画の説得力に直結する大事なところでして、絶妙な間延びのシークエンスがたとえどんなに好きでも、全編それだけではまったく何の効果も生み出さないのであります。

さて、もたいまさこ演じる謎のおばちゃんの妖精性がもうひとつのメインの物語として絡んできます。
こちらもやりたい気持ちだけはよく伝わりますが、妖精性を際だたせるための丹念な描写を放棄して最初から最後まで同じ調子で説明過多に押しつけてくるものだから効果も糞もありません。絵に描いたようなおばちゃん像はあまりにも類型的で自然さがなく異化効果も0。そういう演出を過剰に押しつけられ、苦痛しか感じません。

妖精性のアイデアは決して悪くないです。でも生かされているとは思えません。

マジックリアリズムの技法は、片方でリアリティを重視することによって初めて成り立ちます。
「この映画にリアリティなんかいらないの。雰囲気さえあれば」とおっしゃるならば、その雰囲気を生み出すための説得力をどこから持ってくるというのですか。
どこからも持ってこれないと、雰囲気自体がただのポストカートのごとき薄っぺらな一枚絵にしかなりません。短編映画でなら効果を生み出せると思いますがストーリーのある物語としてちょっと辛いです。

画面の調子は技術的にも美術的にもこだわった作りになっています。ここはさすがというべきところです。
のっぺりした色調やHDRを過剰に処理したような独自の画面は個性的と言えば個性的です。
のっぺりした画面の調子は、浮世絵などの単純化した美術と同一であり、嘘くさい世界を構築するための重要な要素と言えます。でもなんかのっぺりしてるだけというふうにも感じます。

そしてそもそもこの「めがね」というタイトルはどういうこった。「特に意味はなく、タイトル決定後に登場人物全員めがねを掛けることにした」とのこと。
おいおい、長編映画作ってそのタイトルに「特に意味はない」とは何事か。めがねをかけたからめがねなのか、タイトルがめがねだからめがねをかけさせいたのか、どっちなんだい。

・・・ちょっと貶しすぎなので反省してみます。

この作品がなぜこれほど不愉快かというと、目指していることや作ろうとしてることが理解できるからです。しかもその方向、決して嫌いじゃありません。いや寧ろ好きです。
つまり好きだからこそ過剰さが鼻につき、脚本と演出の稚拙さが羞恥心を呼び起こすんですね。
この映画を好きでも嫌いでもない人、どうでもいい人にとっては私のこの悪態は意味が分からない醜態あるいは近親憎悪にしか見えないはずです。
少々気に入らなくても「惜しかった」程度の感想文に留めておけばよいはずなのですよねえ。

やはり貶すのはあまりよろしくありません。反省(反省だけ)

では褒めるところ。ありますよ、褒めるところ。

かき氷のシーンはキモいだけですが、小豆を炊くところは自然でよかったですね。エビを食うところとか。食事シーンは悪くないです。梅干しのところのセリフは勘弁してくれだけど。「マリンパレス」ネタも面白いし、薬師丸にもびっくりでした。自転車の後ろに乗って羨ましい、っていう嫉妬のシークエンスも良いですね。もし前後がちゃんとしていれば大変よいシーンになっていたでしょう。残念でしたね。

以上、褒めるところも沢山ありました。

総論としましてはこの映画は「超恥ずかしいベタベタな青春ドラマ」と同等の「ベタベタ雰囲気ちゃんのアンニュイサブカル映画」であると言えましょう。
それはそれで、ある種の人々やある世代の人々にとっては必要な映画であるとも言えるし、通過儀礼的な必要悪の一種かもしれません。

評判の「かもめ食堂」を見る前にこっちを見てしまいましたが、どうでしょうか「かもめ食堂」は鑑賞しても平気でしょうか。

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