運命のボタン

The Box
運命のボタン
公開年:
2009
製作国:
監督:
主演:
出演:
  • ジェームズ・レブホーン
  • ホームズ・オズボーン
  • セリア・ウェストン
  • デボラ・ラッシュ
  • リサ・K・ワイアット

郊外の住宅地に住む中産階級家族に届いたボタンの付いた箱。「このボタンを押すと1万ドルを手に入れる。代わりに知らない誰かが死ぬ。決断は24時間以内」

運命のボタン

こういう、星新一かフレデリック・ブラウンかというような寓意的設定のシチュエーションSFってのが懐かしい感じですよねえ。え?原作はリチャード・マシスンですか。あまり存じてませんがホラーやファンタジー系の作家で「ヘルハウス」や「奇蹟の輝き」など映画にも関わってる人ですね。
もともとは短編なんでしょう。未読なので以下は原作どうのこうのってのは切り離したいと思います。

で、話の骨子は思いのほかいい感じです。
こういう、良いテーマと物語で、ちゃんとした撮り方のちゃんとた映画で、それでいて出来が惜しいのに当たると何とも身をよじるような気分に陥ります。
嫌いで駄目な映画だったらいいんです。放っとけばいいんだから。でも悔しいんですよねえ、良い設定なのになあ。良いオチだし、役者も頑張ってるし。
惜しいなあ。

何が一番駄目かというとやっぱり観た人はみんな感じてると思うんですが中盤の余計な展開ですよ。原作を無理に引き延ばしたんでしょうかね。
あぁあやっちまったなあ、っていう小馬鹿SF展開です。何あれ。図書館とか。意味あらへん。
しかも今時ナンチャッテ2001年シーンにまた出会ってしまうとはビックリです。
そういや冒頭シーンからやたらシンメトリックなナンチャッテキューブリックな構図が鼻についていたんですよね。

もうひとつ惜しいのは人間の描き方の軽さです。
一体全体、何のためにキャメロンディアスが身体障害にくじけず頑張ってきた伏線を用意したのか。あの性格設定なら、障碍があっても家族で手に手を取って生きていけるじゃありませんか。なのに結局「障害を持って生きるより死んだ方がマシ」と言わんばかりのあのあっさりした絶望感、あれは全くいただけません。

いいオチを中途半端に仕上げてしまったのはそこらあたりの人物設定の詰めが甘かったらからだと思えます。最後の葛藤はもっと精神的にぐちゃぐちゃになってしまうように描けた筈なんですよねえ。惜しいですねえ。
監督はドニー・ダーコの人なんですね。10年経っても表面的な雰囲気映像にだけ力を入れる姿勢は変わっていませんね。

あまり書くとネタが割れてしまうので書けませんが、あのままの物語でももっともっと良作に仕上げることができたはずだという残念感が消えませんです。

さて気を取り直してひとつ気付いた面白い部分ですが、物語の設定が70年代ってことです。
原作の設定に合わせたんでしょうが、それだけでなく、私が冗談で予言したように映画の世界では70年代が必要とされてるんですよ。
まず携帯電話がありません。これは大事です。電池が切れたとか圏外だとか、携帯が使えない理由を映画内で説明しなくても済みます。
それから、人の心が今ほど荒んでいませんから、初対面の人と対話ができたり、家に招き入れたりするシーンが撮れます。そうそう、謎の荷物を受け取るとかね。
こういうシーンは、まだまだ暢気さが残っていた時代の設定にしないと不自然になってしまいます。

もう一つこの映画で70年代設定の必要性は、郊外の住宅地に住む中産階級の経済事情ってのもあるようです。見栄を張るけど実はギリギリ、みたいな。でもって、赤の他人が死ぬことには無頓着で我が身が大事っていう価値観もそういうところから生まれてきたんでしょう。

話の骨子は良いし技術もあるし、ところどころ良い映像や演出があります。決して駄作ではありません。

キャメロン・ディアスも頑張ってますし、最初は「こんなやつでいいのか」と思っていた旦那役のジェームズ・マースデンも頑張っていて立派です。なにより、彼がいたからこそ成り立った話と思えるほどの説得力のある演技を見せたフランク・ランジェラが大したものです。
でも全体的にはこの映画は散漫で普通です。非常に惜しい一品でした。

ところで、我々からすると因果応報だとか、いつか我が身にだとか、そういう考えが根深いですから運命のボタンにはまず手を触れないでしょう。もし日本での設定なら映画がなりたちませんですね。


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