隣の女

La Femme d'à côté
隣に越してきたのは昔の恋人。
隣の女

フランスは愛の国。愛に寛容であり、愛のなせる罪にも寛容です。そういう土台が大変面白いのです。正直、ちょっと笑えるほど面白いです。
愛に寛容であることのみならず、それを公言して憚らない潔さはある種の格好良さに繋がります。はいな。ちょっとカッコいいんです。

はい。「イメージで語るフランス映画」の時間がやって参りました。
何となく思い込みだけでフランス映画のことを「お洒落なおフランスのお上品な映画ざます」なんて思ってませんか? そのイメージはどこから来たのでしょう。大きな勘違いですよ。シェーざますか。
シェーの世代は古すぎてアレですが、実は若い世代にもどういうわけかおフランスはお上品ざます的イメージが定着しているらしく、フレンチキスのことを全く逆である軽いキスだと思い込んでいる連中もいるらしいのですね。あるいは「アメリ」を可愛らしいピュアな女の子の話と映画を見もせずに、いや見ていても尚思い込んでいる連中とか。象徴的ですね。印象が現実を打ち負かしてでもいるのでしょうか。

フランスは愛の国であって、愛とは即ち性愛、きれい事どころか、肌と肌、粘液と粘液のねちゃくり合いの世界ざます。シェー。

ということで「隣の女」は、そういうフランスらしいドロドロの愛の映画でありまして、確かに家や雑貨はお洒落に見えますし気候もよろしくてテニスコートなんぞ出て参りまして絵本を描くなんてどこぞのトレンディドラマみたいな設定もあって、ベースとして心地よいのですが、やはり心地よさだけに留まらず、フランスならではの捻くれた作品となっております。
ドロドロの恋愛沙汰を呆れるほど淡泊に描き、周辺の登場人物に得も言われぬ味わいを持たせていますね。
ファニー・アルダンをカッコ良く撮りたいだけちゃうんかと思わんばかりのトリュフォーの演出は一方ではヌーベルバーグの先兵らしくありまして、nouvelle vagueとは即ちNew Waveつまり新しい波でございますから、何やら実験的で新しい撮り方なのでございますね。
しれーっとして淡々として飄々として黙々としてドタバタとした感じで撮り上げました。

そんなこんなでフランソワ・トリュフォーはこの「隣の女」のような気の狂ったような愛の映画を完成させ、ついでにファニー・アルダンを手中に収めたと、こういうわけでありますね。

忘れてはならないのがジェラール・ドパルデューでして、まあみなさん、この方は71年ごろからたくさんの映画に出演されているフランス映画界を代表する名優ですよ。二枚目から渋いおじさんへ、どんな役でもカッコ良く決めます。
「隣の女」の二枚目が「カミーユ・クローデル」などを経てそれがまあ、あなた、2001年には「ヴィドック」ですからね。すごいもんですね。妻(キャロル・ブーケ)も息子(ギョーム・ドパルデュー)も娘(ジュリー・ドパルデュー)もみんな俳優さんです。息子のギョームは残念すぎる夭逝でございました。

白状しますと私は映画好きではありましたが俳優のことは全く何も知らずに何十年も過ごしており、このブログを始めてから初めてちらほら名前を覚えだした程度なのでございます。「ヴィドック」の時は、最後に出てきたヴィドックを見て「誰やこのでぶのおっさん」と思っていたのでした。「デブのおっさんにしては張り切って演技しとるやないけ」と微笑ましく見ていたのですが、まあ大物俳優さまでおられたわけなのですねえ。あの時は何も知らぬとは言え、失礼いたしました。

なんだかおフランスでシェーの影響か、文体まで変になってきておりますゆえ、今日はこのへんで。ではごきげんよう。

2010.01.27

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