バンテージ・ポイント

Vantage Point
国際会議で起こった狙撃事件を、同時刻の8人による視点で描き出す。
バンテージ・ポイント

これはいい。こういうアイデア大好き。

あるひとつの出来事に遭遇する複数の人々、同じ事件を別の角度から描く事によって少しずつ全貌が明らかになるサスペンス。

たいへん文学的な試みであり、想像するだけでくらくらするような面白い物語が描けそうです。繰り返しとそれに含まれる微々たる差違。その差違から時系列とは別の新しい物語の進行を作り上げるという難題への挑戦です。

しかし実際にやるとなると、実験的になりすぎて普通に人がついて行けなくなったり、マニアックになりすぎて何度も反芻しなければ理解しにくくなったりしがちです。

もちろん個人的にはそのような高度なものも求めたいところですが、おっとどっこい、これは娯楽サスペンスです。

実験的になったり難解になるのを避けねばなりませんし、わかりやすさも必要です。

この面白そうなアイデアを、どのように娯楽映画に仕上げてくるか、なるべく文学的な過剰な期待をせぬよう自分に言い聞かせながら鑑賞する必要があります。

てなわけでこの作品、実験文学的な要素を極限までそぎ落とし、娯楽大作として成立させることに成功しました。

繰り返しの美学を保ちつつ、ちょっと慣れてきて観客が飽き始めた頃に新しい展開を付け加えていくさじ加減はなかなかに絶品。

アイデア倒れになることなく、ちょうど良い湯加減で娯楽サスペンスの王道を突き進みます。

正直なところ、もうちょっと深みをもたらすとか、もうちょっとだけ実験的であるとかすれば個人的には大変なツボだったと思うのですが、まあそのあたりはターゲットの客層などを考慮に入れての仕上げなのでしょう。いいと思いますよ。

話はちょっとそれますが、物語の中で繰り返しを登場させると言えば、まず童話を思い出しますよね。

同じパターンが続いて、最後にちょっと変化するんです。

繰り返すことによって子どもは物語を予想することが出来て楽しいんですよね。

でも実はそういうのを好きなのは子どもだけじゃありませんで、繰り返しの心地よさは大人だって大好きです。実は私も大好きです。

大きな繰り返しより、小刻みな繰り返しが尚気持ちよいです。

もっともっと小刻みにするともっともっと気持ちよいです。で、これは音楽に通じます。

昔の音楽ではフーガなんかそうですね。ペールギュント組曲の魔王の部分も狂騒的な繰り返しです。そして決定打はミニマル、アフリカの音楽と、こう来ます。

小刻みなリズムの繰り返しは大きなうねりを創り出し、それはトランスへ繋がります。音楽の基本は呪術のトランス状態であるからして、私どもも果てしなく繰り返しを追求しているのでありますね。

でもってそこにエンターテインメント要素として変化や驚きを挿入していくという、曲作りと物語作りは同じ根っこを持っているんですよね。

筒井康隆氏の「ダンシング・ヴァニティ」はミニマル音楽と実験文学とエンターテインメントの史上最高の融合作品で、映画「バンテージ・ポイント」に過剰な期待を持ちすぎないとは、まさにこのことを指していたのでありました。

と、なんだか映画の出来は普通に面白い程度なのに、関係ない訳の分からない話になって参りましたのでここらで切り上げておいとまさせていただくことにいたします。

ほんというと観てからちょっと日が経ってるんで細かいところを覚えていないんですよ。どうもすいません。フォレスト・ウィテカーさん(通称、黒人の鶴瓶)がたいへん良い笑顔だったのは覚えています。

2009.03.10

このエントリーをはてなブックマークに追加

[広告]

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です