羅生門

羅生門
「羅生門」は1950年の作品だったんですって。すご。
羅生門

この「羅生門」、デジタル完全版なるDVDが発売してるんですね。完全版とか、そういう言葉やめましょうや。までもいいことです。映画復元の第一人者を迎えてのデジタル復元、すばらしい。こういう古い作品をいつまでも残そうという動きいいですよね。

というわけで我が家の奥様未見シリーズで俄に浮上した黒澤明作品ですが、とても個人的な意見を元に私が判断したところによると、この「羅生門」はぜったいに外せない一品となります。何をさておいてもこれです。黒沢作品にこだわらずとも、映画史上的にもこれです。個人映画史上的最高大傑作集にもこれです。

もちろん「羅生門」を観ていない人はいないのでどのような作品かぐだぐだ述べる必要はありませんが、これは芥川龍之介の「藪の中」を原作とするお話で、一部「羅生門」からの題材も含まれます。この映画を観たからといって芥川の「羅生門」を読んだ気になってはいけません。え、そんな人いないって。はいすいません。
では観ていない人のためにどんな話かちょっとだけご説明しますと、荒れた羅生門に雨宿りに来た三人の男、そのうちひとりの下人がある事件について語り出します。そのひとつの事件を、関わった人それぞれの視点で別の角度から物語られます。別視点での同一事件の繰り返しと、別視点による大きな差違が現れます。いったいどの視点が正しいのか、どの視点が嘘なのか、真相はどうなのか。と、事実としての事件レイヤーの上位に位置するこの視点平行レイヤーとも言うべき”視点別事件”をそれぞれ描きながら映画は進みます。

この、それぞれの視点による平行レイヤーが、それを物語るさらに上位のレイヤー下にありまして、それがつまり雨宿りの羅生門の世界となります。
まあなんとすごいですね。ひとつの事件を複数の視点から描いて膨らませていく上に俯瞰レベルのレイヤーが同時進行するという、そしてその全てを包み込む映画レイヤーは寓意的な意図を含みながら慎ましく進行するのです。しかもそれらがややこしい世界をまき散らすことなく簡素かつ明確である点がまたすごいです。インランド・エンパイアも適いません。バンテージ・ポイントごときは真っ青で逃げ出しますよ。
それぞれの平行レイヤーが、演者の振る舞い、画面の絵的構図共に独自の色を放っており、まるで繰り返しを含むオムニバスのように進行します。

雨の朽ち果てた羅生門レイヤーは、語られる視点平行レイヤーが一段落つく毎に随所に顔を出し、こちらはこちらで登場人物の心的変化のストーリーを進めます。
そうやって語られる物語と語っている世界が交互に影響を与えながら、最後にはですね、ま、最後まで書くこたないか。深い感動の波が押し寄せ、志村喬の顔や振る舞いに圧倒されるでしょう。

しかしまあこの作品は唯一にして絶対、まるで全知全能みたいですがどんなに褒めても褒め尽くせない名画中の名画でありますねえ。

なんつっても文学的で実験的です。描かれる物語も特殊だし描かれ方がまた特殊。役者もいいし芝居もいいし演出もいい。絵面も構図も藝術作品のごとき美しさ。アングラ感もあれば変態的でもあり、かと思えば人間味あふれる情感もたっぷりで欺瞞と嘘と愛と人情を分け隔てなく表現しつくします。

このような作品が1950年に作られてですよ、この後どうしましょ。どうにもなりません。助けて。何を書いているのか。

というわけで私にとって何度目かの、奥様にとっては初見の「羅生門」、改めてその凄さに感じ入り、深く深く感銘を受けてその感銘の空気が葛湯となって映画部屋に充満し、どろどろに膨れて息も絶え絶え、にゃんこもにゃーの大荒和でございました。

褒めすぎて疲れてきたので顰蹙を買う前に今日はこのへんで。なぬ。もう顰蹙買ってますか。そうですか。どうぞご勘弁を。

1951年ヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞。日本映画、黒澤明を世界に知らしめるきっかけとなりました。
1982年には、過去のグランプリ作品中最高の栄誉金獅子賞に選ばれました。さすが見る目がお高い。

2009.02.20

でも当時は難解すぎて不評だったのだとか
でも世界での評価を受けて偉いさんの態度がころっと変わったのだとか

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