この森で、天使はバスを降りた

The Spitfire Grill
服役を終え、北部の田舎町にやってきた少女が住み込みで働くことになったレストラン「スピットファイアー・グリル」の物語。
この森で、天使はバスを降りた

まず邦題、気持ちは分かるが狙いすぎて若干キモいタイトルとなっております。確かに、森多き田舎町で天使のような少女がバスを降りました。しかしこのタイトルは何か違う。少女は服役を終えた元犯罪者という設定で決して天使ではない。結果的に天使のようだと観客が感じることはあるけれど、それをタイトルにして押しつけるなと。

原題は「スピットファイア・グリル」です。スピットファイアとはイギリスの戦闘機のことで、第二次世界大戦においてイギリス空軍を始め連合軍で使用され50年代まで使用された、日本で言うところの零戦みたいなニュアンスかな?そういう名前のレストランです。田舎の保守的な頑固おばさんが経営するレストランにぴったりの名前で、この映画はこのスピットファイア・グリルのお話です。

映画の冒頭は、刑務所内で観光局の電話サポートの仕事をする服役囚女性パーシーのシーンです。 短い冒頭シーンには多くの内容が詰まっています。まずパーシーが服役囚であること、電話の相手に対してフレンドリーに接しお客のためを思ってアドバイスする親切心を持っていること、何か尋ねられれば自分のことも楽しく会話する素直な心をもっていること、仲間の囚人と仲が良く好かれる人柄だということ、仕事で行っている観光案内の中身に関して真面目な思いを持っていること、自然が好きなこと、読書家で、服役中に成長をしたであろうこと、煙草の吸い方がカッコいいことなどです。

実は私、この冒頭をiTSで見て、一気に気に入って本作を観てみたのでした。

←iTSでこの冒頭シーンを”予告編”として見ることができます。

話はずれますが、iTSでは予告編と称して冒頭の数分をそのまま流すデモ視聴が多く、これがけっこういいんです。予告編にはネタバレやストーリーバレの無頓着な編集が多くて、冒頭だけ見せるやり口は好感が持てます。もっとも、各社ロゴとタイトル表示だけで終わってしまうようなのもありますが。

大変に丁寧な映画です。名作の予感すらあります。実際、細かいところを取り出してそのひとつひとつを噛みしめてみれば、如何に良作の要素を備えているか、如何に主人公パーシーの人柄が素晴らしいかを確認できるでしょう。
邦題に「天使」と付けたくなって当然の、まさに天使のようなパーシーです。

パーシーが森多き田舎町ギリアドにやって来た理由は、見知らぬ土地で人生の再出発をしたかったことに加えて、観光案内をやっているときに客に案内したギリアドの森や滝の景色に心を打たれ気に入ったからです。きっと美しい場所だろう、きっと心優しい住民が暮らしているだろうと思ったであろう設定です。

実際には田舎の排他性と対面することになります。田舎独特の厭らしい奇異の目線や余所者に対する反発、元服役囚である事による差別的偏見にさらされます。

スピットファイア・グリルで働くうち、旦那にアホ扱いされている主婦シェルビーとだんだん仲良しになっていったり、経営者ハナの信頼を得ていくというハート・ウォーミングな展開をしていきますが、これもちっとも臭くありません。細部に拘った丁寧な演出と演技によって、この本筋の展開は素晴らしい出来となっております。

パーシーを演じるのは1970年生まれのアリソン・エリオット。もっと大女優になってほしかった。おじさん、この映画のこの子の虜になってしまいました。きっと誰もがそうなるでしょう。69年とか70年生まれの人はほんといいですね(私感)

ジム・キャリーにそっくりな田舎ものの馬鹿旦那にアホ扱いされるシェルビー役はマーシャ・ゲイ・ハーデン。かわいい声のかわいい奥さんがよく似合う。「ミスティック・リバー」の役どころとちょっと似ていて印象深いです。この女優さんが「ミスト」の宗教おばはんの役だったと知って驚愕しました。実力派です。

頑固経営者ハナはこれまたベテラン、エレン・バースティンです。この映画の4年後「レクイエム・フォー・ドリーム」で依存症の廃人を演じきって注目を集めました。この作品では頑固ばばあを見事に演じます。

見事な脚本、見事な演者たち、見事なパーシーのキャラクター造形、繊細な表現、レストラン「スピットファイア・グリル」を取り巻くこの映画の良さは見ている最中にもビシビシ伝わります。
このような名作を今まで見逃していたとは何ということか、と思いながら物語に没頭、映画は進み、クライマックス近くには「終わってほしくないなあ」という気分になっております。
映画を見ていて「終わってほしくない」とはどれほどの賞賛の言葉でしょう。

1996年、サンダンス映画祭で観客賞。

そしてこの映画はここまでです。ここまでは名作。この後、印象は180度変わります。この後は残念映画へと落ちていきます。

この後、重大なネタバレを宣言します。ネタバレなしにこの後を語ることができません。趣旨に反していますが仕方ありません。14年前の作品とは言え、これから本作を見る方はどうぞここまでにしておいてください。

一旦ここでコマーシャル。

この森で、天使はバスを降りた

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コマーシャル終わり。

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これ以降、重大なネタバレです。

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天使のようなパーシーが田舎ものの心を解きほぐしていきますが、クライマックスには事件が用意されています。

そもそもこういうハート・ウォーミング系レストラン物語に大きな事件など必要あるんですか。すでに小さな事件を大きく描いてきたじゃありませんか。なんか安っぽくないですか。火サスですか。

というわけで死にます。

へ?

と思いますよ。みなさんきっと。
人が死ぬような話しではなかったはず。しかも死をアホみたいに単純に描きます。物語として安易すぎます。「死んで悲しい感動したー」とでも思わせたいのでしょうか。物語の構築ができない素人の発想です。

更に酷いのが殺したきっかけを作るジム・キャリー似のおっさんが葬儀で演説するところです。
お前、人死なせといてその言い方なんやねん、と誰もが思う軽すぎる演説です。それは反省したという意味なのか、パーシーは死んじゃったけどぼくいい人になりたいな、ですか。馬鹿じゃなかろうかと。

これまで描いてきた丁寧な描写をすべて無駄にする恐るべき駄目セリフ。

さらに恐ろしいのはエンディング近くの街と人々の景色です。

妙に明るく空々しく、排他的な田舎ものが社会性豊かな人々になりました的な厭らしい気持ち悪い景色です。頑固ばばあも満面の笑みです。
街全体が自己啓発セミナーにハマっているかのような不気味さです。
「パーシーは死んじゃったけど私たち社交性を身につけたわ。パーシーの死はいいことねっ」と言わんばかりです。気持ち悪すぎます。

丁寧に描いてきた人間ドラマを、安っぽい死ですべて無駄にして自ら映画の価値を台無しにしたのです。
せめてもの救いはシェルビーが離婚したことぐらいですが、そんなものパーシーの死に値する結果とは思えません。

この映画の最後の印象はこうです。

「田舎ものが一旦は心を許したものの、結局余所者のパーシーを嬲り殺した。嬲り殺した結果、街には平和が訪れた」

これほど主人公の死に対して製作陣を恨みに思ったことはありません。まるでミザリーになった気分ですよ。「作者め、よくも主人公を殺しやがったな」です。これほどの怒りが湧くのも、そもそも本編での人間の描き方が良すぎるため、すっかり感情移入してまるで本当にパーシーが殺されたかのように思ってしまうからです。
この安っぽい死に怒りを感じること自体が、それまでの映画の出来が良すぎることによる反発という点が皮肉であります。

監督と脚本はリー・デヴィッド・ズロトフその人。製作会社からとやかく言われてこのような展開にしたとも考えにくい。これはこの監督が田舎もので、田舎ものの恐ろしさを無自覚に描いたとしか思えない。

あるいは、気負いすぎて「ここらで派手にやらかそう」と色気を出してしまったのかもしれません。

あるいは、シナリオ上パーシーは観客が見ても実は悪い子かもしれないとサスペンス的に不可解な存在であった筈が、役者も良かったためついうっかりクライマックスまでのドラマを上出来に撮ってしまっただけとか。

何にせよ、パーシーの人柄に惚れまくって目がハート化している鑑賞者は、持って行きようのない厭な辛い気持ちを味あわされ、奈落へ突き落とされます。

さてさて、クライマックス以降が稚拙で安っぽくてくだらなくて最低だという評価は皆さん同じだと思いますが、ここからが本レビューの新しい展開です。

見終わった後、映画部にて怒りを発動して騒いでいるあいだに、この映画の真のテーマと、ある映画作品との類似点を発見しました。
アメリカの排他的田舎。そこにやって来る余所者の美女。彼女の魅力で閉鎖的な田舎がだんだん良い雰囲気になってくる。いい話だなーと思ってると後半女性が酷い目に遭わされる・・・・。
監督自身が気付かない裏テーマ。この映画、一人の女性の力によって田舎ものがいい人に変身する話ではありません。田舎ものは最後まで田舎ものです。ラストシーンの不気味な笑顔は、監督の狙いとは裏腹に、余所者の死によって安泰となる不気味な田舎パワーを見せつけます。

この映画をあるデンマークの映画監督が見たとしましょう。

私と同様、その映画監督もこの映画を見てパーシーに惚れました。
「パーシーちゃん最高っ」
最後、田舎ものの恐ろしさを感じました。
「田舎者め死ね。だから夫婦げんかのシーンでジム・キャリー似のおっさんにやかんの湯をかけて殺しておけば良かったんだ!」
しかし本作の演出家はどうやら無自覚のようである。
この映画の真の価値は、天使のような心を持つ人間が田舎ものによって嬲られ殺されるアメリカの田舎の恐怖を描いたところにあるのだ。アメリカ人の田舎者め、ムカつく。
よし、ひとつこの映画をリメイクしてやろう。と思いつきます。
オチはもちろん死なせずにいくぞ。この田舎ものどもを機関銃で一網打尽にしてやる。と、このように考えていきます。
これこそアメリカ人の田舎者としての真の姿だ。よし、この作品を「アメリカ三部作」の最初の話にしてやれ。これでパーシーちゃんの仇を取るぞっ。

こうして「スピットファイア・グリル」のリメイクとして「ドッグヴィル」が出来上がりました。

「ドッグヴィル」との大いなる共通点、これを発見したのが映画部での議論の末の収穫でした。トリアーさん、どうです?図星でしょ。

と、冗談めかした本気のような冗談みたいな本気の冗談は以上です。

さて、やらかしてしまった監督・脚本のリー・デヴィッド・ズロトフはこのあとどんな仕事を為し得たでしょうか。

85年にテレビシリーズの企画をし、「ザ・エンフォーサー」という映画を脚本・監督したのち本作「スピットファイア・グリル」を作り上げましたが、その後の作品が見あたりません。

この映画で観客の怒りを買い、せっかくの才能は泡と消えました。
クライマックス以降に下手な色気を出さず、きっちりハート・ウォーミングで撮り終えてさえいれば、きっと名作として映画史に残り、名監督と言われ世界で人気を博したことでしょう。
残念ながら一度の失敗が命取りになるという厳しい現実を見たような気がします(実際はなぜ消えたのかは知りませんが)

・・・というような冗談とも本気ともつかぬ戯言はともかく、このように観客がミザリー化するほどにこの映画、最後主人公を殺すところ以外はとても素晴らしい映画でした。

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