善き人のためのソナタ

Das Leben der Anderen
1984年、壁崩壊前の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)のフィースラー大尉が、反体制の疑いがあるという劇作家ドライマンを盗聴、監視する。「善き人のためのソナタ」は2008年の涙腺決壊映画。ウルリッヒ・ミューエの姿を焼き付けよう。
善き人のためのソナタ

シュタージのフィースラー大尉がすべて。冒頭のめちゃ怖い堅物のイメージから最後まで、ずっと無表情で感情を表に出さず、しかしほんの僅かな目の動きや口元だけで見るものの心を動かす名演技が見物です。
演じているのはウルリッヒ・ミューエ。誰かわかりますか。「どこかであったことがあるような・・・」と思いながら観ていたのですが、なんとまあ「ファニーゲーム」の父さんじゃありませんか。どっひゃー。
その道の詳しい人には当たり前の有名俳優でも、あまり知らない 人間としてはこういうときにほんとびっくりします。

ウルリッヒ・ミューエは東ドイツの革職人の息子として生まれ 、兵役で国家人民軍に入隊しベルリンの壁の国境警備をしていた経歴の持ち主。
旧東ドイツ時代にはシュタージの監視下に置かれ、当時の妻、女優イェニー・グレルツマンに監視され密告されたと言われています(後に彼女はこれを否定)
つまりこの映画の劇作家と同じ立場に立っていたんですね。その彼が、監視する側を演じるという、これはもうこの俳優ありきの映画なのでしょう。

監督は若い フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。この映画を作った当時は33歳とかそんな頃で、いやはや、たいしたもんですね。でもウルリッヒ・ミューエに大きく依存しています。

ウルリッヒ・ミューエは83年から映画に出演しており、89年の壁崩壊以降は西側にも知られるようになりました。ミヒャエル・ハネケの『カフカの「城」』「ファニーゲーム」に出演し、その後ゲッペルスやユダヤ人虐殺のナチス将校を演じ注目されたそうです。この人の顔、優しそうで童顔なんですが無表情な時の底知れぬ怖さがナチの役にぴったりだったりすんですね。

2006年の「善き人のためのソナタ」では多くの映画賞を受賞し、世界的な知名度を手に入れましたが、2007年、癌であることを発表した翌日に急逝。残念すぎます。損失です。

「善き人のためのソナタ」という邦題ですが、原題は「他人の人生」です。のぞき見ていることを指してるんですね。「ソナタ」もまあ重要な構成要素ですが、邦題は意味を限定しすぎていて「ソナタソナタ」と思って観てしまうと肩すかしを食らったような気分になるかもしれませんのでご注意を。

というわけでこの映画、なにやら感動感動涙涙という世間の声がでかすぎて敬遠していたのですが、観てみると普通に大変面白い映画で140分弱の時間があっという間に流れます。べつに感動大作とか泣きじゃくりみたいな映画ではありませんで、心は突き動かされますがどちらかというとハラハラどきどきそわそわハタハタする映画です。ハタハタってなんだ。

壁崩壊前の腐敗官僚による瀕死の東ドイツを描きますが、話の内容は社会派というよりも文化系です。社会や人間に対する芸術の影響力をさらりと描きます。つまり芸術は人の心を動かし社会をも変える力を持ち得るというポジティブな視点ですね。力強いです。
しかしその一方で、では芸術で心は満たされても腹は満たせるのかというとそうとはいえず、最後のほうの悲哀を感じるシーンへと繋がります。
そもそも芸術とは何でしょう。私の信念と致しましてはそれは常に社会への警鐘と啓蒙です。 社会との関わりの中で芸術は意味を持つものです。この映画で、大尉に与えた影響こそ芸術の本来の役割なのですね。

ソナタと舞台が、影響を与えた芸術として描かれます。実はもう一つ大事な芸術が出てくるのですがそれは最後までご覧になれば一目瞭然、本屋の短いシークエンスこそがこの映画のまとめに相応しい素晴らしいシーンであったと、観た人は全員思うでしょう。「感動感動涙涙」と言われる所以は全てここにありました。
先ほどは「泣くような映画じゃない」と書きましたが、すいません、最後のウルリッヒ・ミューエの一言で涙が溢れました。

ヨーロッパ映画賞 最優秀男優賞受賞
ドイツ映画賞 最優秀主演男優賞受賞
バイエルン映画賞 最優秀男優賞受賞
ドイツ映画批評家協会賞 最優秀男優賞受賞
アカデミー賞外国語映画賞

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