ジョニー・マッド・ドッグ

Johnny Mad Dog
アフリカ各地で起きている内戦の現実を直視。戦場にかり出される少年兵たちをリアルに描き出す「現実突きつけ系」映画。
ジョニー・マッド・ドッグ

いきなり登場する子供たちは手に機関銃を持ち、村や町を制圧していきます。殺しと略奪とレイプを繰り返す軍人らしい狂気を孕んだ子供たち。主人公ジョニー・マッド・ドッグは彼らを率いて「人々と平和のため」と称して野獣のように進軍します。
まるで大人の普通の軍人の悪いパロディです。年端もいかぬ子供が無抵抗の人間を殺戮してはしゃぐ様はある意味子供らしくもあり、その子供っぽさがまた恐ろしくもあるんですね。
世の中で最も恐ろしいのは武器を手にしたアホと子供です。彼らには理性も知性も慈悲も感情移入も想像力も何もありません。

この作品は子供たちの暴力をとことん描き続けます。何となく人間らしいドラマが展開されるのではないかという淡い期待はことごとく裏切られ、ひたすら突きつけられ続ける殺戮に見ているとだんだん神経が麻痺してくるでしょう。

で、この作品、そういう恐ろしい様を淡々を描き続けているのかというと実はそうではなく、バイオレンスシーンを割と格好良く撮ります。アクション映画としてもかなりの面白さです。
少年兵たちの合い言葉や歌も非常にカッコいいし、わざとスタイリッシュに演出しているのは何かの狙いに相違ありません。

少年兵たちを格好良く撮っているのを見続け、少しでも「カッコいいな」と思った瞬間、私たちは共犯者です。

レイプや殺戮を屁とも思っていないジョニー・マッド・ドッグが女を口説こうと「おれは女子供は殺さねえよ」と言ったとき何某かの美学を感じ取って「こいつ、カッコいいやつだな」と少しでも思った瞬間、私たちは共犯者です。

なぜ少年たちが武器を取って戦うのか、貧困なるものたちに武器を与えているのは誰なのか、内戦を煽っているのは誰なのか、人殺しの根本の原因がどこにあるのか、そういったことを少しでも考えれば、この映画を映画として楽しむ私たちは完璧に子供を戦場に駆り立てる側の共犯者であるということがはっきりと自覚できることでしょう。

この映画、ドラマ的な人間の配置をきちんと置きながらも、つまらない展開をせずにきっちりとやり通します。

ツォツィ」みたいに成長したり優しくなったりすることもなく、「シティ・オブ・ゴッド」のように知性と文化のドラマというわけでもなく、この映画の少年兵に人間らしさを取り戻すチャンスはほぼありません。その絶望感や悔しさや無念を彼らの行為の中から描き出した力作です。安易にドラマに逃げなかったラストシークエンスの印象はかなり良いです。

少年兵の役の子たちは本当に少年兵だった子だそうです。リアルさが半端じゃありません。まさに「直視せよ」系ですね。

この映画の舞台は制作国でもあるリベリア共和国だと思われます。

リベリアは西アフリカの出っ張りの下方に位置する共和制国家で、公用語は英語です。
アメリカで解放された黒人奴隷によって建国され1847年に独立しましたが、クーデターや2度の内戦により混乱状態が長く、経済も悪化したままの苦しい状況です。
内戦終結後は暫定議会を有し、2005年に大統領選挙を行い女性大統領が選出され2006年に正式政府が発足、2011年10月に選挙が行われる予定とのことです。
教育にも問題が多く、就学率、識字率ともに低い数字となっています。

教育大事。学ぶことによって多くのことが防止できます。識字率を上げることによって他者への想像力が生まれるからですね。社会の歪みは子供に出ます。出てしまった子供はある程度育ってしまえばもうどうにもなりません。「悪魔か、犠牲者か」っていうキャッチコピーは良くできていますね。まさに「悪魔か、犠牲者か」です。呻ります。

第61回カンヌ国際映画祭ある視点。

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