精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱

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精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱
公開年:
2009
製作国:
監督:
脚本:
音楽:
  • ブライアン・レイツェル
  • ケン・アンドリューズ
主演:
出演:

ハリウッドのセレブ御用達、売れっ子精神科医ヘンリー・カーターとセラピーを受ける患者たちの群像劇的な物語。臭いドラマはこちらです。

精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱

物々しいタイトルはこの作品が比較的文芸的で渋めですよという宣言でしょうか。それに釣られて観てみました。
ケヴィン・スペイシーが落ち込んでいる精神科医を演じます。ロビン・ウィリアムズも出ます。彼らを含む役者たちの演技はさすがの域です。

「精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱」は決して見ていられないほどの駄作でもなければ最低映画というわけでもありません。
ある程度きちんと見せますし、いくつかのシーンはとても良いし、演出も悪くないし映像も綺麗だし演技も役者もいいです。
作風は、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥやギジェルモ・アリアガ、ポール・ハギス、ポール・トーマス・アンダーソンなどの群像劇風です。つまり「21グラム」「バベル」「マグノリア」「クラッシュ」「あの日、欲望の大地で」などですね。これら作品「風」です。手持ちカメラでブレを表現したりリアリティ重視の演出で上記映画の「ような」効果を狙います。
しかしながらその中身において、この映画は上記作品には全く届きません。それは偏に内容の貧弱さ脚本の稚拙さ表現の臭さのなせる技です。役者の演技もシナリオや演出の悪さをカバーすることは出来ません。
具体的にいくつかのシーンをご紹介しますと、例えばパソコンを前にアイデアが浮かばずイラつく青年は「くそ」とパソコンを床にたたきつけたりします。例えば思い悩んで自分がいやになっている女生徒が鏡を拳で殴りつけて割ったりします。例えば自分の書物が人の命を救えない無力感に襲われる医師はテレビ出演の本番中に「こんな駄目な本を読むな」と、自著を手に取りびりびりとやぶります。
く、くっさ〜。
これらはほんの一例で、全編この調子で類型的使い古されて半ば自動化され最早ギャグと化している心理表現を惜しげもなく出しまくります。言わば安いドラマ、海に向かって青春ばかやろーの類ですね。
これら一例をご覧になって「何が悪いの?じーんと感動するじゃん」と思われる方にはこの映画はおすすめです。
半ば自動化された類型的演出もそれがダイレクトに伝わるのなら何の問題もありません。

そう、そうなのです。類型的自動化されたオーソドックス表現でも、そこに面白さや必然があればそれ自体は批判しません。大事なオーソドックスもありますから、若年層向けの映画では特に寛容なつもりです。
この作品も若年層向けと割り切るなら特に問題ないのですが、実は主義主張出まくりのMovieBooとしてこの作品を批判するもっと重要な事柄が他にあるのです。

そうそう、貶してばかりでもいけませんので、気に入った部分を書いておきますと、この作品は人々の苦悩から開放の映画なのですが、舞台や人々が映画関係で成り立っています。映画業界や内幕もの、撮影ものや映画俳優ネタなんかがやっぱり好きなんですね。主要登場人物のひとり、神経症のプロデューサーに関しては人間の描写や出来事が面白いです。

そんな感じで決して駄目映画とまでは言えないわけで、本編の青臭さや稚拙な表現などは微笑ましい範囲内にあるとも言えるわけです。
にも関わらず本稿のこの批判的な姿勢はどういうわけでしょう。それは、本筋と直接無関係に見える些細な箇所から垣間見える匂い立つ下劣な思想です。
さてお立ち会い、映画を糞味噌に貶すのは随分久しぶりです。
ネタバレをしつつ何が下劣かお伝えしましょう。わくわく。
それと、この作品が好きな方はどうかここまでにしておいて他の記事をご覧になるか立ち去るのがよろしいでしょう。

では糞味噌はCMの後で。


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はい。
というわけでこの作品、主要なストーリーとは別に匂い立つ下劣な思想が含まれるというお話の続きです。

その思想を羅列するとすれば「良い子ちゃん」「厭味な優等生」「ミニパト」「ヤッピー」「差別主義」「合理主義」「権威主義」「キリスト教原理主義」「無駄の排除」「多様性否定」「優生思想」など、MovieBooで散々糞味噌に言ってきた現代的ファシストどもの特徴と完全一致する主張です。これが教育的発露とともに露骨に表現されているのです。

まず煙草への嫌悪です。心を病んだ医師は煙草を手放しません。「隣の家の少女」の悪役と同じく「悪い人=煙草」の軽薄な図式です。
さらに医師はマリファナを常用しています。マリファナはご存じの通り楽しい気分になり食欲が増すという効能があります。それを、この映画ではマリファナをドラッグとして扱い、「悪いもの=煙草=ドラッグ=マリファナ」の悪意ある誤用を行います。あるいは安い想像力による「印象としてのどらっぐ」という本編ドラマ部分にも通じる安さ青さを感じ取れます。
酒に関しても同じような扱いです。映画を作った面々がこれらを区別できない馬鹿とは思えないので、これはわざとです。
「良い子のみんなはタバコも酒もドラッグもマリファナも自由もモラトリアムも無駄な時間も非合理な行動もすべて悪なので真似しないように」という主張がこの映画の隠れ教育的テーマです。

エンディングは、今まで散々思い悩んできた面々がすべてハッピーエンドで満たされます。妻に自殺された医師は新しい恋に、自分をネタにされた少女は脚本家を赦し、脚本家は映画化決定で、まあ、馬鹿馬鹿しいハッピーエンドなわけですが、その中で犬だけが死んでおります。
この犬は医師が飼っている犬で、冒頭から登場する飼い主を信頼しきっている可愛くて良い犬です。医師が「不純なマリファナ」を吸い「妄想に取り憑かれ」た果てに犬を殺すんですね。なんじゃそら、どんな葉っぱやねん。もう無茶苦茶です。
ぶっ倒れる医師は命を取り留めますが犬は死んだままです。その件について、最後誰も話題にしません。酷いじゃありませんか。
ラスト近く、医師が語ります。「今までは煙を吸っていたがもうやめた」すがすがしいシーンです。犬を無視したまま煙草をやめて更生したしたってオチです。馬鹿じゃなかろうか。

少女は映画の半券を集めていましたが、この病的行動からラストは解き放たれます。集めた半券を夕焼けに向かって投げ捨てるすがすがしいシーンです。なんじゃそら。
オタク的な行動から更生したってオチです。

酒に溺れ浮気の虫に悩む大物俳優は理由もなく最後は良いおじさんになって「誘惑してくるゲス女」の誘いをキッパリ断ります。

・・・アホか。と。

つまりこうです。煙草は悪。酒も悪。ドラッグと同じ。オタク的趣味や外向きでない行動も同じ。これらは病んだ人の特徴。健康な人は煙草を嫌いオタクを嫌い酒を嫌い前向きの恋をして楽しく語らい出世して良い仕事に就きます。ペットを愛でるのは病気の証拠、動物は下等だから死んでも気にしない、人間さえいればOK。
若い女は基本売春婦で誰とでも寝る馬鹿だから相手にしない。潔癖症の神経症は微笑ましいだけで問題なし。

呆れる思想が噴出します。
肛門期固着の潔癖症患者によるウンコ主義、あるいは、文化撲滅キャンペーンです。

ただ青臭いだけのドラマなら好意を持って見れても、この気持ち悪い思想だけは我慢なりません。
脚本家がどのようなやつか知りませんが、深みのある群像劇映画の猿真似をしても底の浅さと思慮のなさは隠しきれません。
よくこんな愚かしいシナリオで監督したり出演したり出来たものだと呆れますが、煙草を毛嫌いしてるウンコ人間もアメリカには特に多いようだからこの連中もまとめてお仲間なのかもしれません。実際はわかりませんが。
基本的には好意を持って「こんなシナリオでも協力的なベテラン俳優や制作の面々は偉いな」と思ってますが。

というわけで久しぶりの罵倒によるブラックレビューでした。いやはや、罵倒って楽しいですね。思わず筆も走ります。筆で書いてはいませんけど。

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