アンチクライスト

Antichrist
アンチクライスト

2009年のカンヌで物議を醸したラース・フォン・トリアーの怪作。セックスの最中に子を亡くした夫婦のショックと自責と恐怖と罪そして悪魔。

アンチクライスト

2009年のカンヌ国際映画祭で上映され話題騒然になった「アンチクライスト」は、日本での公開が絶望視されたとか何とか言われながらも全国どさ周り公開も実現し、こうしてようやくDVDも発売されるという、ファンにとってはありがたいことになったわけですが、そもそも「日本で絶望視」というのは胡散臭いですね。別にカトリックの国でもないし、性には厳しく残虐に緩い(しかも国民に残虐行為を平気で行う)残虐国家ですから、何ヶ所かのぼかしを入れれば特に問題となるような作品とも思えません。

「アンチクライスト」はセックスの最中に子を亡くしてしまった夫婦の辛さ満開作品です。想像するだけでくらくらしそうな辛さです。しかしただ辛い夫婦の物語というだけではなく、タイトル通り悪魔的な恐怖の物語でもあります。またあるいは、物議を醸したように宗教的ジェンダー的な物語でもあります。

この作品の冒頭はハイスピードカメラで撮ったモノクロ映像によるセックスと転落事故の映像です。ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「涙の流るるままに」に乗って映し出される映像の美しさは、もうこの冒頭だけで一本の優れた短編映画の形相を帯びています。

ラース・フォン・トリアー、人をビビらせたり突き落としたり誤解されそうな発言したり文句ばっかり言ってる変なおじさんと思っていたらこの冒頭のような素晴らしい作品も実はちゃんと撮れるのです。やはり天下の芸術家です。伊達じゃありません。

さて、子を亡くした妻(シャルロット・ゲインズブール)のショックは大きく、葬儀で倒れて1ヶ月も寝込んだりします。夫(ウィレム・デフォー)はそんな妻にセラピーを行います。本職がセラピー屋さんのようですね。
一見、妻を気遣う夫のように見えますが、なかなか曲者でして、妻も観客もこのセラピーに安堵の気持ちは沸きません。何か変です。そのセラピー、それでええのか、と。傷口をわざわざ広げてるんではないのか、と。恐怖を植え付けてるんではないのか、と。

まあそんなこんなは物語の展開と共に薄ぼんやり見えてくるものもありますので実際にご覧になるとよろしかろうと思います。

「アンチクライスト」の登場人物はほぼ夫婦だけです。悲劇の中心にいる鬱夫婦が外界を遮断して森に入るというだけでもう鬱の二乗。森での恐怖と知られざる人物像が明らかになってくる頃には二乗の二乗、どんなに楽天的な予想をしてもこの夫婦には破滅以外の道は残されていません。

アンチ・キリストというのは新約聖書に記されている「イエスの教えに背く者」即ち悪魔のことでして、最後の審判で救いを得られない者で、つまりこの夫婦に救いがないことはタイトルですでにネタバレしています。
救いがないだけではなく、象徴的に登場する「三人の乞食」や16世紀の魔女狩りに関する研究といった宗教的なテーマが根底にどどーんと据えてあります。

そのため、キリスト教に疎い我々には何となく釈然としないような意味がわからないような妙な気持ちを起こさせまして、映画を見終えた瞬間に「えっと・・それで、どういう意味?」なんて思いがちです。トリアーがどういう深い意図に基づいて作り上げたのかはわかりませんが、あまり頭でっかちに意味を考えなくても基本的なことさえ踏まえていればそれでいいんじゃないかという気もします。もちろん深く深く考察することもそれもまたよしです。

「三人の乞食」というのは、映画の章立てにもなっている「悲観」「苦痛」「絶望」のことで、狐と鹿と烏として登場します。寓話的ですね。窓から星を眺めて「そんな星座ないぞ」っていうシーンが面白かったです。
キリスト教ネタとして「七つの大罪」についてはいろいろな映画になっていたりアート・リンゼイのアルバムタイトルになっていたりしてお馴染みかと思います(傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲っていうあれですね)
仏教の煩悩に比べて甚だ単純で底の浅い考え方ですが、それはともかく、「色欲」と「傲慢」についてはちょっとこの作品にも絡めているような気がします。で、七つの大罪はいいんですが、聖書に「三人の乞食」なんて出てくるんでしょうか。乞食自体はよく登場するのですが浅学にてわかりません。
「三賢者」の裏返しとしてトリアーが創作したものなんでしょうか。

さて宗教的なテーマとも関連しつつもうひとつ物議を醸したのは女性を悪とするジェンダー方面の問題ですね。
「アンチクライスト」を観て「女性差別である」という風にはまったく思いませんが、世の中にはもしかしたらそのように捻くれたものの見方をする方もいるかもしれません。
女性差別の根底にある「原罪」ですが、もちろん重要なテーマには違いありません。タイトルの「Antichrist」のtが女マークになっていますもんね。
森やエデンという名も象徴的ですが、原罪を根に持つ女性嫌悪というよりも、同じ根っこを持つ魔女狩りのほうに物語は向いているようです。

森は呪術的だし、ラストの謎なシーンも様々な解釈を生みそうですが、ナチ発言でカンヌから追放された被誤解の名手トリアー監督、この人の頭の中は混沌としていて「アンチクライスト」も論理的に宗教を脚本化したわけではなく、実のところそれほど宗教色は濃くないのではと思えてきます。

というわけで物議はまだあります。残虐描写です。

ショッキングシーンを軽蔑する風潮もあるのですか?
私はショッキングシーンは重要だと考えています。映画黎明期から、そう「アンダルシアの犬」の時代から、映画の作り手は常にショックと対峙してきております。新たなショックシーンを創造することは作り手の大いなる目的のひとつであると思っております。

この作品には衝撃的ないくつかのシーンがあります。日本ではすべてぼかしが入れられる類いのシーンでして、それは残虐だからではなく性的だからです。慣れていない我々日本人には大きな衝撃が待ち受けています。
エンター・ザ・ボイド」のぼかしシーンより遙かに壮絶です。「エンター・ザ・ボイド」のとき、ギャスパー・ノエは日本の制限(ぼかし)について小馬鹿にしたような態度を取りましたが全くその通りで、性器を隠すだけのわけのわからない猥褻の法律、あんな前世紀の遺物のような決まり事がいったいいつまで生きているのでしょう。どんなにえげつない残虐描写もOKなくせに性器は例え作り物のフェイクでもアウトです。教育され洗脳されまくりの我々はそのため残虐には不感症になり性器には敏感になるという日本総変態国の住民になってしまいました。これは簡単には治りません。
で、しかしこの「アンチクライスト」の性器はただの性器ではなく、残虐とセットになっております故、日本人ならずとも衝撃です。「カンヌで観客4人が気絶した」なんて言われるほどのショックです。しかもシャルロットですよ。どうしましょう。

てなわけでシャルロット・ゲインズブールの迫真の演技は観客全員酸欠で苦しむレベルです。カンヌではこの作品で最優秀女優賞を獲得。
女優いじめで有名なトリアー監督(それもあって女性嫌悪の差別主義者と思われているのですかね)ですが、主演女優はことごとく高評価で映画賞を受賞しております。モノホンの芸術家の手にかかればこれほど突き抜けるのでございます。
シャルロットを昔から知ってる人にとっては耐えがたい役でしょう。で、撮影が辛くて泣いて逃げ出して二度とご免だと彼女が思ったのかというと全く逆で、この役を積極的にやりたがり、演じきって、その後は監督と意気投合して次作にも出演です。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のビョークとえらい違いです。といってもビョークは女優じゃないですからね。撮影が辛くて逃げて泣いていたそうですね。あれはかわいそうでしたね。

ウィレム・デフォーも演技力に疑う余地なしとは言え迫真でした。まともな役に見えてその実傲慢を絵に描いたような、傷口を広げて恐怖を呼び起こすような不思議な役でした。

そうそうぼかしですが、「アンチクライスト」では日本版の制度的ぼかし以外にもぼかしが入っています。
最初観たときはこの意図されたぼかしと日本の制度的ぼかしの区別がつかず「この人は顔が性器なのか?」と思ったんで気になって調べてみたらこれはトリアーが意図的にぼかしたシーンのようでした。主演の二人以外は「顔のない抽象的人物」ということでしょうか。
このように制度的ぼかしは作品本来の意図を不明確にする欠点もあります。

「アンチクライスト」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: 大脳分裂 | Movie Boo

コメント