ヒアアフター

Hereafter
津波に遭い臨死体験をしたフランスの女性ジャーナリスト、イギリスの双子の少年、アメリカの元霊能力者の三つのお話が群像劇風に描かれます。クリント・イーストウッドが描く、死を見つめた生の物語。
ヒアアフター

日本で公開していたのがちょうど2011年の2月。3月の大震災に重なってしまい、強烈な津波シーンもあることから各地でロードショーを打ち切ったり取りやめたりしたそうです。
当時はそれも致し方なしと思っていました。映画と災害は関係ないとは言え、歴史が変わってしまうほどの大災害に見舞われた状態で暢気に津波やら死者との対話の映画を観ている場合ではありません。
しかし災害から時間が経ち、自治体政治企業報道の常軌を逸する狂気の対応を見るにつけ、こんな映画ぐらい不謹慎でも何でもなかったと改めて思います。
不謹慎なのは例の企業や政治や報道や御用識者たちのほうであり、その不謹慎ぶり、いや悪辣ぶりは人類史上希有であり、いつまでも狂気の饗宴を繰り広げております。滅びの美学に酔った悪魔崇拝者たちの儀式にしか見えないその不謹慎ぶりは知識も教養も持たない一般庶民を騙くらかし人体実験のモルモットにし特攻隊竹槍部隊パート2として丸め込み日本中に核を拡散して一億総被爆を目論む発狂の下衆どもです。
津波シーンがある映画のひとつやふたつ、なんのことはありません。

というお話は余所でするとして、老齢にもかかわらず精力的に映画を撮りまくるパワーと愛の人クリント・イーストウッドによる荒唐無稽SF系感動群像劇です。

フランス、イギリス、アメリカの三つのお話が進行します。群像劇というほど群像ではないのですが、ほぼ無関係なこの三つのストーリーの核を成すのは死です。死ですが、それはもちろん生であります。死を描くことによる生の物語、どんなに荒唐無稽でも、一歩間違えればやっちまった系のトンデモ映画になるところを、このクリントさんという方は大まじめに感動ドラマとして仕上げます。
もうこの方の手にかかれば、どんな物語だって人間を描き倒す感動ドラマとして成立することでしょう。哲学的表現をするならばまさに「感動する物語を生成する機械」です。全く、恐れ入ります。

ドラマを成立させるための脚本や演技や間や演出は、どこをとっても丁寧で緻密、どんな細部においても繊細で且つパワフルです。
クリント・イーストウッド監督は早撮りで有名だそうです。ということは、この映画のようなきめ細やかさは、リハーサルの積み重ねというよりも俳優スタッフたちの実力を短時間で引き出す力の勝利でしょうか。とすればキャスティングの時点でも半ば約束された完成度なわけで、まさに「監督」の優れた仕事です。

マット・デイモンはアメリカ映画の俳優の中で最近最も尊敬している俳優です。田舎者みたいな坊ちゃん顔がすっかりいい顔に成長し、色んな役をこなす俳優としての実力も並じゃないし、若い人間を育てようともしているし、すごいひとです。ほんの数年前まで「まっとでいも〜ん」とか言って茶化していてほんとすいません。「インフォーマント」も「トゥルー・グリット」も「フィースト」の製作もどれも素晴らしいです。
「ヒアアフター」では死者と会話できるイタコの役ですが、この荒唐無稽な設定をちゃんと説得力を伴って演じきります。料理を習いに行ってるシーンなどの情けない演技も完璧。べた褒めでんなあ。

スパニッシュ・アパートメント」のセシル・ドゥ・フランスもかなり素敵な大人の女優としてこの大ヒット映画に登場。やったね、セシル。
ハイテンション」とか「モンテーニュ通りのカフェ」とか観ましたか?
いい女優さんですよねえ。何にでもなれる人です。

さて「ヒアアフター」は三つの物語が進行しますから、観客的には彼らがいつどのように出会うのかが気になります。下手に出会うと臭くなります。用意周到に、じわじわと、尚且つ力業でもって三つの物語が出会うのは映画の後半で、これには物語的感動を覚えます。
「朝のガスパール」じゃないですが、三つの世界が無事に出会えたところを目撃して「よくやった。よくここまでたどり着けた」と脚本に感情移入してしまいます。
とくに何が優れているかというと、当然三つの物語の出会いを観客はある程度予想するのですが、少年との出会いはともかく、セシルとマットの出会いはこれは意表を突かれます。「ヒアアフター」に「意外なオチ」があるとすればまさにここです。意外などんでん返し、そしてさらにこの出会いは小気味が良く、「皆まで言わせるな」状態の実にセンスの良い結合です。いやもう天晴れ脚本です。

死者との対話というオカルトじみた話が登場しますが、オカルトやホラー映画の香りはまったくなく、むしろそこはSFとなっております。つまり超能力的です。
そして実際の死者との対話の信憑性はともかく、それを行う人間の苦悩を表現します。残された人間の悲しみや納得も表現します。この点において思い浮かぶ作品があることでしょう。そうです「シックス・センス」です。
比較的荒唐無稽な設定を用いて家族の絆や愛を描くシャマラン節を強く感じますね。そうでしょう?似たテイストですよね。

本当に死者と会話しているのか、あるいはコリン・ウィルソン的に言うなれば死者との思い出を持つ目の前の人間の心を読んでいるのか、それはわかりません。わかりませんが対人の心を読んでいるというその点ともうひとつ、双子の少年の顛末をちょっと考えてみると、これまたある文芸作品が頭をよぎります。そうです筒井康隆「七瀬ふたたび」です。
「ヒアアフター」の少年、ちょっと年齢は異なりますがふと気付くとノリオにしか見えなくなってしまったりします。しませんか?私はします。マット・デイモンの苦悩も七瀬と等しいじゃあーりませんか。そんなことありませんか?そんなことないかもしれませんね。
まあいいでしょう。斜め読みですっ飛ばしといてください。

というわけで感動ドラマ生成マシン、クリント・イーストウッドの死による生の肯定ドラマ「ヒアアフター」でした。いい映画です。

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