ミッション: 8ミニッツ

Source Code
「月に囚われた男」のダンカン・ジョーンズ監督の待望の2作目。ノンストップSFしゃっくりテクノ心理スリラーの超快作。ダンカン・ジョーンズ、最早本物。
ミッション: 8ミニッツ

トレイラー映像のただ者ではない感に触発されて観た「月に囚われた男」がほんとにただ者じゃなかったので、こいつぁただの「デヴィッド・ボウイの息子」じゃないぞ、すごいぞ、七光りなんてとんでもない、でも七光りがなかったら才能を生かすチャンスもなかったろうな、そういう意味ではデヴィッド・ボウイの息子ってのも意味があるよな、なんて思ってると、まもなく新作「Source Code」とやらのトレイラーが出回りだし、そっちはわりとただ者っぽいトレイラーだったので「ふーん」と思っていたけど、そこはかとなく漂う「12モンキーズ」感にわくわくしたりして、それから随分日が経ちまして、ふと「Source Code」を思い出し「そろそろDVDになってんじゃないの」と思って検索してみたら何と上映中だと知って、こりゃいかん、すぐに行かねばの娘。と、いそいそと劇場に足を運びまして、そしたらまあ前作「月に囚われた男」はミニシアターでしたが今度の「Source Code」は「ミッション:8ミニッツ」という変なのに名を変え、シネコンで上映じゃあーりませんか、へえ何でだろと思いつつ喜ばしいのでシネコンの臭いポップコーン臭と小便臭い餓鬼の乳臭さに嘔吐きつつ我慢しつつ観ましたよ観ました、ダンカン・ジョーンズのこの素晴らしいSF映画「ミッション8ミニッツ」です。
ぜぃぜぃはぁはぁ。

と、いうことでですね。「月に囚われた男」もめちゃ良かったですが、今作「ミッション:8ミニッツ」もすさまじく良いSF映画でして、これはあれですね、ダンカン・ジョーンズ、ただ者じゃないですね。
こいつぁただのデヴィッド・ボウイの息子じゃないぞ、すごいぞ、七光りなんてとんでもない、でも七光りがなかったら才能を生かすチャンスもなかったろうな、なんて思ったりもするのですがそのチャンスがあればこそこうやって良い映画を放つことができたのであって、これは本人共々映画ファンにもありがたいことじゃあーりませんか、というわけで冒頭は電車が走っています。映像にもこだわりのあるダンカン・ジョーンズです。この方の映像へのこだわりは過去のSFや映画への愛に満ちています。
さて居眠りから冷めた主人公は一瞬アイデンティティを失っており向かいの席の顔見知りの女性の話も上の空、冒頭から一挙に不穏な空気と謎が押し寄せませす。
冒頭から数分間が過ぎ、わわわわわわわわとなっているところにさらに怒濤のように謎謎謎謎が押し寄せます。見せますねえ。引き込みますねえ。何がどうなってるんでしょうねえ。まだ観客の頭はわわわわわわわで謎謎謎謎でくらくらしているのにお構いなしにさらに話はですね、展開するというか、しゃっくりするというか、ミニマリズムというか、そういう風になっていくわけであります。
はぁはぁぜぃぜぃ。

と、いうことでですね、「月に囚われた男」もめちゃ良かったですが今作「ミッション:8ミニッツ」もすさまじく快挙でして、これはあれですよね、ダンカン・ジョーンズ、ただ者じゃないし、現代のSFの旗手と言ってもいいくらいでして、もはや単なるデヴィッド・ボウイの息子なんてものじゃないのでして、SFそのもの、あるいはSF映画への愛に満ちた今最も旬なSFの担い手であると断言したくもなるのでして、というのも底の浅さが全くなくバックボーンの説得力とエンターテナーとしての両立がバランスよくて、コアなSFファンから屁理屈君から普通の人から渋好みの人まで、対象の幅が広いんですよ。特に今作「ミッション:8ミニッツ」はストーリーの軸以外の離れた細かいところや、あるいは構成全体を貫く技法にまで魅力が詰まってて成熟という言葉すら似合うほどです。で、どんな話かと言いますと冒頭は電車が走っています。居眠りから冷めた主人公は一瞬アイデンティティを失っており向かいの席の顔見知りの女性の話も上の空だったりして、その不穏な気配から数分後、いきなりのあっと驚く展開にわわわわわわわわわわわとなって次の展開に謎謎謎謎となってあたふたあたふたあたふたあたふたしていると、あっ、この人は「エスター」と「縞模様のパジャマの少年」のお母さんヴェラ・ファーミガじゃあーりませんか。この人のロシア風の顔、いいですねえ。何にでも化ける人ですね。この人、そんでもって何を言ってるんでしょう。SF好きならぴんと来るそうですそうです、仮想世界あるいは精神世界あるいはタイムトラベルあるいはパラレルワールドあるいはあるいはあるいは、と多分いろんなパターンが想像できるでしょうし、その手のマニアほどミスリードに乗ってしまって楽しめるというのもあります。話を最後まで追えばどういった話なのか判る仕組みなのでそういうお話の面白さはもちろん、しかしそれだけじゃない魅力があります。何と言ってもしゃっくり映画の実現です。ありますよ、今までも。繰り返しの妙技は。しかし本気のしゃっくりはこのお話でないと。つまりあれです。「ダンシング・ヴァニティ」的ミニマリズム映画がついに来たという感動で打ち震えます。何。「ダンシング・ヴァニティ」が何か判らないと。検索しなさい。読みなさい。

と、いうことでですね、「月に囚われた男」もめちゃ良かったですが、今作「ミッション:8ミニッツ」は良いSF映画というだけでなく、そこに漂う文学性も見逃せないのでありまして、しゃっくり演出の連続はただの文学性にとどまらず娯楽性もたっぷりあって、時に省略するあたりとか笑える演出とセットとなっていてほんとセンスいいです。ありますよ、今までも、繰り返しの妙技ってのは。しかし本作のしゃっくりにはしゃっくりの意味があるししゃっくりの効果もあるし本気のしゃっくりです。つまりあれです。筒井康隆の「ダンシング・ヴァニティ」の見事な映像化と言っても過言。

というわけで「月に囚われた男」と「ミッション:8ミニッツ」はSFである以外に一見共通点はないのですが観てしまうと共通点が多くてそれも面白いですね。監督が脚本書いたわけでもないのにね。登場人物が多いのにやっぱりひとりの孤独な男の奮闘記ってのがまず共通しています。主役の演技が一所懸命で優れているってのも、そしてその彼にいったい救いがあったのかなかったのかという微妙な点もいっしょ、ラストに待ち受けるスカッとしたある意味親切すぎる展開も共通です。渋いけど渋すぎない。これ娯楽映画の基本。いいね。ダンカン・ジョーンズ、ただ者じゃないですね。

というわけでですね、そこはかとなく漂う「12モンキーズ」感もあながち間違った認識でなくてですね、いろんな意味で被る部分もありますし、ちょとテリー・ギリアムの描く狭っ苦しい映像と似ている箇所もあったります。もちろんほんの一部。冒頭の電車のシーンなど他の映像表現の優れた部分も前作に続いて頻出です。なんせ映像にもこだわりのあるダンカン・ジョーンズです。この方の映像へのこだわりは過去の優れたSF映画への愛に充ち満ちています。インスパイアとかオマージュとかいう便利な言葉がありますが確かにパクリではない愛に満ちた似た部分ってのはそういうしかないような気がします。

というわけでですね、登場人物が多いのに結局はひとりの孤独な男の奮闘記っていう点が「月に囚われた男」との共通点にして味わい深いところで俳優の一所懸命の演技も冴えわたり感情移入を推し進めてくれて泣いて笑って落ち込んで

というわけでですね、登場人物が多い割に結局はひとりの孤独な男の奮闘記っていう点が面白さのスパイス的な部分でもあり主役を熱演したジェイク・ギレンホールにも惜しみなく賞賛を惜しみたいところなのでありまして、冒頭の電車シーンでアイデンティティを喪失しながらの目覚め以降、辛いことだらけでもう悲しいやら辛いやら、いやほんと熱演です。その一所懸命の演技でもって我々観客の感情移入を

というわけでですね、登場人物でいうと通勤電車の顔見知りの女性っていう設定もいいですね。恋人とかはじめて知り合って突然仲良しになるという設定ではなくて、ちょうどいい設定です。美女具合もちょうど良いです。美しすぎてもいけませんし変すぎてもときめかないし、お話の説得力とエンターテインメントとしての両立がバランスよくて

というわけで、

かなりしゃっくりがしつこいので今日はこのへんで。ごきげんよう。変な文体で長々と書いてすいません。「ミッション:8ミニッツ」変な邦題だけどお勧めの超快作。

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「ダンシング・ヴァニティ」丸ぱくりの変な文体を一旦終え、どうしても書いておきたいことがあったので気を取り直して追記いたします。

何度も同じことをやり直す映画はいくつかありますが、この「ミッション8ミニッツ」のやり直しはシリアスであると同時にコミカルな部分もあります。そして現代的なこの繰り返しの挑戦はミニマリズムの文学性よりもむしろゲームに近いと感じる方も多いことでしょう。

確かにゲームっぽいのです。「失敗したー。よし、やり直し」というノリです。

やり直すときは前回の失敗や経験を生かします。「リセットしてやり直す」という感覚もなくはないですがそれとはちょっと違います。リセット感があまり強くないのです。経験を踏まえている部分をより強く意識します。ゲームはゲームでも、単なるゲームとはちょっと違う。なんでしょう。

やはり映画であるからして、映画内で直線的に進行する時間軸と密接だからかもしれません。つまり映画でゲームをやると、リセットして繰り返しながらも着々と映画時間が進行しているわけです。リセットしても直線的時間軸から逃れることはできないのです。

この不思議感にそっくりな体験が出来るゲームをひとつ知っています。

個人的には、ゲームの枠を超えた新しい文芸表現の発明であると断言してはばからない「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」というゲームです。

破滅への三日間を繰り返しプレイすることによって事態を打開していくこのゲームは、ゲームにおける繰り返し作業というスタイルそのものをゲーム内に取り込み、ゲーム内設定でループする時間の概念と、ループを繰り返すプレイヤー時間そのものの概念をシステムとして融合させ内包させた意欲的な作品です。ループを繰り返すたびに新しい展開を見せ、プレイヤーの化身であるキャラクターがループ内に偏在し、偏在を利用して少しずつ事態を打開していくことによるループ外の大きな物語が進行します。自身の行動が時間軸ループから飛び出してパラレルな世界をその都度構築していくようなこのスパイラル的多重世界の感覚が「ミッション8ミニッツ」の映画体験と非常に似ていると私は感じたのであります。

ということで、この世でいったい何人がこれに同意するかわかりませんが、一応思ったので書いときました。

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