追悼のざわめき

追悼のざわめき
追悼のざわめき
公開年:
1988
製作国:
監督:
製作:
脚本:
音楽:
  • 菅沼重雄
  • 上田現
主演:

大阪西成、釜ヶ崎を舞台に、変わり者たちがそれぞれいろんなことをやったりするカルト的な映画。

追悼のざわめき

これぞアングラ。これぞ釜ヶ崎。
人殺しの変態兄ちゃん、小人症の兄妹、少年と少女の旅の兄妹、ルンペン、いろんな人が西成でふらふら、あんなことやこんなこと、いろんなことをしながら導かれるように廃墟ビルに集まってきます。
異形と異質の歪んだ愛と仕事と人生です。

各国映画祭での上映を税関で止められたとか、映写技師が吐いたとか、寺山修司が認めたとか、決してDVD化しないであろうとか、様々な伝説もついて回っているいわゆるカルト作品です。でも2007年頃にリマスターDVDが出たことによって現在誰でも鑑賞することができるようになり、謎性は失われております。
尾ひれがついて、ものすごい映画のように言われたりしていますが、エログロ的な表現においては騒がれるようなものとは少し違っています。エログロに関しては、極めて奥ゆかしい演出です。
表現そのものがえぐいのではなくて実は内容がえぐいわけなんですが、この内容のえぐさは江戸川乱歩や夢野久作に通じる日本らしいある種文芸的なえぐさです。
そういうわけで「芸術的」とか言われるわけですが、そういう言われ方にカチンとくる人も多分いるだろうと思いまして、だから賛否両論になったりするんですね。

改めて今の時代に「追悼のざわめき」を観るとき、暗い映画館の16mm上映ではあり得ない剥き出しの作品に触れて誰しもが冷静になってしまうでしょう。
物々しく鑑賞するだけでなく、この作品の持つユーモアやお茶目なところにも気づくことになります。
演出の冗長さが気になる人もいるだろうし、その冗長さ故ゆったりと観ることが出来ると思う人もいます。
シーンの一部には「ツィゴイネルワイゼン」に似た雰囲気もあったりして、私は久しぶりに「ツィゴイネルワイゼン」を思い出させてくれてちょっと感激したぐらいです。

「ツィゴイネルワイゼン」はご存じ鈴木清順の素晴らしい作品です。ちょっと話がずれますが如何に「ツィゴイネルワイゼン」が好きかひとこと言いたくなったので言っておきますと、かなり無茶苦茶好きでして、上映中に何度も料金を払って通ったほど夢中でした。きっと気づかぬところで私の血となり肉となっている作品です。あの浪漫性はずば抜けています。漢字の「浪漫」です。
さらに話がずれますが映画以外でいつも名前が出る筒井康隆氏であります。この方に受けた影響はもろに自覚できる範囲で血となり肉となっておりまして、今日の話に絡めますと「邪眼鳥」の名を出さずにはおれないのでひとこと出しておきます。
「邪眼鳥」は断筆復帰後第一弾の作品で、文章はおろか文字の連続そのものが芸術作品で美術館に展示できるレベルです。そして染み出る雰囲気はまさに恐怖と浪漫であり「ツィゴイネルワイゼン」に通じると言っても過言でない世界観、えぐい役ではありませんが小人も出てきます。「追悼のざわめき」をめちゃくちゃ褒めるとすれば、これら名作を連想できるという言い方になります。

そういうわけで「追悼のざわめき」には浪漫があります。この感じが好物の人は必ず一定数いるはずです。正直、すごい傑作だとは思っていませんが、えぐさの陰に浪漫があることはとても重要です。

もう一つ重要なのは舞台です。大阪の西成区、釜ヶ崎です。あいりん地区です。東京で言うと山谷ですか。
通天閣を中心にパリの町並みを再現したこの地区は特殊で特別な街でした。
私もこの街の魅力に取り憑かれていた口でして、ちょうど年代的にも一番ここで遊んでいた頃です。同じ頃「追悼のざわめき」の撮影が行われていることがわかります。今見ると町並みすべてが懐かしいんです。
アングラとかカルトとか抜きにして、街のロケっていうのがいかに貴重かわかります。この時期のこの街の等身大の姿が画面の至る所に映し出されます。極めて個人的な体験を元にした感覚ですが、気が遠くなるほどのノスタルジーを感じるんですねえ。やばいぐらいですよこれは。

それがいつかというと、撮影開始が1983年、5年かかって公開が1988年です。ほらやっぱりジャストでした。

個人的にジャストなこの時期のジャストな人たちによる映画なわけでして、例えばルンペンの役をやっているのは白虎社の大須賀勇さんだったりします。

古い映画を紹介するときはいつもこうして個人的な話ばかりになってしまうので恐縮なのですが、「追悼のざわめき」を今の時代に観て、そしてMovieBooの記事をこうして書くことによって私にとってひとついいことがありました。長年のわだかまりが氷解した感じというか10年溜まった便秘うんこがドバッと出た感じというか、すっきりさわやか、それは何かと申しますと、思い出せない映画のタイトルを思い出せたという話です。

それは松井良彦監督の81年の作品「豚鶏心中」です。

「豚鶏心中」は西部講堂というところで観たのですが、ちょうどこの頃若い私はちょっと不良だったこともあって記憶に障害があるころなんですよね。で、強烈なあの冒頭のシーンや各シーンは断片的に覚えているのに、それが誰の何という映画か全く思い出せなくて、ことあるごとにずっともやもやしておりました。
「追悼のざわめき」を観た直後もそれを思い出して、あぁあの思い出せない映画のタイトルは何だっけ何だっけ、と。同じ監督さんの作品とは思っていなくて「あのころの、この手のアングラ映画」などという失礼なカテゴライズを勝手に作り上げておりました。「あのころのこの手の映画」って、結局松井良彦監督の作品じゃありませんか。「錆びた缶空」もそうじゃないですか。いやほんと、失礼しました。

というわけで「豚鶏心中」のタイトルを思い出せただけで私は幸せです。

恐怖と異形と愛の映画「追悼のざわめき」でした。

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