パラダイス・ナウ

الجنة الآن‎ al-ǧannah al-ʾān
パラダイス・ナウ

自爆テロを行う側からの目線で描くパレスチナ問題。二人の青年と社会・紛争との関わり。

パラダイス・ナウ

イスラエルに包囲された小さな町の二人の青年です。パレスチナ人の彼らは他国の若者と何ら変わらぬ若者らしい苛立ちや実直さを持っている単なる青年です。年寄りが少々眉をひそめるようなところもある、普通の青春映画のような若者である彼らと他国の若者との違いはまさにパレスチナ問題のど真ん中にいるという点です。

政治にも強い意識を持ち、独立運動の英雄にも惹かれます。非暴力の人権運動なんか駄目だ駄目だと、直接行動の道へ進みますよ。そして自爆攻撃の実行役に選ばれます。日本風に言うと特攻隊です。
 自分は英雄になるのだと催眠術のように勇む一方、怖くて恐ろしくてたまりません。

「パラダイス・ナウ」は、普通の青春映画的側面と、パレスチナ問題を扱う社会派映画的側面の両方を同時に持っている不思議な作品です。おまけに自爆攻撃実行犯目線という強烈な設定ですから大変です。

この強烈なテーマを日常とともに妙なリアリズムで描くものだからたまりません。重い社会派のテーマに対して若者目線の軽いタッチも目立ちますから、観ている最中はやや拍子抜けしたような気分にもなったりします。ところがどっこい、この日常性・青春映画性の軽いタッチこそが後々尾を引く強烈な印象を残します。

イスラエル軍に包囲された町の抵抗運動に燃えた、体中に爆弾を巻き付ける青年の数日間。彼らの目から見る町の景色は一変します。

爆弾を体に巻いた青年がバス停でバスを待つというような、この日常的非日常性の異常さはまるで悪夢のようです。放射能汚染地帯で日常生活を送るふりをしながら集団自殺的絶望を抱えている日常的非日常の異常性とよく似た悪夢感です。

イスラエルに占領され選択肢が与えられない若者にとってのパラダイスは死んだあと、あるいは頭の中だけにある天国しかないのかというこれは辛い一本。

「パラダイス・ナウ」はベルリン国際映画祭青天使賞、ヨーロッパ映画賞脚本部門、ゴールデングローブ賞など多数のノミネート・受賞を果たし国際的に高い評価を得まして、アカデミー賞にもノミネートされましたが「テロを支持している映画」としてノミネート中止の署名運動が起きたそうです。

イスラエルのテロは支持しているくせにパレスチナ人の抵抗をテロを呼んで批判するとは全くもっていただけません。しかもこういう映画反対運動を起こす連中ってのは実際に映画を観もせずにやっているとのことですよ。観てもいないくせに何が「テロを支持している」だ。あほかと。権威主義の差別主義者たちというのはどこの連中も同じ種族なんだなとわかります。

「パラダイス・ナウ」は社会派映画ですが人間にスポットを当てた青春映画でもあります。そこにはプロパガンダはまったく含まれません。観客は主人公青年たちに感情移入し、まずあり得ない自爆攻撃というものを行う人間の側に立つことになります。

ハニ・アブ・アサド監督は映画というものについて「観客は現実には体験できないこと、自分とまったく違う人生を知ることが出来ます」と語っておられまして、意図の一片をうかがい知ることが出来ます。

監督はこの映画を作るに当たって多くのリサーチを行い、自爆攻撃の遺族に話を聞き、特攻隊員の手紙などにも目を通したそうです。
「神風特攻隊の手紙は、自爆攻撃者と非常に似ている部分がありました。『良いことをするんだ、お国の為だ』と自分に納得させようとする文が多く、しかし、文字の隙間に恐怖だとか悲しみといった、人間らしい面が感じられました。そうしてはっきりしたことは、ひとつとして決まったタイプはなく、誰一人としてステレオタイプな型にはまっていないということです」
公式サイト・監督インタビューより)

さて主人公サイード(カイス・ナーシェフ)の母親を演じるヒアム・アッバスについてです。

この人はイスラエル出身のアラブ系パレスチナ人で、紛争を避けてイギリス、後にパリに移るという経緯で、「猫が行方不明」に出演したあとフランス映画で活躍しました。「扉をたたく人」「リミッツ・オブ・コントロール」など良質なアメリカ映画にも出演しています。

この方、他の映画を観てても出てきたら「あ、あの人だ」と思ってしまう、そういう強い印象を残す人です。イスラエルの映画「シリアの花嫁」の主演もやっていたそうな。最近やっていた「ミラル」(2010)にも出てるんですね。うーむ。「ミラル」見損ねたのが大いに悔やまれます。追記:が、後に見ました

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