死霊のえじき

Day Of the Dead
死霊のえじき
公開年:
1985
製作国:
監督:
製作:
  • リチャード・P・ルビンスタイン
脚本:
音楽:
  • ジョン・ハリソン
主演:
  • ロリ・カーディル
出演:
  • テリー・アレクサンダー
  • ジョセフ・ピラトー
  • リチャード・リバティー
  • アントン・ディレオ
  • ハワード・シャーマン

ロメロのオリジナルゾンビ3部作三作目。破滅の最後戦争。
これもあれですね、前作「ゾンビ」と同様、日本で公開された時、肝心なシーンをカットしたりサウンドのトラックが抜かれていたりと、けっこう編集されていたそうですね。

死霊のえじき

ちゃんとした形のはビデオで発売された「完全版」からなのだとか。DVDもいくつか種類が出ていますが「最終版」という名前のものがズタズタに編集された酷いやつ、「完全版」がちゃんとしたやつです。

死霊のえじき

唐突ですが「昔見て嫌いだった映画を何十年後かに見たときに好きになれるか」というテーゼがあります。あるのかな。ま、あります。

逆に「昔見て大好きだった映画を何十年後に見たらがっかりする」ってのはあるでしょうか。私はわりと昔から映画好きなので、物事の判断が付かぬ幼い頃から見てたりしましたから、これはもしかしたらあるかもしれないと思っていました。ものを知らないうちはつまらないものに感激したりしますからね。
それでいくつかの映画を再見したりしますが、大抵はやっぱり素晴らしい映画でした。昔のほうがいわゆる良い映画に触れる機会が相対的に多かったことと、昔好きだった映画はすでに美化補正が己の魂に定着していますから多少あらがあってもやっぱり好きは好きなんですよね。当然かもしれません。

で「昔見て嫌いだった映画がいつか好きになるか」ですが、それを考えようとしてハタと困った。嫌いな映画が急には思い出せないんです。嫌いな映画なんてあったっけ?と、しばらく考えますがなかなか出てきません。面白くない映画はいくつかありましたが、面白くないなりに味わいがあったりしますので「嫌い」とは思わなかったんですね。

それでもしばらく考えますとふとロメロのゾンビを思い出しました。そういやゾンビ系は嫌いだった気がする。
ホラー映画は一桁歳の頃ドラキュラの虜になって以来大好きで、一時期はマークされるのではないかと思えるほど見まくりましたが、その中でどうしてもゾンビ映画が好きになれなかったんです。なぜかわかりませんが、多分、サブカル臭さが我慢ならなかったのかもしれません。80年代の軽薄文化を嫌悪してましたから。というか若かったから。

というわけで「死霊のえじき」とテーゼが結びついたわけですが、今更「死霊のえじき」を待たずとも、すでに「ゾンビ」で大絶賛しておりますし、その他のゾンビものも全く問題なくべた褒めしたりしています。
「昔嫌いだった映画が好きになることはあるのか」の問題はとっくにクリア済みでした。答えは「もちろんある」です。

昔嫌いだった「死霊のえじき」をなぜ再見したかというと「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」と「ゾンビ」で面白さを再発見・・というか初発見して大興奮しいていたのでその流れです。

やっと内容の話になります。三部作の最後であるこの作品では、すでにゾンビが多数派となったゾンビーランド合衆国での最後の戦いです。舞台は軍の地下基地で、登場人物は軍人や科学者です。

ゾンビ映画の基礎を築いたロメロの三部作は伊達じゃありません。

いろいろとゾンビ映画の後の定番となったアイデアが前作、前々作と同じく「死霊のえじき」にもたっぷり含まれます。ゾンビが可愛いやつになったりするネタもすでにここに登場しています。悪夢っぽいちょっとシュールなびっくりシーンもあります。スプラッタシーンにも独特の魅力があふれています。
ゾンビをネタにして厭らしい人間の争いごとを描くとか、そういう視点も一貫しています。

今観たら古くさいかもしれないと思いがちですが、今の目線で見ても十分すぎるほどの面白さです。個人的には今の目線で見たほうがむしろ面白いとさえ思えます。ゾンビ映画はジャンルになるほど氾濫しましたが、「死霊のえじき」含めロメロの三部作には何というか、魅力があるんですよね。これが作品の力というものでしょうか。

以前は嫌いでも、何十年後にはお気に入りになることもあるという話でした。

この「嫌い」という言葉ですが、嫌いの気持ちには憎しみに似た感情が含まれます。よく「好きの反対語は嫌いじゃなくて無関心」と言いますがその通りで、好きじゃない映画はあっても嫌いな映画なんてそうそうありません。わざわざ嫌うということは、憎しみを始め、すでに何か特別な感情がもたげているわけですよ。
もし嫌いな映画があったとしてですね、なぜあえて嫌いなのか、なぜわざわざ憎むのか、そう考えると、映画に限らずですが、やっぱりそれは愛の一種であるということがわかります。憎しみも愛の一種です。
例えば上の文章でゾンビ映画が嫌いだったわけは「サブカル臭いところが我慢ならなかった」と書いてますが、そうです、そもそもですね、己自身が十分サブカル臭い軽薄な人間だったのですよ。
というわけで映画に対して「好きじゃない」を超えて「嫌い」ともし思ったとしたら、その愛が自身のどこから発生したかちょっと踏ん張って考えてみるのも悪くないかもです。

嫌いになるにはそれ以外の理由も当然あります。代理・置換として嫌うという状況です。例えば嫌いな俳優が出ている、何か最悪の物事を連想する、トラウマと同期しているといった、映画そのものに原因があるのではなく、他の憎しみと脳内セットになっている場合です。こればかりは仕方ありません。つい先日そういう例のtweetを読みまして、いろんな事情があるものなのだなあと思った次第です。酷い奴の思い出とセットになっていると、そりゃあ嫌いになっても当然かもしれないです。しかしここはぐっと踏ん張って「人を憎んで映画憎まず」と、いきたいところですが・・・実際なかなかそうもいかんですわなあ。

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