ジンジャーとフレッド

Ginger e Fred
ジンジャーとフレッド
公開年:
1985
製作国:
監督:
製作:
  • アルベルト・グリマルディ
脚本:
音楽:
  • ニコラ・ピオヴァーニ
主演:
出演:
  • ファビオ・ファブリッツィ
  • フレデリック・レデブール
  • フランコ・ファブリッツィ

ハリウッドの名ダンスコンビ、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのそっくりさん芸人であるアメリアとヒッポが30年ぶりにクリスマスのテレビ特番に出演することになって再会します。
フェデリコ・フェリーニ1985年の小粋な作品。

ジンジャーとフレッド

「ジンジャーとフレッド」が日本で公開されたのは多分1986年で、当時ふらりと劇場に立ち寄っただけで、映画が始まるまでフェリーニ作品であることもジンジャーとフレッドの物まね芸人の話であることも何も知らずにいたのでした。で、特に大感動するわけでもなく「あー面白かった」と見終わって、ただ音楽が印象に残ったものだからその後しばらくはレコード屋に行ってはサントラ盤を探すという日々でした。

ニーノ・ロータはすでに他界していて残念ながら「ジンジャーとフレッド」では音楽を担当していません。でも懐メロメドレーみたいなこの映画の曲が頭から離れず、長い間サントラを探し求め、Amazonが出来たときもiTunesStoreが出来たときも検索して探したものでした。

という個人の思い出話はいいとして、2012年春、ついにその「ジンジャーとフレッド」がDVDで再発の運びとなりまして、さっそく飛びつきまして久しぶりに観てみました。

公開時に観たときと同じく、特別に大好きというわけではありませんが、でもやっぱりいい映画です。大人になればなったなりの楽しみができます。

当時観たイメージと再見した今のイメージの一番大きな違いは、主人公アメリアとヒッポのふたりが老人に見えないことです。普通におじさんとおばさんです。若い頃観たときは老人に見えました。つまり自分が老人に近づいたために老人の境界線がずっと上の方に移動してるんですね。アメリアなんかとってもキュートに感じますし、実際かなり可愛らしいです。

30年ぶりのショーという設定も昔ほどの「時の隔たり」を感じません。大袈裟でない30年という年月をこの映画は表現しています。さらりと描かれた30年、短いような長いような、そんな30年です。その案配がちょうどいいんです。

アメリアとヒッポはジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのそっくりさん芸人です。アメリアは実際に芸名ジンジャーを名乗っています。クリスマスのテレビバラエティに出演するのはこの「懐かし芸人」を含め、多種多様な人々です。色物あり変な人ありです。

テレビバラエティの喧噪が「ジンジャーとフレッド」全体を包み込んでいます。この喧噪は狂騒的で躁状態で低俗です。映画的にも、随所に妙なテレビCMが流れたりします。テレビショーは所謂ショービジネスの歪んだパロディで、この低俗に対する批判が見て取れます。

個人的に面白いと感じる虚構の特徴のひとつに、多方向からの表現というものがあります。何のことかというと、ある物事を相反する目線で同時に描ききるという技法です。
「ジンジャーとフレッド」で描かれるテレビの世界がまさにそうです。低俗なテレビの世界を批判的に描いていながらも、そのテレビショーのショーとしての面白さもまた同時に描ききっているんです。

全く無関係な映画「スターシップ・トゥルーパーズ」における兵隊の扱いもそうですね。あの映画は戦争や兵隊を批判し、茶化しますが、全く同時にその茶化している兵隊の根性主義や馬鹿具合のドラマそのものに感情移入させる二面性を持っています。こうした「相反する目線を矛盾を保ったまま同時に表現する」という技法は多くの映画に見られます。もぞもぞするような感覚に包まれまして、そういうの好きなんです。

さてフレッドの物まね師ヒッポはマルチェロ・マストロヤンニでして、多くを語らず目と体で30年の年月と哀愁を表現しつくします。さすがです。

何となく人生うまくいっていて過去のことを冷静に見る強きアメリアと、いつまでも引きずっていて歴史が連続している弱きヒッポの対比がいい感じです。ちょっぴり大人の切なさと哀愁です。ちょっぴりどころじゃないですか。そうですか。

そしてジンジャーの物まね芸人アメリア演じるジュリエッタ・マシーナです。この方の可愛らしさは年を取っても尋常じゃありません。キュート!
道
「道」(1954)のジュリエッタ・マシーナ

1920年生まれのジュリエッタ・マシーナはフェリーニの奥さんで、フェリーニが1993年に没した翌年94年に亡くなっています。

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