明かりを灯す人

Svet-Ake
キルギスの山脈の麓にある小さな村の電気工。村人から「明かり屋さん」と呼ばれてます。かつて賑わい今では過疎っているこの村に、開発の波が訪れつつあります。明かり屋さんの仕事と生き方。
明かりを灯す人

キルギスてどこですか。

キルギスは中央アジアの旧ソ連でキルギスタンと呼ばれていた共和国です。この国の詳細はWikiなどに譲るとして、91年に独立、キルギス共和国となりました。
国民は7割のキルギス人の他は多民族がひしめいており、独立前にはいた21%のロシア人が現在7.8%にまで減少したそうです。
映画の舞台となった村は「昔は誇り高く、賑わっていたが今では過疎」みたいなセリフがありますがこういうことも背景にあるのだろうと思われます。

山脈の麓にある舞台となった村はキルギスの東のほうでしょうか。遊牧民の伝統も色濃く残る暮らしぶりです。
高い場所にあるのか、空気が澄みまくっていて遙か遠くの山までくっきり見える土地でありまして、そのためカメラが捕らえる景色や空が凄まじく綺麗です。
錆びた風力発電の風車や電柱に上る明かり屋さんを下から捕らえる広角カメラには、濃いブルーの空が背景にべたーっと乗りまして、とても美しい絵を作り出します。

全体的にカメラワークがとてもよいです。なんかいろいろ、わかってらっしゃるって感じです。広角方面のこういう撮り方、いつも書きますが好きなんです。

古い習慣が残る小さな村に開発の波がちゃぷんちゃぷんとやってきます。あら懐かしや、古い価値観と新しい価値観の狭間にある人の情けと心意気の映画じゃありませんか。

観る前はもっと牧歌的な作品かと思っていたのですがなかなかにドラマチック。主人公の明かり屋を演じているのが監督のアクタン・アリム・クバトその人でありまして、この役柄、素朴でピュアなのですが、どっちかというとそれを売りにしたカッコいい主人公ってな感じです。

「明かりを灯す人」を観てまず思い出すのがビートたけしです。かなり似ています。どの映画の何と似ていると言われても困りますがとにかく似ています。たたずまいや木訥感、いい人っぽいところなどですかね。顔も似ています。角度も似ています。とにかく似ています。失礼なこと言ってすいませんでした。

もう一人似た人がいます。
いや人というか漫画なんですが、ジョージ秋山の「浮浪雲」の雲です。こちらは姿かたちやたたずまいや角度などは一切似ていませんが、キャラクターとして似ています。つまりその、思想心情的なるところが似ています。こういう正義のあり方は我々日本人にもよく理解できるのではないでしょうか。
「浮浪雲」の雲さんは「普段はちゃらちゃらしてるけど実は超強いスーパーマン」みたいな単純な設定のキャラクターでなくて、その、漫画のファンなら知ってると思いますが強いことも弱いこともどちらも「実は」とか「本当は」という、そういうもんじゃないんですね。まさに雲のようなお人なのであります。
「明かりを灯す人」の明かり屋さんももちろん「実は強い」とかそういう設定では全くありませんが、でも意外な部分もあって、かなりの思想家だし技術者として冷静だし社会を考える人だったりするんですね。でもやっぱり基本的に古い風習や村の有り様の中でとてつもなくナチュラルに生きているという点が雲さんっぽく感じるところだと思います。

いえまあ話半分に聞いといてください。

ひとつとても素晴らしいシーンがあって、そのシーンでは脳内映画神経が高ぶりました。ある人が亡くなったという知らせを受けて葬式に向かう道中の、嘆きながら自転車を押して歩くシーンです。「つらい人生を送った友よ。今度はどこであえようか」
この短いシークエンスで私は鳥肌が立ちました。この言葉、被さる音楽、画角、構図、歩く速度、カット時間、何かすべてがぴたりとハマりましてですね、まるで魔法です。
このようなシーンがひとつでもあれば他がどうであろうと、もう映画として十分です。
もちろんこんなのは個人的な体験にすぎないので別の人は別のいいところを発見するだろうし、何とも思わない人だって当然います。また当たり前のことを書いてるな。すいません。

お茶飲んだり煙草吸ったり何か食べたり、歩いたり話したりします。知らない土地の知らない風習もあります。可愛い女の子がいるのに「男の子がほしいんだ」などと望んでいます。電球は透明です。風車は錆びています。土壁が綺麗です。山がすごいです。空が凄いです。景色が綺麗です。テントみたいなのを作る工程がはたらくおじさんです。人間の顔はなじみ深いです。知らない土地の知らない映画はただ普通のことをやっていても、それだけでも面白かったりします。

監督のインタビューを読みました。
映画のことを聞かれて「何も知りません」と答えるのがとてもいいです。
小津安二郎の名を出しますが「けど観てません」です。これはいいですね。ちょっと言えませんね。
いやこれ、力強い態度ですよ。

私もですね、いろいろ聞かれることがあるんですよ。「楽器は何を」「わかりません」「影響を受けた音楽は」「わかりません」「マテリアルと似ていますね」「知りません」「キングクリムゾン好きでしょ」「知りません」
それとか「芸大の何々先生知ってますか」「芸大行ってません」「何々先生の展覧会どうですか」「存じておりません」「イタリアではどこがお勧めですか」「行ったことありません」「何々については」「知りません」
私はときどき自分がとてつもない阿呆で、場違いな世界に生きているのではないかと思って落ち込むわけですが、アクタン・アリム・クバト監督はこう言います。

「何も知らない、でも、映画をつくる人、でいさせて欲しいのです。」

素晴らしい。これから私もそう言います。

アクタン・アリム・クバト『明りを灯す人』インタヴュー:OUTSIDE IN TOKYO

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