運命の子

趙氏孤児
運命の子
公開年:
2010
製作国:
監督:
製作:
  • チン・ホン
  • チェン・ホン
製作総指揮:
  • レイ・チョンルン
脚本:
主演:
  • グォ・ヨウ
  • ワン・シュエチー
出演:
  • ファン・ビンビン
  • チャン・フォンイー
  • ホァン・シャオミン

二千年以上語り継がれている悲劇「趙氏孤児」をチェン・カイコーが映画化。

運命の子

 

「趙氏孤児」は、司馬遷の「史記」にも記載された、もう二千年以上語り継がれているいわば古典中の古典でありますが、そんなことは全然知りません。私、古典知りません。古典に限らず、何も知りません。何一つ知りません。知っていること以外は何も知らない全然無知無知蝸牛であります。

さて「運命の子」はまさに運命の子です。いかにも中国の古典。謀略と戦争、犠牲と運命のいたずら、その狭間で苦しむことになる一介の町医者、親と子の物語、苦しむ親、苦悩する子、変遷の謀略者、運命は皆を紡いでいきます。いやもう、お話自体はあれです。運命でつらい系です。中国数千年の史記に疎い人でも、我らが手塚治虫が描く物語を思い浮かべれば何となくわかるでしょう。仇討ち、憎しみ、時間の経過、因果応報、境目のない悪意、そういった映画チックでドラマチックな物語です。

長い時間の中でイイモノと悪者が裏返ったり、運命のいたずらで人が傷ついたり、歴史のうねりで悲劇が起こったり、因果応報だったり、そういった物語に触れるとついいつも「手塚治虫みたい」と思ってしまいます。手塚治虫ってすごいですね。え?手塚治虫みたいって思ったことないですか?そりゃそうですね。読んできた人しか思わないですよね当たり前でした。

中国の歴史物でちょっとだけ敷居が高いのは、漢字が読めなくなるところです。たとえば、適役の屠岸賈ですが、トガンコと読みます。最初は字幕にもふりがなをふってくれてますが、そのうちふりがながなくなるので屠岸賈ってなんて読むんだっけ、と、こうなります。他の登場人物もすべて漢字の読み方を忘れてしまい、頭の中で勝手に違う読み仮名を作ってしまったりします。特に、序盤にたくさんの人物がまとめて登場しますから大変です。

そんなわけで、最初は「うわあ。人いっぱい出てきたなあ。覚えられるかなあ。歴史物はたへいんだなあ」と思うかも。思いました。けど大丈夫、チェン・カイコーの見事な演出力で、そんなのは杞憂となります。いつのまにか、すーっと物語に入っていけます。名前の漢字ぐらい、どうでもよくなります。とてもわかりやすい作りになっておりました。

「運命の子」は序盤から中ほどにかけて、怒濤のような展開に目を奪われます。まあ、ほんとにすごいです。歴史アクションサスペンス超大作映画が何本も束になって、その全部のクライマックスシーンをまとめてぶつけられたかのような感じを受けます。演出から何から何までど迫力とど緊張感、ど悲劇にどドラマです。すごいです。この前半だけでも十分すぎる価値があります。

そして中程では物語の急転直下と、前半の余韻でもってこれまたじっくり見せます。呻る演出です。後半に向けて力をため込んでいく構成力もいいです。なんせ、演出力はずば抜けていますね。

チェン・カイコーは大変評価が高い監督ですが、個人的には「10ミニッツ・オールダー」の「夢幻百花」でしか知りません。観たことがありません。全く知りません。何もしりません。知っていることすら知りません。全然無知無知蝸牛です。
えっと。でも「運命の子」の序盤・中盤そして後半の演出力の見事さに圧倒されまして「この監督、すごすぎる」と驚愕です。

古典的物語のストーリーにケチをつけてもはじまりませんが、オチの部分についてだけ、やや評価が下がります。筋だけの問題じゃなく、演出もちょっと下世話系のものになるんですね。これ、わざとでしょうか。最後の演出がちょっとくさいために、せっかく「すごい映画を観てるなー」という興奮がちょっと冷めまして、そこだけは個人的に残念なところでした。最後があんな風じゃなかったら、今頃だいけっさくだいけっさくと騒いでいたかもしれません。こうして何日も経った後は、あまり強く印象に残っていないんですよねえ。

とはいえ、やっぱり序盤のすごすぎる部分、中程のぐっと落とし込んだ部分、後半の盛り上がり、それぞれお見事でした。

クライマックスのひとつのシーンがとてもよろしかったです。どういうシーンかというと、主人公とその仇が初めて対等に対峙するシーンです。推理もので探偵が謎解きをするシーンのように、お互いがにらみ合いながら、序盤のあるシーンについて語り尽くすのです。「あのとき、あいつがああいうふうにしたから、こうこうこうだと思った」「あのとき、おまえがこうこうこうしたからあれあれだと思ったのだ」「あのときなになにがあれあれだったのはなぜだ」「うぐぐ。あれあれはこれこれだからこう考えたのだ」と、緊迫したシーンですが、非常に事細かに序盤のあるシーンについてふたりが考察し、吐き出し、突きつけます。いかにあのシーンが重要だったか、改めて思い知らされます。
このシーンを見て「なんて中国映画っぽいのだろう」と思いました。なぜそう思ったかはわかりません。まあとにかく、あのシーンは大変すばらしいと思います。

他に言いたいことがもう一つだけあります。

冒頭で、主人公たちがうどんを食べているシーンです。中国のお茶屋文化はサロンとしてのカフェと同等の、とても文化レベルの高いものです。中国の歴史物ではお茶屋シーンはは外せないですね。
で、その、これは初めて見たんですが、うどんかそばかしりませんが、なんとテーブルの上部に干してあるかのようにぶら下がっているんですよ。
テーブルには鍋があって、その干してあるうどんをですね、箸で取って鍋に入れ、しゃぶしゃぶしてからタレの入った小鉢に移してそして食べます。これは何という新しい食べ方。ニュー替え玉というかフリー替え玉ともいうべきシステム。
もう羨ましくって羨ましくってたまらなくなりまして。これ食いてー。これ食いてー。と、強く強く思いました。

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