ザ・マペッツ

The Muppets
「マペット・ショー」や「セサミ・ストリート」でお馴染みマペットたちが繰り広げるコミカルミュージカル敗者と復活のファミリームービー。
ザ・マペッツ

 

懐かしいですね。マペット。でも実はあまり知りません。本国での国民的人気ほどの強い思い入れがある人は日本ではあまりないかもしれませんね。「セサミストリート」とごっちゃになってる印象もあるかもしれません。いやでもめちゃ好きな人もきっとたくさんいるでしょう。

さてディズニー映画のこの「ザ・マペッツ」はいわゆる映画シリーズとしての「マペット」の最新作でもあるそうです。7作目とか書いてありますが、へえそうなんですか、と、そういう知識もぜんぜんありませんので、資料的な発言は控えて次行きましょう。

歌と踊りが随所に挟まれまして、ミュージカル仕立てです。ちょっと前の「魔法にかけられて」と似た感じです。「魔法にかけられて」とシリーズであると思っても違和感ない感じです。

と、いいますのも、やはりディズニーのセルフ・パロディじみた笑えるシーンが随所にあるからです。例えばカーミットが初めて登場するとき聖歌隊の歌が流れますが、通り過ぎる「聖歌隊バス」だった、みたいなそういうセルフパロディのモンティパイソンじみたギャグが今作でも健在、「魔法にかけられて」ほどぶっ飛んでいませんが面白いシーンがたくさんあります。

序盤、ハリウッドへの旅行を前に、人々が盛大に歌って踊るシーンがありますが、ああいったシーンを見ているとほんとに感心します。色がですね、明るくて白くて綺麗なんですよね。人間の写し方も、強い影が出ないように、どういう照明の当て方をしてるかわかりませんが、もう画面の明るさと色合いを見てるだけでディズニー映画だとわかるほどのまろやかでクリアで明るく綺麗な映像です。昔の加工されたスチール写真や着色白黒写真が動いているかのようです。きっと、照明だけじゃなくて映像処理に相当な気を遣ってると思われます。芝生の上に落ちる影の色すら調整されていますよ。往年のディズニー作品の色調そのままの凝りに凝った映像です。もちろん、冒頭だけじゃなくて全編すべてにわたってそうです。たぶんマット合成も多用されています。

テーマパークのほうも色に関してはとてつもない懲りようです。あまり気づかない部分にもアートペイントを施していて、ひとつひとつは普通の人は気づかないけど「全体の印象」として作り上げる夢の世界の構築を果たしています。

主人公のゲイリーとマペットのウォルターは兄弟です。
いきなりそれ前提で映画が始まるもんだから、最初ちょっとびっくりします。とても「自然に受け入れられる」ような描き方じゃなくて、きわめて強引です。その強引さもネタの一つとして扱っていて、でも映画が進むにつれやっぱり自然に感じるようになってきます。力業ですね。

今回のギャグ要素の中で、セルフ・パロディとはちょっと違う「映画自体のパロディ」が出てくる部分がありまして、昔のメンバーを集めるシーンの中で出てくる”モンタージュ”のシーンがとりわけ印象的です。
「モンタージュ」というのは映画業界の言葉だそうで、展開を省略する場合に短いシーンをぱっぱっとたくさん出して省略している内容を観客に想像させる技法です。
たいていの場合は音楽とセットになっていて、例えば、ロッキーでは一所懸命訓練してだんだん強くなっていく様を、音楽に乗せて多様な訓練シーンの連続として表現したりします。「ザ・マペッツ」では、多くのメンバーの居場所に出向いては説得して仲間に引き入れるというシーンの省略に使われています。

あの表現技法を「モンタージュ」というとは知りませんでして、それを教えてくれたのは「チームアメリカ/ワールドポリス」でした。あのときは「モンタージュ」の歌に乗って主人公が特訓していくモンタージュに笑い狂ったものでした。

今では「モンタージュ」の技法がどういうものなのか、いちいち説明せずとも観客はそれを知っているという前提で、モンタージュで省略した一エピソードをわざわざ引っ張り出して見せるという一捻り加えた小技まで繰り出します。

若干細かいマニアック系のギャグなどをちりばめながら、今は落ちぶれたマペットたちが集って最後はささやかながら立派な舞台をやりとげるという典型的な敗者と復活の物語が展開します。もはや神話に近づいたこうした典型の物語を、大胆な省略でスリムに描ききりまして、さきほどのモンタージュじゃないですが、映画全体がモンタージュのような形相すら帯びています。余計な枝葉や説明を排し、わかりきった感動シーンのくどさを排したこの「最短の物語」が、かえって観客の心を掴むのかもしれません。マペットの存在感を浮き立たせるのにも一役買っているように思います。

クライマックスはマペット・ショーの舞台です。チャリティのテレビ番組という設定ですが、舞台の生放送というのがとてもいいです。主軸はテレビじゃなく舞台なんですよ。ここすごく大事。最後はマペット・ショーの舞台をたっぷり堪能できます。これはアナログ人形劇のマペットの復活であるとともに、アナログ舞台芸術の復活でもあります。

さて、エイミー・アダムスです。「魔法にかけられて」と「ダウト」で私の心を鷲掴みにした才能溢れる可愛子ちゃんであります。おじさん、大ファンであります。
ところが本作では最初エイミー・アダムスと気づかなかった。「よく似た人だなあ」と思ってしまったんですが、それはちょっとぽっちゃりしたからですね。ぽっちゃりしたからと言ってあの目元の美しさに何ら変化があるわけないので「似てる人」なんて思うほうが頭おかしいのですが、何にしろ、ややぽっちゃりしたエイミー・アダムスでした。でも大丈夫。ぽっちゃり健康的でたいへんよろしい。
なにやら世俗的見解では「おっさんになるほどぽっちゃり女性を好む」なんて似非統計もあるそうですが、まあ、合ってるかもしれません。
とにかくエイミー・アダムスは素敵です。異論は存在しない。

主演のジェイソン・シーゲルも、優しそうな、絵に描いたようなディズニー映画顔で好演。脚本も担当しているんですね。才人なんですね。聞くところによるとマペットの大ファンなんだとか。

「ザ・マペッツ」のDVDにオマケのNG集がついていて、この中で食に関する面白いシーンがふたつあります。

ひとつは二人してチキンを食べてるシーン。チキンがパサパサで口に残りセリフが上手く言えないとき「これパサパサよ」と文句言って笑います。そうです。パサパサの食べ物ほどたちの悪いものはありません。ドリンクなしでパサパサチキンなど食えません。胸肉なんて特に酷い。想像するだけで喉が詰まります。パサパサ反対。大共感。好感度超アップ。

もうひとつは車内でホットドッグを食べるシーン。映画では「これすごく美味しい!」と言い合うシーンで、観ているときも、ちょっと浮いているセリフだなあと思ってたんですが、NGシーンでは、まずくて食えたものじゃないということが明かされます。あのホットドッグが美味しいシーンは楽屋落ち的なネタだったんですねえ。

というわけでFRAGILEさんも号泣大絶賛の「ザ・マペッツ」でした。カメオゲストもジャック・ブラックはじめ、たくさん出演しています。でもどうしてジャック・ブラックはクレジットされてないんですか?されてました?

最後はエイミー・アダムスの「ダウト」からのブロマイドでもおひとつ。

「ダウト」のエイミー・アダムス
「ダウト」のエイミー・アダムス
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