変態男

Ordinary Man
「変態男」という邦題を付けられたこの映画、オリジナルタイトルは「凡人」です。ホラーでもスプラッタでも色物系低品質映画でもありません。 ヨーロッパの新鋭監督による変な路線の良作を日本に紹介する変態箱シリーズ、その中でも「変態村」と並ぶ屈指の出来映え。
変態男

褒めますよ。これ、無茶苦茶おもろかったです。

冒頭は夜のハイウェイです。カップルがドライブしていますと、後続車がハイビームしたあと煽ってきます。煽ってる上に追っかけてきます。
「鬱陶しいな。次の出口で降りよう」降りますと、後続車もついてきます。一悶着ありそうです。ありました。
カップルの男は後続車のやつに殺されたようです。女は拉致られます。

ちょっと怖い始まりですね。
普通に見ていると、後続車に乗っている気違い殺人鬼の話だと思うでしょう。一瞬「あぁ、その手の映画ね」と私も思いました。
ところがとんでもないことになってきます。
女は拉致され、最初は「その手」の映画っぽく脱走を企てたり、失敗して再度捕まったりするのですが、犯人が顔を出してくる当たりから映画の様子が変わってきます。

「その手」の殺人鬼の話なんかではありませんでした。それどころか、ホラーでもないしスプラッタでも切り株でもありません。これ、ジャンル不詳の、文芸系の映画と言っていい作品でした。そんでもって、メタクソおもしろいのです。
そもそもの設定もいいし、その上で物語りや個々の人物描写もいいです。味わい深い役者さんたちも全員よいです。捻りもいいです。

褒めてばっかりでどんな映画かわからないでしょうから、もうちょっとだけ説明しますと、後続車の殺人犯が凡人なのです。確かに人殺ししたり、とんでもないことをやってのけたりはしますが、ジェイソンやレザーフェイスみたいな連中と違って、家族もいて家具屋を経営するまさに凡人なわけです。この男が、拉致ってきた女の声帯をつぶして車のトランクに詰め込み、家族に内緒でこっそり面倒を見続けるという、そういうプロットなんですね。
「どこが凡人やねん。やっぱり変態やないか」と思うもよし「凡人が殺人を犯す悪夢の具現化」と文学的に解釈するもよしです。

こうしたお話の一体何が面白いのかというと、この凡人殺人犯のまさに凡人であるがゆえの面白さです。凡人だから決断力がありません。殺すにしろ何にしろ、決断できずに問題の解決を先延ばしにして泥沼化していきます。そのだらだらした感じがとてもよいのです。

そしてさらに拉致された女です。この女性がキモになります。この女性もまた凡人です。しかしその平凡さが異常を呼び起こします。

旦那を殺され、自分は声帯をつぶされ拉致されてトランクに詰められています。殺されるでもなく、逃げ出すわけでもなく、自分から何か行動を起こすということがありません。自ら人生を大転換させることができず、凡人らしく何もせずにあるがままの状態をただ受け入れます。

「凡人が現実逃避を実現する悪夢の具現化」と見てもよいです。つまり安部公房の「棒」や「箱男」と同じです。
また、凡人は変化を畏れるので、異常事態からの大きな好転よりも何もせず適応することを選びます。つまり高線量地区から逃走できずに緩やかに集団自殺を望む「変化を畏れる人々」と同じです。

それから、男の妻、男の親友の警察官、それから、最初の事件を捜査する二人の刑事、いろんな人が登場しますが設定的に彼らは皆、凡人です。凡人であることは何という変わり者であろうか、と、そういう哲学的な思考がもたげ始めるほどに、あまりにも普通で、あまりにも変です。

この「凡人」「変態男」という映画は、彼ら凡人が出くわした凡庸ではない事件と、それによって導き出される異常者としての凡人、凡人であるがための異常さ、そういったものを描きます。

一体全体、何が平凡で何が異常なのか、誰が変わり者で誰が普通なのか、普通とはそもそも何なのか、ここはどこなのか、あたしは誰なのか、と、そういうところまで行ってしまいます。

スリラーなのかホラーなのか文芸作品なのかコメディなのか、一筋縄ではいかない作風も絶妙です。ついでに、登場する役者も全員すばらしすぎます。拉致される女を演じた女優クリスティーンさんなんか完璧です。この人以外にこの役をこれほどこなせる人はこの世にいません。この顔立ち、この表情。ちょっとたまりませんです。
実はこの女優さんは撮影監督の奥さんだそうです。
さらに驚くべき事実は、主人公とその妻とその娘、これカルロ・フェランテの本当の家族なんですって。家族総出でボランティア的な参加だそうです。それなのに奥さんに「あんたが求めてきたら虫唾が走る」とか凄いセリフを言わせたりします。娘に対してトラウマが残りそうなとても可哀想な仕打ちをしたりします。

ヨーロッパの若手監督にはベテラン役者が手助けしたりするのをよく目撃します。こないだの「変人村」のヴァンサン・カッセルといい、「変態島」のエマニュエル・ベアールといい、映画業界の美しさを感じます。ベテラン役者だけでなく、ベテランスタッフも若手のために人肌脱いだりするそうです。
本作「変態男」では何とオリヴィエ・グルメが司祭の役で登場します。司祭のシーン、やけに丁寧に撮ってるなと思ったんですが、オリヴィエ・グルメに対する敬意の演出でしょうか。
こうやって、よってたかってベテランが若手を手助けします。いい話ですねえ。

「変態シリーズ」は数年前にリリースされた作品群です。

当時は「変態村」だけを観て「こんないい作品に何て酷い邦題をつけるんだ」と憤っていましたが、この変な邦題シリーズ、すべてヨーロッパ若手監督のレベルの高い実験的作品ばかり集めたもので、リリースしてくれたことは本当に素晴らしいことでした。
で、強烈なタイトルで人目を引かなければ、誰も気づかぬままになっていたことでしょう。そういう意味で「変態」とかタイトルに付けたことは、炎上目的の広報戦略としては上手く行ったのだろうと思います。
ただ「変態村」を観たときに「これはいい。他の変態タイトルの映画も観てみよう」と全然思わなかったのは、やっぱりタイトルが悪すぎたせいでした。「ヨーロッパ若手監督の良作を紹介する」というこのシリーズ本来の意図が、こちらに全く伝わっていなかったんですね。映画祭でも話題になったらしいし、映画マニアならすぐに気づく筈なのかもしれませんが、私のようにぼやぼやしている人間は何も知らないままだったんですね。

というわけでこの「変態男」はヨーロッパ映画の名作のひとつに数えても何ら問題ないレベルです。「変態村」も良作ですが、こちらはホラーの範疇を飛び越えています。この完成度には多分みんな驚くでしょう。
出来の良いヨーロッパ映画として、不条理文学の映画作品として、シニカル系コメディとして、あるいは良質サスペンスとして、意外な切り口のスリラーとして、いろんな見方で楽しめる奇跡的な一本。役者も最高。

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