マリアの受難

Die tödliche Maria
「パフューム ある人殺しの物語」のトム・ティクヴァ監督のデビュー作。主婦マリアの狂気をじわりじわりと描きます。
マリアの受難

そういえば「パフューム ある人殺しの物語」をあれほど熱狂支持したのに、トム・ティクヴァ監督作品を追うこともなく、人気沸騰した「ラン・ローラ・ラン」も観ていなくて、何も知らないなあ「ヘヴン」も観てないしなあ何か観たいよなあと漫然と思っていて、それでデビュー作「マリアの受難」を観てみることにしました。

「マリアの受難」は、ちょっと精神的にヤバい系の落ちまくりで鬱々の孤独な主婦マリアのお話です。暮らしも鬱陶しいし、旦那も鬱陶しいし、寝たきりの親の世話も鬱陶しいし、日々のルーティンも鬱陶しい、そんな人です。日記代わりの手紙を書いては棚の後ろにポイしたり虫を捕ったりします。

最初はこの主婦の事情が飲み込めないのですが、だんだんと判ってきます。世話をしてるのが実の親ということや、どうやら結婚前の少女時代からずっとこの家に住んでいることなどです。

マリアの鬱々は、最初は共感できるタイプの鬱々のように見えます。しかし徐々に彼女を狂気が蝕んでいきまして、こだわりの映像表現と相まってなかなかいい感じの狂気の物語となっていきます。

華を添える、という言い方も変ですが、変な主婦、変な夫、変な寝たきりの親という変な人大会の中で、まともそうな隣人が登場してほんの一時、観ている我々もほっとする瞬間があったりします。
この隣人、ヨアヒム・クロールという役者さんです。よく見かける味わい深い俳優の誰かにすごく似てると思うんですが、名前も思い出せないしどの映画で見かけたかも思い出せないのでまあいいか、と思って書いてたら今思い出しました。「ヴェラ・ドレイク」のとぼけた青年レジーを演じたエディ・マーサンにちょっと似た感じと思ったのでした。変な人だけどいい人そうな、そんな風貌です。よく見たらあまり似てないかな。役柄的に似てただけかな。

この隣人のキャラクターがとても良いので、映画的にもアクセントとなっていい印象を残します。

さてマリアは小さい頃から夢の世界に生きていて、日記代わりの誰に宛てることもない手紙を書き続けては戸棚の後ろにポイしてきました。
この手紙の束が、狂気へ誘う最初の発露としてドバーっと放出されます。この放出感はなかなかいいです。

放出された手紙の束から適当に選んで読み始め、過去の記憶を呼び起こします。ストーリー的には過去の呼び起こし、映画技法的には観客に生い立ちを説明するシーンとなります。
手紙の一つずつがエピソードになっていて、一通ごとにお話が登場します。この感じは童話っぽいです。

過去の自分にずぶずぶとハマっていき、マリアの狂気はどんどん進行していきます。
鬱状態で過去に取り込まれることは危険です。どうしようもなく落ちていきます。良い子は真似してはいけませんよ。

クライマックスではトム・ティクヴァの変態映像が炸裂し、まあちょっと古い映画なのでインパクト的にはあれですが、十分いい映像です。

若干の若々しさも感じるトム・ティクヴァのデビュー作、狂気の映画としてオーソドックスかもしれませんが、きっちりした重苦しさや映像へのこだわり、脇の人物の個性や美的グロ描写には、この方の才能を十分に感じさせる力を持っておりました。

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