コッポラの胡蝶の夢

Youth Without Youth
フランシス・フォード・コッポラ監督が10年ぶりに監督したという「コッポラの胡蝶の夢」はある種の物議を醸した地味目の老人ファンタジー。「若さなき若さ」の映画化。
コッポラの胡蝶の夢

変な邦題だから敬遠していた作品でした。原題は原作小説と同じ「Youth Without Youth(若さなき若さ)」です。「胡蝶の夢」の言葉は知っていてもあまり文芸上の意味とか知らないので、「胡蝶の夢」っていうタイトルを付けた古典的有名作品のコッポラ調リメイクかと思ってました。
いい機会なのでちょっぴりぐぐってみたところ特にそれをタイトルにした古典的有名作品があったわけでもないらしいです。そのまま普通に胡蝶の夢という意味みたいです。まったく紛らわしい邦題を付けてくれたものです。

胡蝶の夢は、荘子の、蝶になった夢を見て目を覚ましたが、果たして夢で蝶になったのか、はたまた蝶が見ている夢なのか、みたいな説話ですね。
夢のことを調べ上げていく中で出会った言葉でした。
子供の頃に、大人になった自分が子供時代を夢に見る夢を見て以来「今が現なのか、はたまた、未来の自分が見ている夢なのか」と思い続けた経験があったのでそれを思い出し「ほう。中国の偉い人もおれと同じようなことを喋ってたのか。昔だったらいい話やなーとこうして古典に残って羨ましいこった」と僻んだことを覚えておりますがそんな話はどうでもよろしいです。

夢と現に差異を見いださないことの次にやれることは夢と現を混ぜ合わせることです。

ここで筒井康隆の「法子と雲界」を紹介せずにはおれませんが、夢についての考察の果てである夢文学のある種の究極です。この「法子と雲界」では夢と現で継続する行動を取れたりします。人を食ったような話ですが文体の妙技も伴って不思議な中国古典思想的夢文学の傑作です。

映画と全然関係ない話は大概にして、この「コッポラの胡蝶の夢」はミルチャ・エリアーデの小説「若さなき若さ」の映画化作品で、まあまさに「夢か現かどっちなんだい、どっちでもええわ」的な幻想的なお話です。

年老いて人生を悔やんでいる老人が雷に当たって若返るという話なんですが、ただ若返って頑張るという話でもありません。

ストーリーは大きな流れがあるというよりも、あちらこちらにうねりまくります。驚きの連続でもあるし、どんどん想像を超えた方面に突き進んだりします。何度も「ええーっそういう展開になるのっ嘘っほんとっ」みたいな気分に浸れます。

一体全体、この映画はどういう映画なんだい、と思うこと請け合い。こういう映画と思えばああいう映画になり、ああいう映画と思えばそういう映画になり、そういう映画と思えばあんなことになったりこんなことになったりします。妙な展開が面白いです。
最初の、学者さんが鬱っている序盤から、インドの洞窟まで出てくる展開になろうとは誰も想像もしません。

まるで夢のように出来事が生まれ場所を移動し時を超えます。「胡蝶の夢」と邦題に入れ込む気持ちは十分伝わります。「コッポラの」はいらんかったが。

若さなき若さですから、思想信条は老人のまま変わりません。そして予想できるとおり、老人の郷愁がびしびしと迫り来ることにもなります。過去に囚われている老人が若さを手に入れたところで、やはり過去に囚われており、時間は不可逆的には流れません。とても悲しいことにもなります。

一言で説明しにくいファンタジー作品ですが、あえて言うと全面的に夢を肯定する映画です。幻想材料としての夢ではなく、まさに現と夢を等価値においた点が重要で、意外とそういう作品は少ないように思います。夢そのものを描いた文芸作品にある程度慣れていないとストーリーだけを追う見方をしてしまい「なんだこりゃ」ってなるかもしれません。作品自体はファンタジックだし小難しい難解な作品でもないし普通に見やすい作風ですが、そういう意味では難解系と言えなくはないかもしれません。一般的な意味で。

これを巨匠コッポラが引っさげてやってきたとなれば誰もが驚いたかもしれません。

いつまでもいつまでも失礼ながらやっぱり「ゴッドファーザーの」とか「地獄の黙示録の」とかが枕詞にくっつく巨匠コッポラです。
私個人はゴッドファーザーと言うよりも「地獄の黙示録」がリアルタイムでしたから印象深いです。当時は巨匠の到達点と思っておののいたものです。

その後「コヤニスカッティ」で大きく印象が変わります。「コヤニスカッティ」の公開時、客を入れるためか「コッポラ製作」とやたら強調されていました。で、公開前の上映に出向いて「コヤニスカッティ」を観て腰を抜かして感動し、コッポラに対してはただの巨匠を超えて大いなる尊敬を覚えました。
「こんな素晴らしい映画をみんなのためにプロデュースするとは、ただの巨匠ではないぞ」と強く思ったものです。

で、いろいろあって随分久しぶりにコッポラ作品「テトロ」を観て、その小品っぷりや妙なセンスに驚きと共に「やっぱり」感につつまれ、そんでもってその後インタビュー記事を読んで「胡蝶の夢」と「テトロ」と「ヴァージニア」の三作は是が非でも観とかないとな、と思ったわけです。

コッポラ師匠に何が起こったのか全然知りませんが、あれほどのメジャー名画を残したあと、その後いろいろあって娘が注目されたりして、自分は事業やったり製作にまわったりして、そんでもって21世紀のある日、初心に立ち返ってちょっと毛色の変わった小品を自分で製作したり文芸思考をのぞかせたりする三部作を作り終えました(小品三部作らしいのですよ)興味深いです。

そういうわけで「コッポラの胡蝶の夢」は、大袈裟に言われているようには難解でも文芸的でもありません。普通に見やすい、雰囲気のいいシーンも目白押しの老人ファンタジーです。でも根っこには夢文芸という前提があったりするのでそういう意味ではやや文芸よりかな、と、そんなご紹介でした。

 

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