サイモン・バーチ

Simon Birch
サイモン・バーチ

ジョン・アーヴィングの「オーエンのために祈りを」の一部が映画化された「サイモン・バーチ」は、生まれながらに体がちいさなサイモン・バーチと、私生児ジョーの友情の物語。

サイモン・バーチ

こないだ観た「ドア・イン・ザ・フロア」もそうですが、ジョン・アーヴィング原作の知らなかった映画を観るという俄マイブーム。「サイモン・バーチ」は公開時にちょっと話題だったのでタイトル知っていましたがこれもジョン・アーヴィング原作だったんですね。

原作「オーエンのために祈りを」から一部の映画化だそうです。「オーエンのために祈りを」は読んでませんのでどんな話か知りません。今は「ドア・イン・ザ・フロア」の原作「未亡人の一年」をポチしてものすごく久しぶりにジョン・アーヴィング読んでますが、やっぱりおもろいですねえ。

「サイモン・バーチ」もしっかりジョン・アーヴィング節が満載なのですが、全体のまとめ方がちょっと異質な感じもします。正統にまとめすぎだし、感動ドラマ的にすぎるからです。

一時期のある映画で特徴的な、振り返る系でこぢんまりまとめています。
冒頭に大人が登場して子供の頃を振り返り、本編の少年ドラマが始まります。いろいろあってドラマが終わると、もう一度最初の大人シーンに戻ってまとめを行います。このまとめで、自分のあれにあれしたりしていることが明かされたりします。これが振り返る系ドラマです。

このまとめ方は好みではありません。最後の、自分のアレにアレしたりするシーンも効果的と思えません。同じアレするシーンで最近「サラの鍵」で号泣しましたが「サラの鍵」は特別だし意味が違います。アレにアレするではわからないでしょうが観たら「ああ、これのことか、あるある」とわかります。

だからせっかくのジム・キャリーですが、個人的にはプロローグとエピローグはいらなかったなと思ってます。でもほんとによくある王道の構成だし、98年って最近かと思っていたけど結構前だし、文句言っても始まらないのでよしとします。

というわけでここまでは気に入らない部分ですが、それ以外はいいです。やっぱり原作の力強さを感じるし、親友ジョーが優しいいい子でたまらないし、ジョーの母親がこれまた魅力的でとてもいいし、それからジョーの母親が惚れたベンという男、この男もいいです。とてもいいです。みんないい感じです。いいドラマです。いいドラマが嫌いな人以外はきっといいと思うことでしょう。

大きくなれないサイモン・バーチの障害をコミカルに描くこともいいです。これに違和感を感じる人もいるでしょうか。差別的だと言って怒る人いるでしょうか。いないと思いますがいるかもしれません。そういう人はお友達にはなれそうにありません。

サイモン・バーチは生まれたとき小さすぎるので「1時間以内に死ぬ」と言われますが生き続け「一週間で死ぬだろう」と言われても生き続けます。小さな体のまま生き続けた彼と、私生児ジョーが親友同士となります。野球やったり山を駆けたりします。

この序盤のファンタジック展開はいいですね。このままのノリでガンガン突き進むタイプの映画であってもよかったな、なんて思ってしまうほどです。

障碍者がいい子で、それ前提に進む泣かせるドラマって括りで大方はあっていますが、それでもそういう手合いの安っぽい作品ではないと強く宣言しておきたいところです。

この小さな少年サイモン・バーチはただ小さいだけではなく、親の愛情を得られていません。その彼が生きる意味を自分で言い聞かせます。つまり自分は神様の目的によって生かされているというのです。神様の道具であり、道具には使い道の意味がある。だから自分は生きている。

信心深いいい子だと感心している場合ではありません。サイモン・バーチの絶望を端的に表現しています。体に障害があり、親の愛もない、彼が見つけた信仰心は絶望の別の表現にすぎません。個人としての感情を押し殺し自分の感情など取るに足らぬものだ、なぜなら自分はただの道具だからだと、強烈な心理的防御を行っています。もし神様の道具じゃなく、ひとりの生きている人間だと自覚したらその瞬間にサイモン・バーチは崩壊するでしょう。何としても感情を押し殺し、コミカルに自分を演じ続けなければ生きられないんです。

その彼がですね、ありったけの愛情を感じるのが親友ジョーと、そしてジョーの素敵な母親です。この母親をサイモン・バーチは心底愛しています。彼らの前ではサイモンはひとりの人間の少年になれます。その彼がですね、その彼がですよ、あぁ。ジョン・アーヴィング、あんたはひどいお人や。なんということか。いや、ジョン・アーヴィングの小説ではよくある「らしい」展開ですが、しかしひどい。あぁ。

演出はものすごく真っ当なアメリカンドラマです。構図とかいろいろ、すべて上手なドラマの演出です。真っ当すぎて無個性なほどですがそれこそがアメリカンドラマの個性です。笑わせるところや泣かせるところのツボもよーくご存じです。

サイモン・バーチが夕日のシルエットであたふたしながら「I'm sorry」と言うシーン、あれなんですか。あれはいけません。あれでもう涙腺大解放ドバーですよ。まったく。ひどいもんです。

そもそもその直前にジョーの母親の素晴らしいシーンがあります。教師とやり合うシーンです。じつはあそこも結構涙腺緩みます。だからダブルパンチです。

そんなわけでいろいろあって、最後の最後には少年ジョーの名演技にほだされ、やけくそ気味にトリプルパンチを受けます。この少年ジョーを演じたのは「ジュラシックパーク」の弟くんなんですか?へえ。上手ですねえ。

この映画はドラマとして王道な作りですが、ちょっとだけ捻ったところがあります。後半のバスに乗り込むところ、サイモンとジョーが別々の行動をとる部分です。あそこで、王道に沿ったモノローグが入って、観ている私たちをミスリードします。あんな王道な演出とモノローグをやられると「うわ。きっとこの後、ああなってこうなって、そんでもってこうなってしまうに違いない」と思わされます。でもそれはさくっと裏切られるんですね。「ひゃーだまされた」ってちょっとだけ思うことでしょう。監督、ちょっと個性も出したかったんですかね。

サイモンに抜擢されたイアン・マイケル・スミスはこの映画の後は役者になることはなかったようです。全米希少疾病患者団体に在籍して映画の3年後、2001年にはワシントンD.C.での年次会議で講演したそうな。その後は勉学に励みMITに在籍していた模様です。本気の賢い人になったんですね。

ころころ転がる物語と魅力的な人物でぐいぐい見せるドラマの中のドラマ、ちょっと前と思っていたらもう軽く15年前の映画であったという、ジョン・アーヴィング原作の「サイモン・バーチ」でした。

 

 

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