籠の中の乙女

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籠の中の乙女
公開年:
2009
製作国:
監督:
製作:
  • ヨルゴス・ツルヤニス
製作総指揮:
  • イラクリス・マヴロイディス
脚本:
撮影:
主演:
  • クリストス・ステルギオグル
  • ミシェル・ヴァレイ
出演:

子供たちを家の敷地内に閉じ込めて世間から隔離し、両親の操作で独裁的偽常識を植え付け育て上げている家族のドラマ。怖くてギリギリ、面白くて異常、文芸的興奮に満ちた野心作にして21世紀の怪作。こういうもの凄い作品に時々出会えるから映画はやめられない。

籠の中の乙女

裕福な家庭っぽいです。家も広くて庭も凄い。そもそもこのおうちの作りからして妙な世界です。でかい家にでかい庭、鎮座するプールは海の如し、塀は世界との境界。猫はにゃー。そうです。まさに「世界」です。この家の三人の子供はどうやら生まれてから一度も敷地外に出ていない様子です。この広くて狭い家庭内の世界で、子供たちは暮らしています。
両親、とくに父親が「外は危険だ」と家族を世間から隔離して自分の思うがままに育てています。母親も協力しています。

言葉からしてうそばっか教えていまして、単語も無茶苦茶です。「ちょっとそこの電話機取って」「はい」と塩を渡したりします。
子供たちは純粋培養の幼児性が抜けないピュアな性質で、体は大人ですが純情無垢です。それでこの人達が平然と普通のホームドラマのように暮らしています。綴じた世界に疑問を持つことなく、女性器のことを「キーボード」と認識することが正しいその世の中で生きています。とにかくその姿を淡々と追う映画となっています。

「籠の中の乙女」はギリシャの映画で、この作品を引っさげてやってきた73年生まれのヨルゴス・ランティモスはギリシャで最も才能ある監督のひとり、テレビCMやミュージックビデオなどを手がけていたようで、映画はそれほどありません。で、「籠の中の乙女」はカンヌ国際映画祭である視点で見事グランプリを獲得し、一気に世界の注目を集めました。

グランプリ、取って当然です。こんな変な映画は近年希です。めちゃいいです。凄いです。文芸的でコメディで恐怖で不条理でナンセンスでブラックでホラーでスリラーでエロティシズムで狂気で社会派でキャッチーでポップでマニアック、まあなんせ超個性的。「やられたー」って思う監督も世界のいたるところにいるかもしれません。

この話題作が近所で上映されていたのはずいぶん遅れてこないだの夏の終わりです。「やっときたかー」って思いながら、大阪に観に行って、ついでにタイガー寄ってアップルストア寄って、新地のバーで飲んで帰ろうとかいろいろ計画立ててたんですがタイガーがまだ休業中だったことをきっかけにモチベーションを奪われ、そのまま観る機会を失っていました。さらに近所である京都で上映されたのはついこのあいだで、もうDVD出まんがな、というそんな時期なので当然DVDで観ます。
いやはや、こんな凄い作品なら無理をしてでも上映中に観ておくんだったと思っても後の祭り、後悔先に立たず落ちん子後ろに立たずってやつです。まあいいか、上映してたのだってずいぶん遅くてついこないだなんだから。誤差誤差。

さてこの映画は、どちらかというとこれ以上の事前情報なしに、どんな作風かすら知らずに観ることを強くお勧めします。
この後は感想を書いたりしていますので、「どのように感じたのか」を読むことによって内容というか、作風がバレてしまいます。まだ観ていない方、純粋ピュアにこの怪作を堪能したければ、こうした感想文すら読まずに是非とも先に映画を観てください。無垢に観てください。そして、ひっくり返ってください。

籠の中の乙女 scene

チラシにもカバーアートにもなっている少女二人のスチール写真を観て「シャイニングみたい」と、ただそれだけ思っていました。だから、カメラアングル的にキューブリックっぽい感じの、思わせぶりなそういう系の映画かな、と漠然と思ってたんですがそれは全然違いました。確かに姉妹のショットは「シャイニング」っぽいですし、カメラアングル的にもアーティスティックな作風ですが、ただのキューちゃんもどきではありません。人によってはハネケっぽいなんていうかもしれないし、日本映画みたいというかもしれませんし、いろいろなネタのひとつです。単純にパロっているというような安っぽさではないパロりかたをしているのが斬新なんです。

パロりかた

いろんな面白いシーンも含めて、この「単純にパロってないパロりかた」という、説明が難しい作風が全編を貫いています。
例えば「電話機取って」塩「はい」みたいなのも含めて、面白いシーンをただ「こういうシーンがありました」って紹介したところで、多分あまり面白くないのです。「ママ、庭にゾンビが咲いてるよ」とかも、ある映画を観て影響を受け真似をする件とかもそうです。ネタ的にはずば抜けているというわけでは決してないのに、でもね、これが映画の中で最強の演出で見せられるとですね、ひっくり返るほどの衝撃を受けるんですよ。どういうことでしょうこれはいったい。

説明が難しい「パロってるような真剣なような変な感じ」は、ベースの演出、つまり棒読み口調のしれーっとした演技や、ギャグの範疇を超えた恐怖に近い間の取り方などのためなのでしょうか。

恐怖とギャグ

「恐怖とギャグ」なんてこれまたありがちな言葉を使いますが、やっぱりこれが要となっています。恐怖とギャグは相性がたいへんよろしくてですね、その違いはほんの僅かなことです。痒いと痛いが似ているのと同じです。スプラッタ系のホラー映画なんかでもお馴染みで、行き過ぎた恐怖演出が笑いに繋がるというのはこれは誰にでも理解できると思います。

で、「籠の中の乙女」では同じ「恐怖とギャグ」にしても、これがまあ今まで観たこともない形での融合となっています。もちろん「行き過ぎた恐怖演出の果ての笑い」などではありません。そもそも恐怖とギャグがまったく分離しておりません。恐怖と同時にギャグなわけです。意味わかりません。いい意味で。
その恐怖とギャグは極めて文芸的で知能高め、さらに、その文芸的というのさえわざとらしい文芸です。シュールで不条理感たっぷりですが、わざとらしい不条理です。さらにこのわざとらしさすらわざとです。そんな感じです。

とにかく最初はこの映画を観て不気味に思うはずです。不気味で、奇妙な家族の世界です。淡々と描かれる家族の日常は静かに高揚を迎え、恐怖の一瞬を経て、それからわけのわからない笑いで観ているこちらの気が変になりそうになります。
やってることのひとつひとつは特別斬新でもないし、何が面白いってわけでもないのに、映画全体の斬新さに目を見はるのです。

この怪作を観ずに21世紀の映画は語れません。もちろん語る必要などありませんけど。

籠の中の乙女

ギャグと狂気の紙一重

姉妹の直立ショット、キューブリックぽいこの写真も怖さを感じますよね。映画本編では、この直後、とてつもないことが起こります。
それまでの不条理感と知性的ギャグを口開けてよだれ垂らしながら観ていたクールな私も、さすがにこの直後のシーンでは椅子から転げ落ちる威力です。笑いのツボは人によっていろいろかもしれませんが、これはたまりません。もうあきません。堪忍してー。殺してー。笑い転げます。

この悪夢のような狂気のような馬鹿受けすっとこどっこいギャグのような奇怪なシーンを経て、その後はもうこの映画の世界を律する文法にけつの穴ほじられる威力で持っていかれます。右目でファニーゲーム左目でモンティパイソン、ヘッドホンでエンガツィオ指令塔、両脇を武装警官に掴まれ足の裏をくすぐられながら切断されるようなそんな感じです。

あまりギャグ系の話ばかりするのも正しくこの映画を紹介することにはなりません。なぜならギャグと狂気は紙一重だからです。狂気を描けばギャグに見えたりしますが、かといってそれはコメディではありません。

隔離・独裁・洗脳・虚構

この映画、大真面目に観ても構いません。家族を包む閉鎖環境と狂気の物語は社会の暗喩としても成立しますし、そっち方面の見方が好きな人にも大きな満足を与えてくれます。
閉鎖環境で嘘情報に洗脳されその中でアホ面下げて幸せいっぱいと言えば様々な国際情勢や日本の現状などを容易に連想できます。

また、前衛舞台劇のようなニュアンスも感じさせます。私は舞台苦手でよくわかりませんが、そこはかとなく漂い続けている舞台っぽさというのもあります。

それから、虚構に注目する観点からも大いに楽しむことが出来ます。壁に囲まれた世界で外部との接触を断たれた生活、という寓話的で記号論的なこの設定は、ずいぶん昔からSFで描かれてきた世界感です。閉鎖した空間に村を作り何世代も渡りその中で暮らしをさせ、情報操作で人間改造を施す、てな話もあります。
高度な言葉遊びも文芸的です。そもそも全体的にこの映画には虚構臭さがぷんぷん漂っています。虚構であることを強調した作りです。

かなり多くのものごとがこの作品に詰め込まれていることを感じます。

ドラマ

最初区別のつきにくい姉妹ですが、だんだんと個性が際立ってきます。
この映画、技巧的な面白さだけでなく、ちゃんとキャラクターも立っていまして、そのへんも相当面白いです。ドラマとしても大層よくできています。父ちゃんもなんかキャラ凄すぎるし、母ちゃんも大概だし、とにかく登場人物全員の味わいは絶品です。

面白いネタや技巧的な面白さ以外に、ドラマ部分のしっとり感もエロティシズムも棄てがたい魅力です。そして暴力です。油断を許さないギャグと暴力とエロがドラマに紛れ込んでスパイラル的に現れては消え現れては消えます。

ものすごく単純に「親が子につく嘘」みたいな観点で、「身近な家庭のドラマを若干大袈裟に描いた作品」っていうふうに受け取ってもこれまた楽しめるかもしれません。
「籠の中の乙女」という邦題の響きは悪くないと思いますが、この映画の原題は「小臼歯」です。字幕や英語タイトルでは「犬歯」になってますが、まあとにかくその歯が抜けるまでは外に出られないと教育されていることを示したタイトルです。

ということでですね、このようにどんな映画であるかというそういう話だけでも多方面に多重に見ることができて、複合的な魅力に溢れているというひとつの証です。

大層なものではない

メタクソ褒めまくってますがまだあります。オーソドックスな意味での「映画らしさ」からずいぶん遠くにいるこの作品、もっと単純に考えるとすごくテレビ世代、オタク世代の映画であるとも思えます。
パロっている映画にも世代感を感じるし、可笑しさのセンスが映画的とはちょっとニュアンス異なります。テレビ的?文芸的?オタク的? わかりませんが、いわゆる映画の本流からずれています。

ハネケやら小津やらキューやらガスやらと、詳しい人ほど何やら文芸っぽい監督を連想しがちなこの作品、誤解を恐れずに言うならば、そんな大層なものではなく、気軽なコメディとして素直に見てもいいと思うんです。我が国ではダウンタウン世代あるいはダウンタウンを観て育った世代にとって身近な作風なのではないか、と、ちょっとだけ思いました。何となくですが。イメージですが。

いい加減な話がだんだんと下方へと流れ始めたので大概にしておきますが、何しろ「籠の中の乙女」は「これまで見たこともない」という絶賛を惜しげもなく投入していいと思えるほど個性的で、ポスト・フィルム映画文法時代のフィルム作品の前衛に張り付く先鋭作品の一つであることは間違いありません。というか、訳わからない褒め方ですがそう言って憚らないほど気に入ったというだけかもしれません。

とにかく絶品です。

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