Virginia/ヴァージニア

Twixt
Virginia/ヴァージニア

フランシス・フォード・コッポラが比較的地味で文芸路線の三部作をこっそり世に放ちましたが、この「Virginia/ヴァージニア」は虚構を強く意識したホラーっぽいミステリー。三部作の真打ちにして最強の一本。素晴らしい出来映え。あっぱれコッポラ。大興奮。大好物。

Virginia/ヴァージニア

三部作

みんな「三部作」っていう言葉が大好きです。コッポラのこれもわざわざ三部作と聞かなければ、まったく三部作とは思わなかったでしょう。作家にとって重要な三部作ですが、観るものにとっても重要かどうかはわかりません。
ただ、好き者にとっては、三部作と聞くと「ははぁなるほど」といろいろ納得することもあるし、ちょっとそういうマニアックな楽しみも悪くないんでしょうね。
普通の三部作と違って、この三部作の特徴はやや理屈っぽい部分もありますんで、ピンと来る人もいれば来ない人もいるかもしれません。

そうそう、「この三部作」ってのは「テトロ 過去を殺した男」「胡蝶の夢」そしてこの「Virginia/ヴァージニア」です。段階的に妙な邦題が付いているのも特徴ですかね。「Virginia/ヴァージニア」なんて原題のままかと思いがちですが元のタイトルは「Twixt」ですから。Virginiaってのは登場人物の女の子の名前です。
この女の子をエル・ファニングが演じてるもんだから、エル・ファニング目当てのお客を呼び込もうとして役名のヴァージニアをタイトルに持って来たんでしょうか。

どういう三部作かというと、インディペンデントのコッポラ作品です。大手配給の仕事と異なり、自分で好きなように作るということで、そのため万人に受ける娯楽大作ではなく、個性的な作風を維持することができます。
コッポラみたいにアメリカ映画のビッグビジネスで成功しすぎた大物にとって、好きなように作るということは特別なことなんだろうなと思います。

さてこの「Virginia/ヴァージニア」ですが、先に言っときますけど、これ滅茶苦茶に好きです。そりゃあもう観ている間から見終わってからも、大興奮の坩堝です。

映画にはいろいろなタイプがあります。タイプと言っても内容や筋やジャンル的なものもありますし、雰囲気や技法的なものもあります。

夢、虚構

「Virginia/ヴァージニア」がどんなタイプかというと、まず一番に来るのがファンタジックで、映画内世界を包み込む雰囲気が独特であるって点です。
普通にドラマを追うだけでなく、映画全体が不可思議な空気に包まれています。つまりこれは技法的な意味では虚構というものを強く意識した作風ってことで、虚構を強く意識した作風は是即ち文芸的ということです。ただの文芸ではなくて前衛的で尖った文芸です。その前衛的な文芸部分の根っこにあるのは、夢や舞台や心理や超虚構といったキーワードになります。

「胡蝶の夢」でも夢は大きなテーマでした。「Virginia/ヴァージニア」ではさらに夢に踏み込みます。物語の進行の半分は夢です。「夢を描いた物語が物語として成立するのか」という昔の命題を思い出します。もちろん成立します。

ホラー、ミステリー、ファンタジー

物語そのものは、主人公作家が立ち寄った街で起きた少女殺害事件にまつわるホラーじみたお話です。少女の遺体を見て興味を持ちます。そして昔の事件、たくさんの子供たちが犠牲になったある事件にたどり着きます。街にとどまり、事件に深く関与していく主人公作家です。そして夢で過去の事件に出会い、事件を解決する糸口のヒントを求めて夢の登場人物とファンタジーを共有します。
ミステリーでホラーでファンタジーです。

シリアス、コミカル

基本的にファンタジックながらシリアス進行です。映像的な処理もくどいほど特徴的です。いわゆるダーク・ファンタジー的な描写が目立ちます。しかしただのシリアス・ダーク・ファンタジーではなく、コミカルな部分が時々思わぬ効果をもたらします。シニカルな笑いから、わりと大笑いするシーンもあります。
コメディ要素があることがこの映画の嫌みったらしい部分をすべて帳消しにします。
夢でファンタジーで過去の事件で残忍で虚構を強調したこの映画、コミカルな部分がなければ、ひょっとしたらちょっと格好をつけた、関西弁でいうところの「いちびった」映画になる危険性があったかもしれません。
コミカルでありつつシリアスな部分もあります。
冒頭で登場する少女の遺体がまさにそうです。保安官がホラー作家に「遺体見る?」と持ちかけ、とれたてほやほやの遺体を見せます。乱暴に置いてあって、胸に木の杭が突き刺さったままです。「こんな死体安置あるかいな」という、そういう状態です。でも我々はこの不自然な死体を自然に見ることが出来ます。それはすでに映画を包み込むファンタジックでコミカルで不思議な雰囲気に飲まれているからです。

カッコいい、カッコ悪い

「湖の向こう側にたむろしている不良ども」という、重要な登場人物の設定があります。この不良どものボス、この彼が非常に漫画チックで面白いキャラクターです。顔に変な化粧をして格好をつけた野郎です。カッコいいポーズがカッコ悪く、不良なのに詩人なあたりがカッコ良くてカッコ悪い、まるでこの手の良くあるキャラクターのパロディみたいにも見えます。この彼、カッコいいのかカッコ悪いのか、パロディなのかマジなのか、真面目なのかギャグなのか、とても宙ぶらりんな存在で、そのためたいへん魅力的です。こういうキャラクターの配置、作ったコッポラが如何にわかっているかという証左です。「さすが。わかってらっしゃる」と何度も思いました。

作家

メタというか超虚構というか、そういうお話には「お話の作り手」という主人公がとてもマッチします。「お話の作り手がお話を紡ぎお話を作るお話」であることが夢と合体すると、虚構内の設定スパイラルがどばっと広がります。まさに夢か現か幻かの世界です。こういう世界感を好きな人にとっては至福の時を過ごせます。嫌いな人にとっては苦痛以外の何物でもないでしょう。

ストーリーは主人公が作家であることを基準にまわります。そもそもホラー作家のファンである保安官が「遺体見る?」と持ちかけることがすべての始まりだし、主人公作家は街に滞在して事件ネタで新たな小説を書き始めます。彼の書く新しい小説が今現在彼の体験している、つまり映画そのものストーリーと重なります。さらに彼の見る夢が、この事件と過去の事件、そして彼自身の物語と重なります。
こうした複雑な構造が、ファンタジックでホラーでコミカルな映像でもって簡素に描かれます。ただのややこしい話ではないっていうのもポイント高いです。

個性的な面々

登場人物たちの面白味も外せません。酔いどれ駄目作家の主人公、ホラー好きのちょっと変な年寄り保安官、でぶっちょの助手、その子供、謎の遺体の少女、牧師、エドガー・アラン・ポー、どいつもこいつも面白いです。登場人物全員が、自分が虚構の登場人物であることを自覚しているかのような振る舞いです。

夢をテーマにした虚構の基本的な特徴は、夢=虚構とは誰かの精神世界での物語であるのだから、そのすべての登場人物はもともと同一人物の分裂した人格である、というような感覚です。だから超虚構の登場人物は的確な場所で的確な登場をし、的確な言葉を吐きます。ある種の嘘くささを内包しています。この嘘くささの面白味が醍醐味となります。

人を食ったお話

実験的でありながらなおかつ面白いというのがコッポラにとっても至上命題なのでしょうか。ただの文芸ではなくコミカル、ただ複雑な構造だけでなくスマートでファンタジー、精神世界のややこしい話にせずホラーでミステリー、トラウマに対峙する部分が冒険活劇、そうなんです。ここ大事なところです。基本、面白いんです。そして極めつけはラストシーンです。この人を食ったようなラストシーンは見事としかいいようがありません。思わずヒャッホーです。大絶賛の褒めちぎり大会になったのも、この洒落たエンディングによるところが大きいのです。

筒井康隆

どうしても出さずにおれない筒井康隆氏の名前です。これまで書いてきたことのすべてが筒井さんの小説と方法論に合致します。そもそも「超虚構」という言葉を作って定義したのは筒井氏です。不勉強なので筒井さん以外の実践を知りませんが、その根っこがラテン文学にあることはわかります。コッポラもラテン好きなので、当然ラテン文学の影響下にあるのでしょう。筒井ファンである可能性はほとんどありませんからね。

こんな人に是非どうぞ

というわけで、筒井ファン、ラテン文学好き、夢・精神・舞台といったシュルレアリスム系の好きな人、ホラー、ミステリー、コメディ、ファンタジー、冒険活劇がまぜこぜになった不思議な世界感が好きな人、具体的にはテリー・ギリアムとかジュネとかそういう系が近いでしょうか、それからシニカルで人を食ったようなすっとぼけたのが好きな人、そんなあなたにぜひ。

 

 

コッポラの文芸路線の小品三部作はこれにて完結らしく、次作はまた大きい映画が撮りたいかなーと監督は語っています。

「テトロ」で、不思議な映画作ったなー、「胡蝶の夢」で、こりゃいいわおもしろー、「ヴァージニア」で、メタクソおもろいスゲー、というのがIQ低い感想の結論でした。

 

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