キリマンジャロの雪

Les neiges du Kilimandjaro
不況の波が押し寄せるマルセイユ。人員整理の首切りがくじによって行われています。不況の港町を舞台に、ある中年夫婦に起きた事件とその顛末。
キリマンジャロの雪

不況のため人員整理をくじ引きで行う冒頭です。不正を嫌い自らの名もくじ対象に含めた長年勤め上げている労働組合長ミシェルも大当たりで解雇に。
裕福でないにしろ当面逼迫することもなく、また、寛容の妻の理解によって解雇は深刻な状況を生み出しません。それどころか、時間がたっぷりできてちょっと人生楽しいみたいなところも少々あったりして、結婚30周年パーティもご機嫌です。
30周年に家族やみんなから送られたプレゼントはキリマンジャロへの旅行券。まあなんて幸せそうなんでしょう。

でもその後事件が起きます。

と、そんな感じの「キリマンジャロの雪」です。中年夫婦が中心のお話です。彼らの家族や親戚や親友や事件の犯人や犯人の家族が絡んできます。いわゆる、ヒューマニズム系ドラマです。

タイトルの「キリマンジャロの雪」はポップソングのタイトルから取られたようで、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」とは関係ありません。

あ、それからいつものように予告編についてですが、この映画の予告編も最悪です。予告編は映画全編の要約でできていますから、ストーリーや感動ポイントなど全てを知った上で映画を観るという風変わりな鑑賞方法を好む人以外は避けて通るべきです。

主人公の解雇された元組合長ミシェルは不正を嫌い弱者に優しく社会正義の意識が強い人間です。様々な弱者に対する救済措置を闘争によって勝ち取ってきたいわゆる左翼系親父であり、理屈っぽいところもありますが個別の事情を社会との関係で理解する知性と博愛の人でありインテリです。

そして妻のマリ=クレールはそんなミシェルと共に生きてきた史上最高の素敵な奥さんです。寛容で綺麗でピュアで賢く、優しくて包容力があって可愛くて男前、ちょっとないくらいの理想の奥さん、いや、理想の人間です。

「キリマンジャロの雪」は、この夫婦が事件にどう対応していくか、不況の社会でどのように生きていくかという、そこんところが重要な映画となっています。日常に近いドラマを描きながら、社会性を強く帯びた作品なんですね。
とても細やかに細部のセリフが設定されており、夫婦の会話の中に社会と人との関係が示されます。問題提起もされています。

夫婦は頭が良くてインテリで優しい人達です。この優しさは愛情を基本に作られております。基本的に同じような善意溢れるふたりですが、映画の中では旦那がちょっと奥さんに負けています。
例えば旦那は失業したときの痛手を思いの外受けていたりします。奥さんは平気です。
例えば自分が被害者になった場合の犯人への怒りを制御しきれないときがあったりします。旦那は冷静だから大丈夫と信じていた奥さんを一瞬裏切ってしまいます。
奥さんのほうがえらいです。

最下層の経済弱者による犯罪についてです。もちろん個々の犯罪は身勝手だし誰かを傷つける悪い行為ですが、頭の良い人は犯人に対する単純な怒りではなく、こうした犯罪を誘発する原因について考察します。
頭が悪く社会性がない人間は犯罪者を許しません。自らが犯罪者と近い立場にいるからです。広い視野で物事を分析する能力がない人は常に身の丈の想像力が限界であり、せいぜい被害者に感情移入するのが関の山です。犯罪被害者が犯人を赦すというような高度な精神活動は理解の外にあります。

知性ある人間でも自分が被害者になったとたんにそれまでの主張が消し飛ぶ人もおります。これは仕方ありません。犯罪者に対する怒りや憎しみは思想を超えます。そのことも理解している真のインテリは葛藤します。

文章の途中ですが・・・一通り書き終わってから気づきましたが予告編の悪口を言う割には以下にネタバレっぽい記述あります。こりゃとんだ二枚舌です。すいません。ご注意を。

キリマンジャロの雪

この映画のミシェルは、犯罪者に同情します。貧困が原因であるとわかっているからです。しかし犯罪者はたいていの場合知性がありませんから、まともな会話すら成り立たなかったりします。貧困による犯罪者を救済しようとしている言わば味方の人間に対して、罵詈雑言を浴びせたりするわけです。

奥さんマリ=クレールは夫の知性を信じていますから安心しきっています。
「夫は暴力を振るいません。そんな人間ではありません」
しかし夫ミシェルは犯罪者に侮辱され一瞬怒りのため知性が消し飛びます。
マリ=クレールが最も傷ついたのは、強盗に括られたときでもなく、大事な旅券が奪われたときでもなく、信じていた夫の知性に裏切られたこの瞬間でした。
ミシェルはすぐに冷静に戻りますが「侮辱されたからだ」と妻に言い訳をします。この言い訳がまた妻を傷つけます。

この映画、主人公夫婦はともに底辺層に優しく労働者の権利を大事にする知性的なタイプです。彼らの博愛精神というものが物語の根幹にあり、博愛精神のない人間が見たらもしかしたら意味のわからない薄っぺらな話に見えるかもしれません。

道路を見下ろせるバルコニーで午後から酒を飲み暢気にしているミシェルが妻に言います。
「我々が若い頃、仕事帰りの路で今の我々を見たらどう思うだろう。いい暮らししやがってこのプチブルめ、と怒りを感じないだろうか」
ミシェルは今の自分たちが搾取する側に見えるかもしれない、あるいは、搾取する側になってしまったんではないのかと危惧しています。犯罪の原因は自分たちの暮らしにもあるんじゃないかと、決して裕福でもないのに、罪悪感を持っています。この映画のテーマが直接的に語られるシーンです。
これに対し妻はいいます。「幸せそうな夫婦だなあ、って思うわ」

この映画は泣くような感動系映画じゃありませんが、正直言いますと奥さんの力強い言葉で何度も目頭が震えました。

奥さんマリ=クレールの魅力は他のお酒に関するコミカルなシーンや映画を観るシーンでもたっぷり堪能できます。もうね、惚れ惚れします。こんな最高の奥さんはこの世にいません。いやひとりいます。それ以外は滅多にいませんよ。

出演者、監督

というわけでマリ=クレールを演じたマリアンヌ・アスカリッドはずっとまえに観た「クレールの刺繍」のメリキアン夫人の人でした。あっ。あの人かっ。「クレールの刺繍」いま思い出した。そうそう、こんな人だったような気がする。
というか大ヒットした「マルセイユの恋」と言ったほうがわかりやすいんですか。

夫ミシェルを演じたのも同じく「マルセイユの恋」のジャン=ピエール・ダルッサンです。というか、私個人は「ル・アーヴルの靴みがき」の刑事のイメージが強烈です。博愛という普段あまり使わない言葉がつらつら出てくるのも「ル・アーヴルの靴みがき」繋がりのイメージがあるからです。

「ル・アーヴルの靴みがき」はボヘミアン、「キリマンジャロの雪」は労働者のお話ですが、ともに愛し合い尊敬し合っている夫婦が中心のお話で、ファンタジーに近いほどの「いい人」による博愛の物語という、なんとなくわずかに繋がりがあるようにも感じます。

地の底に沈み込むような辛い話を好む映画マゾでありますが、寛容と博愛に満ちたファンタジーのような「いい人たち」が出てくるこうした物語に触れると割と心を鷲掴みにされます。ほんとはわしだってちょっとくらい博愛の人間なのであります。博愛と好色の民族派社会主義者なんざますよ。

そんなことはどうでもいいとして、本作の監督ロベール・ゲディギャンはと言えば「マルセイユの恋」と「幼なじみ」というわけで、共同脚本家のジャン=ルイ・ミレシも同じだし出演者も同じでメンバー固定って感じです。
しかも三作ともマルセイユを舞台にしたお話だそうで、もうあれですね、マルセイユ人間ですね、監督。というかロベール・ゲディギャン監督の映画って、ほかに日本で紹介されてます?たくさん撮っておられるのに、あまり紹介されてないですね。

いま初めて知りましたけど、ロベール・ゲディギャン監督とアリアンヌ・アスカリッドはご夫婦なんですね。あらあらそうだったんですか。

というわけで「キリマンジャロの雪」でした。一見単純なストーリーに複雑なテーマを内包する、実に味わい深い素晴らしい作品。博愛精神に満ちたあなたやわたしにお勧め。

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