主人公は僕だった

Stranger Than Fiction
主人公は僕だった

なんと主人公は僕だったというサスペンスでコメディでファンタジーな不思議な物語。

主人公は僕だった

国税庁の会計検査官、毎日規則正しく退屈に過ごしているんですが、ある朝ナレーションのような女性の声が聞こえます。主人公の行動を文学的な表現で描写する声です。
どこかで自分を主人公にした小説が描かれていると疑いはじめる主人公。そして「この些細な行為が死を招こうとは、彼は知るよしもなかった」というフレーズを聞いてしまってさあ大変。どうしましょう。どうなるのでしょう。

と、 こういうお話。どうです。わくわくするでしょ?
適度にサスペンスフルで適度にコミカルで適度にファンタジー、ちょっと変わったお話です。エピソードもなかなかよい。悪くない一品です。

んがっ。

ここからはちょい厳し目でいきます。マニア目線なのでお気になさいませんよう。

まずこの一風変わった設定に私は期待しすぎてしまいました。なんせほら、主人公は僕だったわけですから、これはいわゆる虚構と虚構のせめぎ合い、メタフィクションの新機軸を待ち構えてしまいます。
さらに、小説内で死を宣告されたものだから当然ミステリー要素と虚構の絡みも期待してしまいますよね。
さらにさらに、これ、コメディでもあるわけですから、それらをどのように荒唐無稽に料理してくれるのか、勝手にわくわくして盛り上がってしまいます。
ええそうです。この映画を観ながら、勝手に超面白そうな別の映画を想像してしまったんです。

そもそも完成した作品を貶すときに「〜が〜だったら良かったのに」だの「「〜が〜ってところが駄目なんだよ」とか、そういう、個人的空想理想作品と実際作品を比較して批判するなんて低脳人間のやることですよ。
はい。私、今それやってますが。

そうして勝手にもの凄く面白そうな作品を空想して、実際がそれに及ばなかったので個人的に「いまいちだった」と思ってしまい、とても反省しています。

反省した上でしつこく申し上げます。この映画の設定の大きな間違いがあるんです。
それは、主人公だったのが、「小説」だったという点です。
書かれた小説の主人公だったという驚きを表現するには、これは映画では駄目なんで、小説であるべき設定なんですよね。
ここで映画内の物語と映画内の小説とがうまく噛み合わず、底の浅い「主人公の僕」になってしまったという案配です。
この設定のままなら、この作品は小説であるべきですし、もし映画としてやるなら、主人公だった僕は映画の主人公であるべきで、百歩譲ってラジオドラマでしょう。そもそも文学的な「ナレーション」という時点で小説である面白さを半ば放棄しています。

あっ。
そもそも人の作った完成作品を批判するのに「〜べきだった」なんていうやつは人間の屑です。 完成品を観た上で、空想上の理想作品を別に作り上げ「こうするべきだった」とはなんという傲慢。こういう言い方が製作陣に対してどれほど失礼で身の程知らずか、言われた人にはわかりますよね。そういうやつはゆるせんっ。

というわけで私が人間の屑ということが証明されたので最後の駄目押し。

監督のマーク・フォースターさんですが、他に「チョコレート」や「ネバーランド」など、良い映画を撮っています。
腕は確かだし、上手にそつなく演出するプロ中のプロですね。
でも、良い映画なんですがどれも中途半端で、突き抜けたところがない作品ばかり・・・
うわ。また最低なことを口走ってしまった。

本日最低につきしばらく反省します。
この映画は全然悪くないですよ。ほんとに。まあまあ面白いですよ←まあまあかよっ

2008.1.27

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