透明人間

The Invisible Man
リー・ワネル原案・脚本・監督による「透明人間」。見えない男を描くこの映画の「見えない」ことに関する優れた脚本と女優の力量。
透明人間

透明人間

「透明人間」はH・G・ウェルズの古典SFで、透明人間になる薬を発明した気違い博士のお話でした。昔、SFはエンタメであると同時に風刺と皮肉の文学であり、サイエンス・フィクションと言ってもその実体は突飛なおちゃらけ設定で現実を誇張するものであったわけです。「タイムマシン」にしろ「透明人間」にしろ、タイムマシンができあがりました、透明人間になれました、と無茶苦茶な設定をまず無条件に飲んで、それから真のお話が紡がれます。タイムマシンや透明人間がどういう科学的裏付けでどういうリアリティがあるのかということは、これはどっちかというとどうでもいい部分です。

そんなわけで「透明人間」は、透明人間になれたゲスな人間がどういう具合に最低の人間であるかというのが話の骨子で、ここは2000年のバーホーベン版「インビジブル」も、2020年「透明人間」も外さない部分になっています。

リー・ワネル版

リー・ワネル版の「透明人間」は透明人間になる気違い博士のほうではなく、その妻を主人公に据えます。このアイデアだけなら視点の変更という、面白さはあるものの普通の発想とも言えます。重要なポイントは、単に視点の変更に留まらず独自映画の魅力と完成度を伴ったところにあります。リー・ワネル版「透明人間」は古典「透明人間」の現代風アレンジという枠を飛び越えたと私は感じました。

DV夫のストーキング

透明の悪人に怯える女性が主人公ですが、単に悪者に命を狙われるとか怖がらされるとかというのではなくて、もっと普遍的かつ現代的なテーマをむき出しにします。それはつまりDV夫のストーキングです。リー・ワネル版「透明人間」はストーカーと化した暴力亭主に怯える妻の物語となっておりますね。

夫によるDVとストーキングをテーマにした映画は他にもありますが、こちらは透明人間でありますから基本馬鹿馬鹿しい物語です。でも全編を通して馬鹿馬鹿しさをほとんど感じません。かといってリアリティも感じません。だって自営業者の個人博士が透明人間発明しますからね。リアリティがないのにテーマの本質が迫り来る物語を作ったという、偉業をやってのけたと思います。でもH・G・ウェルズの古典SFだってそのような作りなわけですから、新しい発想による映画であると同時に、古典と同じ方法論で紡がれた脚本とも言えるんではないかと思います。

さてDV夫の妻は怯えきっておりますが、ただ怯えているだけでもありません。最後はもちろん強く立ち向かうわけですがそれじゃなくて、強さの前に「夫のことを知っている」という哀しい現実にさいなまれます。哀れこの被害者妻は夫がどういうやつか熟知していますが周りの誰もがそれを知らないという孤立無援の中で恐怖します。

現実世界の暴力亭主もたいてい外面はいい人です。外交的でにこやかで、みんなに人気があったりしますね。家で暴力独裁者であることなど外では感じさせません。妻が誰かに訴えても「あんないい人が?あなたにも問題があるとか誤解があるんじゃないの?」などと言われて地獄の苦しみを味わいます。ストーキング被害を訴えても「意識しすぎじゃない?」「偶然もあるしね」などといわれて奈落に突き落とされ孤独に涙します。

暴力亭主、身内のストーキング、これらの恐ろしさは他人には見えません。被害にあい精神的に追い詰められた妻だけが夫の正体を見ます。
もう一度繰り返しますね。他人には見えないが妻にだけ見える暴力亭主です。そうです「透明人間」の脚本の骨子はここにあります。

透明人間をネタに物語を作ろうとしたとき、多くが所謂これまでの常識の範囲内での「透明人間」を描くのではないかと思います。透明人間=見えない人、影の薄い人、気づかれない人、という根っこの部分です。透明人間が欲望の赴くまま悪事をはたらくとき「誰にも気づかれないのじゃ。見えない人なのじゃ。どらえもんでいえば石ころハットなのじゃ。イヒヒヒ」と、こうなります。

しかしリー・ワネル版は全然違います。夫の正体を知るのは妻だけであり、他人には妻が言うほどの夫の悪徳が見えないという、そういう意味での「見えない」に徹します。この大きな違いについて、私はとても感心したのでして、長々と書かずにおれないという、だらだらとすいませんことです。

エリザベス・モス

主演のエリザベス・モスの魅力ったら半端じゃありません。いろんな表情が出来るし表現力凄まじいです。暴力亭主に怯える様、自分だけが夫の正体も性癖もしっているという自覚、他人には理解してもらえない孤独、追い詰められた鬼気迫る表情、最後近くの悟りきったような微笑みまで、もうね、凄いもんです。この凄さは誰しもが注目して当然、そしてウェス・アンダーソンの新作にも出演するという快挙を成し遂げましたが快挙というより実力があるんだから当たり前という気もしてきます。

エミリー

そして唐突に話にのめり込んだ感情移入型の感想を挟み込みますが、エミリーという登場人物いますね。主人公の妹です。このキャラがとても良くて、出番は少ないのですが主人公セシリアのエリザベス・モスに負けない存在感があります。ハリエット・ダイアーというオーストラリア出身の女優さんですね、とてもいい感じの人です。で、このエミリーと姉がレストランで待ち合わせて対話するシーンがあるんですけど、このシーンの素晴らしさったらちょっと凄いです。素晴らしいだけでなく心掻き乱し、私は映画の後半ハチャメチャの大立ち回りシーンなんぞを見ながらもエミリーのことばかり考えてしまっていました。

レストランシーンの二人の女優の演技、演出、脚本、そして編集タイミングに至るまで凄まじいシーンでありまして、ウェイターとのとぼけた会話も、姉が興奮気味に身を乗り出す様も、妹の態度も、姉より前にアレの存在に気づく様も、もう何もかもがパーフェクトで恐れおののきました。そんなわけで作り手に感情移入して「素晴らしいシーンを見た!」と思いながらも、物語に感情移入してエミリーと姉の不憫に悶絶し、映画が終わってもエミリーエミリーと念仏のように呟いてしまったという、ひとつの逸話でございました。

てなわけで唐突にブラムハウスの「透明人間」でした。他にもストーリー上のとっても面白い展開とか外せない良いポイントもたくさんあります。ささいな好みでない部分もなくはないですがそれは僅かすぎてまったく気にならず、基本この映画は傑作と言い切っていいんじゃないかと思うほどお気に入りでございました。

 

透明人間 チラシ 裏面  透明人間 チラシ

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