ドクター・エクソシスト

Incarnate
アーロン・エッカート主演の映画「ドクター・エクソシスト」は、やや添加物過多で混ぜすぎ注意のホラーおやつ。悪口は筆が乗るぜ。悪気はありませんけど褒めてはいません。
ドクター・エクソシスト

信頼のブラムハウスブランドですがすべてが大当たりというわけでもなく、2016年、アーロン・エッカートを主演に据えての「ドクター・エクソシスト」は悪くないながらも大したこともないという、ある意味ブラムハウスが得意とする軽く楽しめるおやつ映画の王道的な映画です。軽く楽しめるおやつと言いながらブラムハウスの映画は一歩抜きん出る出来の良さが定評で、もうすっかり信頼のブランドでありますが。と、逆から同じことを繰り返し書いたりして。

「ドクター・エクソシスト」の良かったところはオープニングシーンの次に出てくる最序盤のヘンリーのエピソードですね。美女に囲まれた夢の世界にいる弁護士を夢探偵ドクター・エクソシストが助ける導入部エピソードです。ここではアーロン・エッカートがいつものヤッピーぽい出で立ちで登場し、モテモテ弁護士に「女性に縁がない」と真実を告げたりして、あと「好きな色は?」「ない」「じゃあ車の色は?」「緑」「オッケー、緑の扉を開け」とか、まあ、言ってみればしょーもないエピソードですがポップでコミカルに描かれます。

それで、この映画がポップでコミカルな映画だと早とちりしてわくわくしていました。でも面白かったのはこの導入エピソードだけでした。

もうひとつ、バチカンかウォールストリートかペンタゴンかどこかわからんところから来たエージェント設定のカミラという女性が出てくるんですがこの女性をカタリーナ・サンディノ・モレノが演じてます。カタリーナ・サンディノ・モレノさんを見たのはちょっと久しぶりで、役も変なので観ている間は実はぜんぜん気づきませんでした。が、見れて良かったのでここはさほどファンでもないくせにファンとして好印象と書いておきます。

あとは全体にちょっと惜しい系でした。ここから何かを書き始めると貶しているように感じるかもしれませんが決して褒めていません。

ということで貶すと己の不徳が全部剥き出しになってしまいます。良いところを見つけて褒めると多少とち狂っていても悪い印象はありませんが、悪いところを書くと己へすべてが帰ってきますので覚悟が要ります。ということで、もうこの映画の良いところは書いたのでバレてもいいから何が気に入らないポイントだったかをいくつか書きます。

オチ

いちなりオチについてですが、この映画のオチはよくあるハッピーエンドじゃないので、そこはチャレンジングでOKと思います。アメリカではハッピーエンドじゃないとほんとに客が怒るらしいし、ヒットするのが難しいと聞きますのでね。で、文句があるのはそこじゃなくて、何となく逃げを感じるエンディングでした。最後わりと悲劇的な終わりになりますが、もしパート2を作るとしたら、そこは何とでも出来るという感じにしています。負けた風でもあるし憑依で次に繋げる風でもありますし実はアーロン勝っていたとも取れなくもないという、または若い助手を主役に引き継いでも行けるしカミラ中心でもいけるし、つまりね、パート2のシナリオパターンを何種類か温存させているようなパート2が作りやすい終わりでして、これは姑息に感じましたよ。

何か、何もない

何もないとは元も子もない酷い言い草ですが、キャラ立てや人物の個性や物語の個性を感じさせるキラリと光る何かがありませんでした。ブラムハウスの映画には常に何かこのキラリがあるのですが、珍しくそういうのがありません。いろいろ設定やキャラに箇条書き出来るレベル個性的設定はあるのですがそのすべてが箇条書きの範疇を超えていなくてちょっと退屈です。

混ぜるな危険 混ぜすぎ注意

箇条書きが多すぎるのもその原因のひとつかもしれません。あとその箇条書きの一個ずつがあまりにも余所から借りてきたような設定ばかりなのも原因か、つまりあっちこっちからつまんできたアイデアを混ぜて料理したせいで結果「微妙な料理」になってしまったように思います。

微妙な料理

例えば主人公。車椅子に乗ったやさぐれ悪魔祓い師で過去に辛い出来事の傷があり超能力的な特殊技術を持っていて夢探偵として他人の夢に入り込み治療をするセラピストでバチカンをなぜか嫌っているアウトサイダーで復讐以外に興味ないクールな男を装いますがほんとは優しい男でエクソシストとしてさほど強いわけでもないが優しさと自己犠牲でがんばるタイプで、あと友だちに同じやさぐれエクソシスト仲間もいたり若い助手にも好かれているし最終的にはみんなの好感度をあげまくる人情派という、何ですかこれ。

例えば悪魔ですが、これ悪魔ですが宗教臭を消して「寄生体」などと言ってSF仕立てでもありまして、特定一意の人格があるラスボスでもあり、コンピュータを繋いで数字として検知できる現象として存在したり悪魔祓いというか「治療」では科学と一緒に主人公の超能力的夢探偵能力に頼り切ったあげくに「お前を苦しめてやる」とかヒーロー活劇のワルモノ感もむき出しで、感染と憑依を混濁した謎の広がりを持っており夢世界で願いを叶えたり戦闘したり治療で追い出されたりするという、そういう設定のこれそれで何がやりたいの。

エージェントのカミラさんですが、バチカンから来たと言いながらスーツケースをスッと差しだし、開けると札束が詰まっているというシーンがあります。スーツケースをスッと差しだし、開けたら札束が詰まってるんです。思わず二度書いてしまいましたが、これ、別の映画から間違って混入しましたか。バチカンという名のウォールストリートから来ましたか。スーツケースをスッと差しだし(もうええか)

カタリーナ・サンディノ・モレノさんが引き受けるまではこの役はロザリオ・ドーソンだったそうです。突然降板したので急遽カタリーナが代役したそうな。ここで妄想を炸裂させると、ロザリオさんは脚本を読んでこれがキャリアの汚点になると判断し逃げ出したのではないかという、妄想ですよ。それで、カタリーナはいい人ですから急遽代役を引き受けました。カタリーナはいい人ですねえ。狂人の妄想ですよ。

シナリオ的にはまだ言いたいことがあるので言いますけど、例えば悪魔は願い通りの夢の世界に被害者を誘います。

最初のヘンリーは女にモテたいと思ってるのでモテモテのクラブの夢でした。これはコミカルでたいへんよろしい。で、次は親が離婚した少年ですが、この少年の夢の世界はふたつ出てきまして、ひとつは「父親とキャッチボール」もうひとつは「遊園地」です。もうちょっと捻ってくれよと泣きたくなります。

というような調子で、悪くないのですが全部が全部そのような借りてきた部品の寄せ集めでして、その部品の一個ずつもとても安いんです。この継ぎ接ぎ感、この想像力のなさ感はまるで中学生たちが学級会をしながらみんなで作ったシナリオのようです。

またあるいは、あれもこれもとわざと過剰に詰め込んでその中から新しい価値を作り出すスペイン映画でお馴染みホラー・コンプレックスを目指したのかもしれません。ホラコンもスリコンも上手く嵌まればめちゃおもろい映画になります。が、外すとこのような散漫な感じになります。そこはチャレンジです。そうですね、そういう意味で「ドクター・エクソシスト」にはチャレンジがあります。そこは大いに評価したいと思います。

アーロン・エッカートもこんな脚本でようやってくれた、きっといい人なんですよ。垣間見れます。カタリーナもいるし、若手の助手二人も好感度高いし、全体的に駄目な映画ってわけでもなくて、おやつとして順当と言えるかもしれません。ただこのおやつはいつものブラムハウス提供最高おやつではなく添加剤たっぷりでいろいろ混ぜすぎたややケミカルおやつ。けどたまには体に悪いもの食って舌を真っ赤に染めてウエーっと大口開けるのも悪くないかもしれないので「ドクター・エクソシスト」、わざわざ貶さなくてはならないほど重要な映画ではないという了解でひとつよろしくお願いします。

 

 

 

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