ゼロ・グラビティ

Gravity
ゼロ・グラビティ

宇宙空間での船外活動中に事故発生、二人の生き残りが宇宙に放り出されます。リアリティ溢れる宇宙の本気サバイバル。アルフォンソ・キュアロンの天才的演出が映画史を塗り替えます。「ゼロ・グラビティ」は最早事件です。

ゼロ・グラビティ

アルフォンソ・キュアロンの才能はすでにご承知の通り、特に近年作「トゥモロー・ワールド」の演出力はずば抜けた力を持っていましたね。
今回は登場人物が二人きりであり、にぎやかな映画と違って演技力と演出力に相当な高い技術が求められます。アルフォンソ・キュアロンの才能を知っていれば出来映えに不安などはまったくなく、当然ながら演出への期待は弾ける寸前にまで膨らみます。
そして膨れあがった期待に応えるどころか、軽く凌駕して観客を新たな映像表現の世界へ連れて行ってしまいます。
「ゼロ・グラビティ」の映像は、映画史に刻まれるレベルの事件と言っていいです。
噂通り、とにかく凄い映像であり演出です。

お話は単純で、ただ宇宙で事故に遭い遭難する「宇宙遭難もの」です。古今東西、いろいろな遭難ものがありました。大抵は雪山や大自然が相手です。この映画では宇宙です。

多くいた筈の登場人物は初っ端の事故で壊滅状態、船外活動中だった二人だけが生き延びます。生き延びていますが死ぬ寸前です。もう駄目。もう駄目。という、そういう危機的状態です。なんせ宇宙ですからね。宇宙って何もないですから。

宇宙の真空感や無重力感や孤独感や深淵感などのリアルな表現をとことん極めた映像と演出です。ここまで極めたものは多分かつてないはずです。技術的にも何だか凄いです。CGが凄いとか、もうそんなレベルじゃないです。ずば抜けた演出力のたまものですよ。どうやって撮ったのかとか、もうね、まったく意味わかりません。宇宙で撮ったんでしょ。ねえ、そうでしょ?

登場人物は二人だけです。ですので壮絶演技力が求められます。
サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーです。
観る前はあまりピンと来ていませんでした。サンドラ・ブロックは有名ですがほとんど知らないし、ジョージ・クルーニーにもあまりその、期待できないというか、ね、なんかほら、あるでしょ。でした。

でも違いました。今回のジョージ・クルーニーは、自分が知る限り最高の存在感でした。もちろん脚本がいいからってのもあります。人物造型がジョージ・クルーニーとしてぴったりハマったというのもありますし、それを行ったのはもちろん役者の力でありますからね。
ちょっと三枚目風でラテン気質満開の今回の役はジョージ・クルーニーの魅力を全開させたと思います。にかっとしたヘルメット越しの顔とか、心に焼き付きます。「お。ガンジス川に日が」のところなんかはもうほんとに素晴らしいのでした。
「男前」のくだりや「午後八時と言えば何してる?なあなあ、何してる?」のくだりや「奇想天外な」の言葉の力、脚本の力と役者の持ち味と、それから演出力と演技力、ピタリ嵌まった映画的奇跡の瞬間です。

サンドラ・ブロックの名演技も予想外、冒頭の「はぁはぁ」言ってるところだけで、もうこれは完璧だな、と思いましたでござるよ。素晴らしい演技でした。頑張りました。

よしおれもあたしも頑張るぞ、と、そういう気持ちにさせてくれる実にポジティブな普通の娯楽作品です。

それでいいんです。

ずば抜けた脚本や演出に関しては最早語るようなことはなにもありません。何か言い出せばただただ野暮になるだけです。
でもいくつか野暮やります。

脚本に関してですが、ずばっと思い切ったクールさで、これに感心します。
そうですね、例えばこの映画の大筋を、全然別の娯楽屋さんが作ったとしましょうよ。
多分、宇宙へ旅立つ前の日常の出来事なんかから映画を始めるかもしれません。
子供の話なんかも、もっと臭く演出できたでしょう。会話のテンポやその内容ももっともっと親切設計の説明的なものになったかもしれません。
アルフォンソ・キュアロンとその息子ホナス・キュアロンによる脚本の潔さは絶賛に値します。

後半のところで、娯楽大作としてのサービスシーンもいくつかありました。派手派手しいシーンとか、やや感動の押し売りっぽいところですが、そのサービスシーンにしたって抑制が効いていてまったく嫌味がありません。むしろ素直に受け入れられます。

「トゥモロー・ワールド」のラスト近く、壮絶長回しの果ての大感動を強く記憶に留めている人も多いと思います。
今回は映画の始まりからしばらく、とてつもない長回しを堪能できます。目眩がします。
この映画、全体に短いカットが少なめで、じっとりたっぷり見せます。カットは長いですがカメラの動きが壮絶なのでして、そういうのも宇宙の表現としてとても合っています。
ただ技術をひけらかす色物としての長回しなどではありませんで、「トゥモロー・ワールド」と同じく心を揺さぶるための必然としての長回し技術なのですね。

映像の美しさは映画史に刻まれるレベル。美しい地球の姿や不安で一杯の宇宙空間、上映時間の全てが見どころです。美しさだけで涙ぐんでも良いレベルです。

アルフォンソ・キュアロンは「天国の口、終わりの楽園」からしてとてもスパッとした切れ味の良い演出力が滲み出ていました。
どんどん深みを感じたのは監督作品だけでなく、製作作品の数々がどれも良作ばかりと知った頃からで、「ルド and クルシ」に「パンズ・ラビリンス」から「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」「タブロイド」まで、いろんなタイプながらずしっと芯のある優れた作品のプロデューサーでもありまして、才能あるなあ才能あるなあといつも感心していました。
「グラビティ」によって、さらに名を高め歴史に名を残す名匠となりましたね。

てなわけでみんなも私も大絶賛中、リアル宇宙の遭難もの大作。ラテン気質とサバイバルの融合、映像表現のひとつの到達点、「ゼロ・グラビティ」でした。
こればかりは「ぜひ劇場で」と言わずにおれません。
「劇場でないと」ってのは作品としてあまり褒める言葉ではありませんが、こればかりは仕方ありません。じっさいこの映画の素晴らしさのほとんどが圧倒的な映像にありますからね。宇宙だから真っ暗で大きいスクリーンでしかもでかい音で堪能しなければ。

字幕が邪魔すぎて萎えることもあって、改めて字幕の問題にも考えが広がります。仕方ないですけど。

それにしても「グラビティ」というタイトルをどうして「ゼロ・グラビティ」という邦題にしたんでしょうね。商標か何かの事情でもあったんでしょうかね。

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