刺さった男

La chispa de la vida
失業中の広告屋ロベルトが仕事を無心するも冷たくあしらわれ傷つき、やがて遺跡発掘現場をうろちょろしているとトラブルで転落、即死は免れますがたいへんな事故となってしまいます。アレックス・デ・ラ・イグレシア監督2012年の「刺さった男」は人間の尊厳と愛を描くソリッド・シチュエーション・串刺し・アクシデント・悲喜劇。これ凄くいい。
刺さった男

世界で話題をかっさらった大傑作「気狂いピエロの決闘」(2010)の2年後、アレックス・デ・ラ・イグレシア監督が撮ったのはスケール感をそぎ落とし絞り込みワン・シチュエーションで人間を描いた「刺さった男」です。

この映画は期待しすぎて待ちすぎた「スガラムルディの魔女」の日本公開に合わせて上映されまして「なんとありがたい、なんとありがたい」と念仏を唱えながら待っていましたが結局地方巡業はなく、近郊では上映されませんでした。2013年の「スガラムルディの魔女」をスペインまで観に行こうとしていたやつが東京まで出向けなかったという情けない話ですが、真夏の旅の隙間に必死で時間作って観ました。そんな話はどうでもいいとして。

アレックス・デ・イグレシアの他の作品と同様、とてもカッコいいオープニングが用意されています。
カッコいいオープニングの直後は裕福そうな夫婦が登場、でも「元」裕福だったようで、失業中の夫が面接に出かけるというシーンです。とびきり美女の奥さんは金がないのを気にしない大らかな人で、冒頭の短いシーンで実はこの映画の多くのことを描いています。
「僕は敗者だ」「違う。私を虜にしたわ」
私は最初、魂が汚れすぎているせいで美女で大らかな奥さんを「裏があるのでは」なんてちょっと思ってしまいまして、見終わってとても後悔して「疑ってごめん、ルイサ」と心で泣いていました。

「刺さった男」はコメディとして紹介されていますが、ブラックコメディ要素のある悲喜劇です。最終的には感動で打ち震えて呆然とする名作級の仕上がりでして、もちろんMovieBooの筆者が言う「名作級」という言葉に乗せられてはなりませんが、書いてる本人は冗談ではなく本気でそう思っています。

主人公は広告業界で名を馳せた元エリートです。ですが失業中で相当に困っています。旧友の元に仕事の無心に出かけますが撃沈、プライドはずたずたで気落ちして、そうだ新婚旅行で泊まったホテルを見て癒やされようと思い立ち出向きます。思い出のホテルはすでになく、博物館が建つ遺跡の発掘現場となっておりまして、ここでウロチョロしていましたら警備員に見つかってしまい慌てて逃げます。
この警備員をマヌエル・タリャフェが演じています。「気狂いピエロの決闘」の座長ですね。この人の警備員役がとてもいい感じです。

最初の見どころは広告代理店です。主人公は以前大ヒットしたキャッチコピーを発案した経歴があるようで、広告代理店社長と旧友です。「刺さった男」の原題は「La chispa de la vida」で、これが主人公が発案したという大ヒットコピーです。「人生のきらめき」と字幕では訳されていました。何がいいのかさっぱり判らない中途半端なコピーで、この中途半端さがまた面白いのです。広告代理店のいい加減な仕事っぷりもちょろちょろ出てきまして、馬鹿にしてるし茶化してるし、社会批判とおちゃらけの完全同居です。序盤だけでもかなり楽しめます。そして、旧友に無下にされ、怒りと悲しみに暮れて、それで新婚旅行で泊まった思い出のホテルに行こうとするんですね。

映画が展開してからは複雑なテーマがより際立ってきます。人の不幸を大喜びで取材しまくるマスコミ、ハイエナのような広告屋の暗躍です。これだけなら今では珍しくありません。広告屋で業界人の主人公は自分の不幸を「マスコミに注目される大チャンス」と捉えるんですね。最大限に利用して業界に華々しく返り咲くために利用しようとします。ここが特徴的なところです。マスコミに踊らされる業界人の哀れを体現しますね。一方では落ち込んだときに思い出のホテルに来るというおセンチな部分も持っています。
心配する警備員、救急隊員、医者、保身の市長、ちょっと変な博物館館長、利用を企む業界人、放送権利を巡る駆け引き、一つのシチュエーションの中で様々な思惑を秘め会話劇を繰り広げます。
この映画の全体像はまるで筒井康隆氏の昔の小説のようです。

自身の不幸を金儲けに利用しようとする夫を非難する妻ですが夫は食い下がります。
「ルイサ、仕事が得られることなんかもうないんだ」
「たとえ永遠に失業中でも見世物になるなんて許せない。尊厳はないの?」
「僕に尊厳なんて残ってると思うのか」
最早コメディとは呼べません。
この男前の奥さんルイサが「刺さった男」をワンアイデアの小品から心を揺さぶる名作に引き上げます。

いつまでも登場しない主人公夫妻の子供たちというのが後半に登場します。そのキャラクターはギャグ成分と良き人間成分の両方を兼ね備えた脚本的にも絶品な登場タイミングでこれがまたいい感じ。
「家族の愛」みたいなのが全面に出てきますが演出がいいのでまったく嫌味なんかありません。

実はたいそう凝った大がかりなセットがあったり、ど派手なシーンやドタバタはなくてドラマ性が強かったり、大作なのか小品なのかよくわからない不思議な映画でした。もう後半はコメディ色などどこかへ消し飛び、最後には強烈なカメラアングルと共にクライマックスを迎え、そして最後まで男前の奥さんが映画を締めます。設定は捻っていますが実に真っ当な人間の尊厳と家族の愛の映画であり、当然これを素直に受け入れます。

「スガラムルディの魔女」のおまけのように同時上映された「刺さった男」、脚本は別の手によるものですし、アレックス・デ・ラ・イグレシア作品としてはちょっと変わり種で、雇われ監督作品かもしれません。でも撮影のキコ・デ・ラ・リカもいるし、もし監督が違ったらもっと臭い映画になっていたかもしれないという意味では監督の功績と呼べるんじゃないでしょうか。
配給会社さんはよくぞこれを仕入れてくださいました。

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