アスファルト

Asphalte
アスファルト
公開年:
2015
製作国:
監督:
脚本:
撮影:
音楽:
  • ラファエル
美術:
編集:
出演:

フランスの団地映画「アスファルト」は団地に住む何組かの男女が紡ぐ日常と非日常のちょっとした物語で、そのちょっとした物語に世界と人類を包み込む宇宙的規模の博愛と懇篤を含ませた奇跡の逸品。

アスファルト

「アスファルト」はフランス郊外の団地に住む人々のお話です。主に3組の男女のお話がメインで、彼らの日常にちょっとしたきっかけでいつもと違う非日常の人が現れます。それで住人がそのいつもと違う非日常の相手と対峙、会話して言葉を紡ぎます。物語は数日間の彼らの対話を捉えます。基本それだけの話なんです。そうなんですがそれぞれの会話劇がずば抜けています。というか映画自体が奇跡のような出来映えです。

さて世の中いい映画で溢れかえっていますが「アスファルト」もそのひとつ。フランスの団地映画でけっこうおもろいよと聞き及び、ふーん心優しい系のオフビート系?などと失礼に薄らぼんやり思っていたんですが、出演者の顔ぶれ見たとたんに慌てふためいて急いで観ますね。動機不純ですが、そんな映画の見方もあります。でもってそれでもまだ映画自体への大きな期待というものがあるわけでもなかったんですが、これがですね、見終われば大変なことになりました。気に入りすぎて完全にハート目魔人と化して褒めちぎり絶賛しまくり言葉を反芻しまくり興奮のあまり駐車場で転げ回りついでにゴミコンテナの扉をバーンと閉めてその後数日間にわたり褒めちぎり大会となり大あらわです。ということで何がそんなに気に入ったのか、落ち着いて何か書きます。

出演者

ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ

いきなり出演者ですが、私はヴァレリア・ブルーニ・テデスキという女優さんが大好きでして、この方のアルカイックな優しい目とか透き通るような声とか佇まいとか、そういうのに神を見るわけです。というか菩薩を見るわけです。この女優さんのオーラは菩薩で女神です。そう思ってるのはもちろん私だけじゃなく世界中の人が全員そう思ってます。「アスファルト」の監督も全く同じです。この役はヴァレリア・ブルーニ・テデスキに決めていたと言わしめてます。少し憂いのある菩薩の役、肯定も否定もない、疑いも盲信もない、あるのは菩薩のような女神のようなその佇まいだけです。というわけでヴァレリア・ブルーニ・テデスキのご出演です。

イザベル・ユペール

それからイザベル・ユペールさんですね。昔はこの人のことを知りませんでしたが知ってからというもの映画の側から髪をむんずとつかまれ「こらこっち見ろ」と無理矢理注視させられるがごとき状況でして、イザベル・ユペールが出演しているだけで脳が自動的に注目します。大物にして怪女優、吃りのハーモニカ吹きからおぞましいピアノ教師、ハイミスのコメディアンヌから快楽殺人犯からプチブルの都会っ子娘、あらゆる役をこなし見る者を虜にします。ということでイザベル・ユペールのご出演です。

この二人が同時に拝見できるというので問答無用ですね。

マイケル・ピット

観てから俄然注目した俳優がいます。マイケル・ピットです。「ファニーゲームUSA」で犯人をやったときはさほどでもなかったのですが今回「アスファルト」での役は素晴らしかったですね。見事でした。一挙一動、ちょっとした表情、どれもパーフェクト。他を知らずに勝手に宣言しますが「アスファルト」が彼にとっての最高傑作でキャリアの代表作。

ジュール・ベンシェトリ

サミュエル・ベンシェトリ監督の息子でもあるジュール・ベンシェトリです。この青年の詳細を知って愕然としました。そして「アスファルト」の脚本上のこの役と照らし合わせて驚愕、さらに映画の中で彼が語るある言葉を思い出し号泣です。

ギュスタヴ・ケルヴァン

ギュスタヴ・ケルヴァンは評価の高い映画監督でもありますね。この妙な味わい深いおっさんはテデスキさんとの絡みを担当します。一見自分勝手なやなやつにも見える登場の仕方です。しかしそれをはね除ける面白人徳の味わいが表れてきて何ともまあいい感じ。

タサディット・マンディ

マイケル・ピットのお相手、アルジェリア出身のおばちゃんを演じたタサディット・マンディさんです。まあ、言ってみればこの役は典型的な気のいいおばちゃん役です。気のいいおばちゃんキャラとして何かが突出しているわけではないんですが、でもこの女優さんがそれをやることによって典型が神話のレベルに昇格します。英語のわからないおばちゃんを演じましたが、本人は英語堪能どころか多国語を操るインテリで才人、大人になってからソルボンヌ大学で学び卒業もしたという。すごいです。

ということでいきなり出演者の話から始めました。「アスファルト」は群像劇の会話劇で、脚本と役者の力が映画を高めます。実際、高めました。優れた俳優たちが優れた脚本を演じる会話劇の醍醐味は感嘆レベル。

脚本

ということで脚本です。お話ですね。プロットやストーリーも脚本、細かなセリフも脚本、演出とセットになった脚本、とにかく映画は脚本がすべてですね。

プロットは単純です。団地の住人のうち、三組の男女が出会い会話します。
ひとつは青年と女優。ジュール・ベンシェトリとイザベル・ユペールのコンビのお話。ひとつはおじさんと看護師。ギュスタヴ・ケルヴァンとヴァレリア・ブルーニ・テデスキのコンビのお話。ひとつは宇宙飛行士とおばちゃん。マイケル・ピットとタサディット・マンディのコンビのお話です。

この単純なプロットに細やかで研ぎ澄まされた会話劇が登場します。台詞回しの妙技、言葉の選び方、言葉ではない繊細な表現、間の演出、演者の実力、すべてが高レベルで溶け合います。

そういえばたびたび言及していますが細部に命が宿っている映画が好きなんです。単純化して二元論的に言いますと、プロットよりも細部に価値を感じるということですね。「アスファルト」は明確に後者に寄った作品です。そこんところも気に入った理由の一つです。

さてこの後、個々のお話について書いてます。ネタバレ系になりますので、未見の方は十分にご注意願います。近々観るつもりの方は避けておくほうがいいです。ではここまでの方はありがとうございました、ご機嫌よう。

 

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主なお話

青年と女優

母親が留守がちな青年と新しく越してきた女優です。青年は少しひねくれたところもありますが基本素直ないい子です。女優はイザベルの魅力炸裂で捻くれ具合は青年の比ではありません。この二人の掛け合いをたっぷり堪能しましょう。
「何か飲む?」「ブランデー」てなことで青年がごそごそ台所をまさぐってコップになみなみと注いで渡すシーンとか最高です。80年代の映画も魅力でした。イザベルの若い頃の姿も拝見できます。
「ご両親は?」「死んだ」さすがにイザベルがどぎまぎしていると「うそだよ」とか。
で、ですね。この青年、監督の息子ということですが母親が誰かというとマリー・トランティニャンだというではないですか。なんだとー。と飛び上がりました。

マリー・トランティニャンはジャン=ルイ・トランティニャンとナディーヌ・トランティニャンの娘でサラブレッドですね、派手で美しく、怪っ態な役を好んでいたそうですが2003年恋人と喧嘩して殴られたことが元で死亡しています。このことは「主婦マリーがしたこと」にも書きましたが、サミュエル・ベンシェトリ監督、息子ジュールとの関係と併せて考えてみると複雑で哀しい物語が思い浮かびます。ジュールは98年生まれだそうで、マリーが亡くなった頃5歳くらいですね。このときサミュエルとマリーはすでに離婚していたのでしょうか。していなかったのでしょうか。知りませんが、どちらにしろジュールにとって母親というのは「いつも側にいない人」であったに違いありません。

「アスファルト」はサミュエル・ベンシェトリ監督の脚本であり、自分が育った団地の話を描いた自身の小説を元に書かれたものだそうです。団地の話には監督の自伝的ノスタルジーも詰まっているはずです。その中にいつも母親が留守の孤独な青年を登場させ、それを息子が演じることになったという、どうですかこれ。これどうなんですか。

サミュエル・ベンシェトリ監督がどんな人か知りませんが、マリーが亡くなった後、彼女の他の息子3人も引き取ったそうです。どんな人か知りませんが、博愛に満ちた「アスファルト」を書いた人はそんな人なんです。

おじさんと看護師

映画の冒頭は団地の話し合いシーンからです。私はこの話し合いのシーンがとても気に入っています。すごくフランスっぽいです。民主的で、筋が通った議論をしますね。おじさんひとりがエレベーター修理の費用を出したくないと言ったとき、残った人が別室で話し合います。一人の意見を無視しません。どこぞの天然全体主義国家では民主主義と多数決を混同していますが、これが民主主義です。
おじさんは「自分は2階に住んでるのでエレベーター使わないし・・・」と言いますがこれも特に自分勝手ということではなく、ほんとうに使わないし、払いたくないし、これはこれで主張として当然の意見と思われます。直後、これが仇になってしまいますが。

てなわけで仇になります。車椅子が必要な体になってしまうんですね。あちゃー。そんで、エレベーターなしでは身動き取れず、みんなが寝静まった頃こっそり使います。夜遅くに買い物に出ますがお店も開いてないし、病院にあるスナック菓子の自販機に通うわけですがそこで休憩で煙草を吸う看護師に出会って一目惚れ。

さてお立ち会い。煙草というのはラテンアメリカの住民、日本人と親戚関係にあるネイティブアメリカンの文化的習慣です。彼らは煙草があるおかげもあって2000年に渡って平和な時代を過ごしてきました。古今東西、2000年も継続する高度な文明を人類は他に持ったことがありません。彼らの伝承によりますと、煙草は気を静め攻撃性を消し去る安定剤であり、人と人を繋げ敵意のなさを表現する小道具で戦争を未然に防ぐ平和の砦であり、自然と共生し歴史を辿る心のタイムマシンでもあります。
休憩と煙草は人類文化のオアシス、出会いと恋も一服の煙草から始まります。というわけで煙草を吸う看護師を菩薩であるヴァレリア・ブルーニ・テデスキが完全体で演じます。

おじさんはあれこれ言い繕うあげく「自分は写真家だ」と嘘ついてしまいます。この嘘に対するヴァレリアの態度こそこの映画の真骨頂。監督が惚れ込み、この役は最初から彼女と決めていたというその理由が明確にわかります。

看護師の設定がどうなっているのか、想像するしかありません。彼女の憂いの理由が何か、いやそもそも憂いているのかどうなのか、どっちとも取れます。写真家と名乗る男の話を聞くでもなく聞いています。ちゃんと聞いているのか話半分に聞いているのか心ここにあらずなのかここにあるのか、本気で信じているのか最初から嘘とわかっているのか、どうとでも取れるし全部同時にそうとも取れます。彼女の演技は人智を越えます。同時に多重の状況を表現します。人の話をちゃんと聞いていない看護師と、ちゃんと聞いている看護師を両方同時に表現できます。その上でわずかな喜びや、人と話すことそのものの感動を伝えます。ヴァレリアの佇まいは宇宙です。

宇宙飛行士とおばさん

宇宙ですから宇宙飛行士です。三つのお話の中で突飛な設定となりますね。そして一番笑えるシークエンスだったりします。

脚本的にもの凄く優れています。あまりの出来におののくレベル。まず何といっても設定を納得させるギャグの配置です。宇宙飛行士が誤って団地に着陸しNASAが「二三日おいてもらえますか。内密に」などと言います。面白いのですが普通に考えればあり得ないので、笑いより先に「あり得ないだろう」と乗り切れない人が出てくるかもしれません。ですが天才的脚本は力業で推し進めます。序盤のNASAとの電話シーンに、あり得ないが日常的なギャグを連発して強引に乗り切るんですね。
「はいはいNASAです。どちらさまですか。担当に変わりますちょっとお待ちを」で待ち受け音楽(青きドナウ!)がぴろぴろ〜とか、国家規模の宇宙科学をお茶の間に引きずり下ろしますね。こういうのの連発で笑い転げた観客は降参してこうなります。「あり得ないとか、そういうのもうどうでもいいです。認めた。何でもいい。OKです。その設定、ぜんぜんOKです」その後はノリノリで宇宙飛行士とおばちゃんの会話にのめり込んでハートウォーミングでたまらないことになります。

マイケル・ピットのこそばゆい演技や細やかな脚本、この手の設定にありがちな「悲哀を含むおばちゃん」の息子設定とか、素直で尚且つ捻くれていたりもします。

会話がふと途切れ、おばちゃんが訊きます。「宇宙ってどうなの?」
これに対する宇宙飛行士の返答シーンのすばらしいこと。言葉も通じないのにとても複雑なことを説明しようとして四苦八苦します。ちょっと前のテレビドラマに関する会話シーンとセットで、宇宙飛行士の優れたキャラクター設定が全開しますよ。

「good」という言葉がとても重く重要で大事な言葉だと痛感する心に染みる一編。

サミュエル・ベンシェトリ監督

見事な脚本におののきますが、それもそのはず、サミュエル・ベンシェトリ監督はどちらかというと物書きタイプのようです。最初からシナリオで認められたり、映画に携わりながらも戯曲の執筆を続けたり、一時期は執筆活動に専念していたりしたようです。

「アスファルト」の原案となったのは自伝的小説で、全5巻の大作になるらしいですね。職人の子で郊外の団地で育ったという監督です。映画の中でも、節々に団地のリアルが顔を覗かせます。

世紀の名女優が二人同時に出演するなど、キャスティングの奇跡を感じます。こんな凄いこと、どうやって実現したんだろう。わかりませんが、脚本が優れていたからではないだろうかと夢心地で想像しています。

 

今ちょっと検索して見たら、オフィシャルのインタビューがあったんですね。ちょっと読んでみようっと。横にリンク貼っときます。

 

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