デジャヴ

Déjà Vu
デジャヴ

謎の死を遂げた女性の捜査にタイムマシンばりのすごい装置で挑みます。スタイリッシュ文学的超虚構娯楽SFアクション。

デジャヴ

一般化して久しい心理学用語をタイトルに用いた「デジャヴ」ですが、実際のところデジャヴとはあまり関係のない、タイムスリップSFアクション映画です。

最初に死体で発見される女性の生前の暮らしに後から干渉するっていうアイデアは面白い。虚構の世界ではお馴染みの「回想シーンの挿入によって、未来に過去を登場させる」技法を、ある装置によって物理的に発生させるわけです。
ちょっとややこしいですか。
つまりこうです。虚構には虚構内時間というものがあって、これは自由自在にいじれます。瞬時に数ヶ月後に飛ぶことも出来るし、話を遡って過去に飛ぶこともできます。回想シーンを持ってくることもできますし何でも出来ます。当然のことですね。

ところが、その虚構に触れている現実の時間は直線上に進んでいます。映画で言えば映画が進行している現実の時間です。これは一直線です。映画の中で瞬時に翌日になろうが昨日になろうが、見ている順番に出来事が現れます。これまた当然のことです。

この二つの当然の事柄をもう少し本気で考察してみましょう。虚構内で回想シーンや過去のシーンが登場するとします。映画の外にあるリアルな時間を軸に見れば、それは「新たな事象が発生している」という見方となります。過去だろうが何だろうが映画進行上は新しいシーンなわけです。

そこで、虚構の中に超虚構の存在がいるとしましょう。この存在は、虚構内時間の虚構の存在であることを自覚していて、なおかつ現実時間の直線上の時間にも存在しているというそういう存在です。つまり虚人ですね。「虚人たち」読みました?いやそれはいいとして。

この虚人にとって「過去を回想するシーン」は、そのシーンが登場したときに初めて触れるシーンとなります。つまり彼にとってそれは過去ではなく普通の時間軸上の新しいシーンです。そこで、この新たに出現した過去のシーンに対して、現存在として干渉できるという案配です。

誰かが過去を回想しているその回想シーンに、現在の時間軸から登場人物が飛び込んでくるというような表現です。漫画で言えば、誰かの吹き出しの中の回想シーンに入り込むことが出来るキャラクターみたいなものです。
実際にはパロディじみたメタな行動を取る人、ということですが、理屈で考えるとこのようにややこしい文学的表現であるということがわかります。詳しくは「虚人たち」と「着想の技術」をお読みになればいいとおもいますが、で、ですね。

こうした虚構のイベントを、SF的設定、つまり過去に干渉することの出来る一種のタイムマシンという設定でやってのけるというのが本作「デジャヴ」です。

このとき、「覗き見て干渉する世界」に虚構を当てはめ、「捜査する側の時間軸」に直線的時間軸の世界を割り当てます。現実世界の時間軸、つまり映画を観ているこちら側の世界は特に本編に関係なく、ややこしいメタな映画ではなく、すっきりさわやか娯楽ファンタジー世界を正しく構築しています。

繰り返し出現する過去のシーン、その過去は出現するたびに新しい事象を発生させます。そしてそれに現実の時間軸(の設定)の世界から制限付きとはいえ干渉していくという、そういう面白い発想の作品です。

過去への干渉には常にミステリーの要素が絡んでいて、ぐいぐい見せたりします。
高度な文学的アイデアをSF設定とミステリーで娯楽要素たっぷりに描きまして、なかなか鋭い映画だと思いました。

で、だからこれは心理学用語のデジャヴとは全く関係のない話だとわかります。なぜデジャヴなどと名付けたのか謎ですが、まあ過去が繰り返されますからそれも悪くないかもですね。

謎の死を遂げた女性が美しいのです。主人公の虚人は彼女に魅了されます。私も魅了されました。ポーラ・パットンという女優さんです。素敵できゅんです。

過去をモニターできるというタイムマシン的超虚構的装置の説得力はともかく、映像的にも洒落てるし、ミステリー要素も存分に楽しめます。アイデア倒れしていないところがいいです。けっこうぐいぐい見せます。

ただし最後はお約束のヒーローアクションになって、いわゆるアメリカ型娯楽映画の定石にて収束してしまいます。せっかくの面白いアイデアも消費型流行映画として忘れ去られる運命となるのが予感できます。そこだけはちょっと残念なところでした。

2009.02.03

てなわけで追記している今は2012年なわけですが、先日、監督のトニー・スコットが亡くなられました。トニーさんに何があったのかはわかりませんが、覚悟の上だったそうですので、あれこれ詮索することは避け、追悼の意味を込めてこのポストをちょっと書き直しました。

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