ルース・エドガー

Luce
優等生の青年ルース君に関する映画「ルース・エドガー」です。戯曲を元に作られた個性的な一本。
ルース・エドガー

煽りと罠

配給さんの宣伝がなかなかいい感じでして「天才か、怪物か」と煽るんですね。映画の中でも重要な言葉として語られます。「聖人か怪物か」です。「天才」ではなく「聖人」です。「聖人か、怪物か」のほうが適切だし内容にも合致しています。別に天才青年という設定でもないですからね。という細かい話はどうでもいいですが。

その煽りは映画の序盤でも示されます。主人公青年ルースが絵に描いたような優等生なスピーチを行い、担任のマー・・・じゃなくてハリオット先生(オクタヴィア・スペンサー)がやや不審な目を向けます。見ているこちらも「何だこの酷いスピーチの脚本は」とやや呆れます。母親(ナオミ・ワッツ)も「次は自分のことを語りなさいね」と助言したりします。青年は見え見えの怪しい優等生笑顔です。

こういう序盤はすべて脚本の罠でした。

優等生ぶってる青年怪しい、または怪しく見せてほんとは良い奴とかってオチかな、脚本もなんだか安っぽい、まあ、どうせよくある展開になるんでしょ、などと思わせ油断させます。

好青年ぶった青年が秘めている暗部を探るようにストーリーは進みます。同時に、大人の誤解であるかのようにも展開します。サスペンスフルでミステリーな技法で、つまり普通のエンタメ映画のように「本当はどっちだろう」という真相への謎解きテーマを観ている側に与え続けます。本当はどっちだろう、何を企んでるんだろう、こいつは聖人かな、モンスターかな。罠です。

現実世界には映画の登場人物のようなモンスターは(ほとんど)いません。また、聖人もいません。そんな極端な設定の人生はありません。このことを周到に描いていきます。

脚本の安っぽさは「安っぽいことを言うこと」についての考察が含まれていたとだんだん気づいていきますね。その証拠に、序盤からハッとするような高度な会話が繰り広げられます。例えば最初の授業風景なんか、観ている側にも知見と考察を要求させます。節々にレベルの高い会話が用意されていて、すぐれた戯曲の映画化であることがビシビシ伝わりますね。

戯曲の映画化

MovieBooでいっつも書いてますが、すぐれた戯曲の映画化作品ってほんとにどれもこれも良く出来ています。会話劇の脚本が優れていても良い映画になるとは限りません。でも多くの戯曲の映画化作品が映像的にも引き込むし、なにより役者の力が高度すぎて脚本負けするということがありません。優れた脚本を優れた役者が演じることによって完成度が跳ね上がりまして、脚本すげーと思うと同時に、役者すげーと思うと同時に、キャスティングの大事さを再認識します。

戯曲「ルース」の脚本家J・C・リーが映画「ルース・エドガー」の脚本を監督と共に書いています。脚本の力とその脚本を演じた役者の力を堪能できます。

出演

ということで主人公ルースの微妙な心を完璧に演じた青年がケルヴィン・ハリソン・Jr で、この彼はトレイ・エドワード・シュルツ監督の「イット・カムズ・アット・ナイト」のあの青年です。また同監督の「WAVES/ウェイブス」でも主人公やってましたね。すごく力のある役者ですね。映画を見終えてからも心に焼き付く表情をたくさん残しました。

ナオミ・ワッツは今さら何も言うことありませんが、疲れた母親役が哀愁です。こないだ「ウルフ・アワー」でもかなり疲れた女性を演じていましたね。愛しのナオミワッツは永遠です(何を言っとるか)

ハリオット先生を演じた個性的な女性は最近では「マー」のマーです。マーすごかったですね。オクタヴィア・スペンサーは「評決のとき」以来、多くの映画に出まくっていて、個性的な女優さんなのに私は「マー」まであまり意識していませんでした。酷いことに「こういう感じの女優さん(複数)」と漠然と思っていました。

話は脱線しますが、映画というのはある程度人を類型的に描きますから、あまり意識せずにいると「よく見かけるこういう設定のこういう登場人物」と漠然と受け取ったりします。でも実は「よくある」どころか、全部同じ人だったりします。それはその人の個性だったと、後で判明することもシバシバ。

逆もありますけど。

脚本を安っぽいと感じるのは父親(ティム・ロス)の役割のせいでもあります。鋭い会話劇が高密度で出てくるこの映画の中で、父親のセリフだけが少々安っぽく安直な感じです。でもこれも意図的なものですね。セリフの安っぽさの裏で、ちょっと一面では捉えきれない父親の性格も最後のほう露呈します。これまでのセリフが安っぽいからこその効果というものも現れますね。

黒人・差別者の視点

さて黒人というテーマが据えられています。ですがこの映画はアメリカの、あるいは現代社会の偽善的かつ強迫神経症的病理や差別の心理を普遍的にあぶり出します。黒人のテーマが全面にあるのは、それが現実だからだし重要ですが、ステファニーの件や精神疾患についてのシーンにも含ませています。

こうしたテーマを描くために「ルース」が選んだ技法はサスペンスでミステリーです。真面目な文芸映画じゃございません。ドキドキワクワクするスリラー展開で引っ張り続けます。これが今どき。これがとても良いです。

聖人か、怪物か

聖人かモンスターかを決める側の人間は誰ですか。黒人を型に嵌めて類型的に判断しようとする馬鹿者はどっち側の人間ですか。そしてそれは黒人差別と同じくあらゆる差別的思想の共通項目です。アジア人、精神疾患者、もっと広く想像の目を向けることだってできます。

聖人かモンスターか、真相はどっちだろう、わくわく。・・・この映画は、わくわくしながら見ていた観客の胸ぐらを掴みます。

 

 

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