ザ・ロード

The Road
コーマック・マッカーシーの小説「ザ・ロード」の映画化。文明を失った世界を旅する父と子の寓話。
ザ・ロード

まず誰でも気づくのが「ザ・ウォーカー」との類似点ですよね。内容や設定や細部までそっくりな部分を多く含んでいます。「ザ・ウォーカー」という「ザ・ロード」にそっくり似せた邦題も悪意に満ちています。
もし「ザ・ウォーカー」が単なるつまらない映画なら「ザ・ロード」の劣化パクリという程度で終わっていたかもしれませんが「ザ・ウォーカー」も大層面白かったので良しとしましょう。別解釈エンターテインメント映画と見てもいいかもしれません。

しかし「ザ・ロード」が本当に似ているのはむしろ「ミスト」だと私は思っております。その理由はのちほど。

原作はピューリッツァ賞を受賞したベストセラー小説。コーマック・マッカーシーは「ノーカントリー」の原作「血と暴力の国」でも知られています。
そういえば近年はSFがすっかり市民権を得て、特にSFというジャンルの作品でなくても優れた文学が沢山あり、また、認められてもいます。「ブラインドネス」の原作であるジョゼ・サラマーゴ「白い闇」なんかもそうですね。むしろSFというジャンルが閉塞感漂うのと裏腹に、SFと銘打たない作品のほうがより優れたSFだったりするのが面白い現象です。

本作「ザ・ロード」は原作に忠実であるとの評判ですね。原作に忠実なところがマイナスに作用していると指摘している方もおられます。 未読なので詳しく判断出来ないところが残念です。

ヴィゴ・モーテンセンの演技は見事です。非常に複雑な父親役を演じきりました。
どこが非常に複雑なのかと申しますと、 倫理観を失わず息子に徳を説く愛に満ちた男なのに、同時に自ら説いている徳に反する人間になっていく矛盾を抱えていてしかもそれに対して無自覚であり無自覚の原因が愛と徳そのものにあるというそういう複雑さです。

てなわけで本作は旅する父子の寓話です。「ザ・ウォーカー」では本を、「ザ・ロード」では神であるところの子を運びます。同じようなものを運んでいます。火を運ぶという言葉が映画中に出てきますが、この「火」というのが曲者で、単純な肯定的な意味だけに留まらず、自然と対峙する象徴だったりもします。

この映画は、静かな展開に身を沈めるようなつもりで挑むのがよいでしょう。
こんな助言をなぜするかというと、私はあほですので静かな展開中に物語の先を勝手にいろいろ予想したりしてしまって「この子は本当の子ではないのではないか」「実はほんとの子どもはもう死んでいるのでは」とか「この子、実は女の子だろ」とか、余計なくだらないことを想像したり勝手に意外な結末を予想したりして、本編を堪能するという最も重要な点を序盤にないがしろにしてしまったんですねえこれが。
だからですね、この映画は「実は・・」系のどんでん返しが待っているのではないのでして、皆様におかれましては余計な空想で本編の楽しみを損なうことがないよう、助言させていただきます(←そんなくだらないことを考えるのはお前だけだ)

全編に漂う終末感やその辛さ、飢えや寒さや怖さはずっと維持されていて渋い仕上がりです。旅先で遭遇する人々は、その登場の仕方や繰り返されるフレーズと共に寓話的でちょっと不思議な雰囲気も漂っており、観るべき価値のある映画と言えましょう。

そう。この映画は「ザ・ウォーカー」と違い、シリアスに作られています。真面目でシリアス、文学的な終末ロードムービーです。ヴィゴ・モーテンセンの演技力もあって、そのほとんどが上手くいっています。

が、タルコフスキーの名を出すほどの作品であるかと問われれば、そこまではいってないと思うのが正直なところです。監督の力、今一歩及ばずで、シリアスに徹底できていません。アメリカのヒット映画の呪縛からもう少し逃れることが出来れば名作になっていたかもしれません。

シャーリーズ・セロンを綺麗に撮りすぎとか、せっかくのリアル男の設定を台無しにする無意味な遠泳シーンとか、ヴィゴのサービスヌードシーンとか、気の抜けたシーンもちらほらあります。娯楽作品的な色気を出しすぎです。些細なことですが、その些細な安っぽさの積み重ねが少し残念なところであります。

さて宗教的な作品なので観る人の宗教観が大きく影響します。
なんといっても大きいのが自殺と心中です。日本人ならこの映画で最初から出てくる「酷い目に遭わされそうになったら自殺を」という親子の覚悟について、かなりすんなり受け入れてしまうのではないでしょうか。
キリスト教的には自殺はもちろん心中などはもってのほか。親が心中をほのめかすシーンは相当なきついシーンであると想像できます。
宗教的には、もう教義で救われるようなレベルを遙か逸脱している状況です。
そうです。父ちゃんはすでにいっぱいいっぱいなのです。
あまりにもいっぱいいっぱいのため、汝隣人を愛せよとか、そういうのはもうとっくに失ってしまっています。にもかかわらず “善き人” と出会うために旅をしているのです。 “善き人”がもしたとえ近くにいても、父ちゃんにはそれに気づくだけの余裕がもうないのです。出会えるはずがないのです。旅の目的は最初から果たせない事が明示されているのです。
このいっぱいいっぱいの辛さ、これがこの映画のキモになっています。この辛さはそうです。「ミスト」と全く同じです。あまりの絶望感と子に対する愛情のために、すぐ近くにある希望の光を見出すことが出来ないのです。それは決して悪しきことではありません。その決して悪いことではないというまさにそのために観る人が辛い思いをする羽目になるのです。
映画が終わりエンドクレジットが流れる頃、父ちゃんの悲哀が暗闇の場に充満してとてもとても辛く哀しい気持ちになります。

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