倫敦から来た男

A Londoni férfi
倫敦から来た男

港の鉄道監視所で夜勤をする男マロワン(ミロスラヴ・クロボット)がある夜目撃する一つの事件。海に落ちた鞄をこそこそと持って帰るとそこには大金が。
目を見張る映像美と芸術的カメラワークで綴るサスペンスフルにしてとんでもなく凄い映画芸術の一つの到達点。

倫敦から来た男

「メグレ警視」シリーズなどでもお馴染みの大作家ジョルジュ・シムノンによる1934年の原作をタル・ベーラが映画化。物語自体は思わぬ大金を手にした男と彼の周囲を描くちょっとしたスリラーっぽいお話です。

しかし「倫敦から来た男」は普通の映画とちょっと違います。たまらなくアーティスティックで映像美の塊。エンターテインメントでもビジネスでもなく、もはや芸術作品です。普通のサスペンスを期待すると爆睡の罠に落ちますので美術系の映画になれていない方はご注意。逆に、その手の映画が好物なあなたは悶え苦しむほどの感動に見舞われること請け合いです。

まず真っ先に気づくのが映像の美しさです。白黒画面のゆっくり流れる映像のその画面のコントラストと構図の美しさに息を飲みます。そうですね、ちょっと昔に洒落たポストカードを集めるのが好きだった貴女、全シーンのスナップショットをポストカードにしてお部屋に飾りたくなる誘惑に勝てませんですよ。
映画黎明期の芸術家たちによる映像作品が好きな貴殿も、ダダからシュールへそしてアングラやフィルムノワールへの傾倒を思い出し身震いすることでしょう。

非常にゆっくりとカメラが動きます。そして「寝ろ」と言わんばかりの催眠効果の高い音楽。ふと気が遠くなる瞬間があるかもしれません。体調を万全に整えて挑むべきです。なぜなら、睡魔との闘いの中では次に気づくカメラの動きと長回し、それにシンクロする役者の演技をうっかり見逃すかもしれませんから。

この映画の神髄、カメラの動きと超ロングショットは神がかっています。どんな魔法を使ったんだと驚愕します。

例えば冒頭はこうです。まず水面と船のドアップから始まりまして、ゆっくりゆっくりとカメラが上に移動します。次に引きのアングルに切り替わってくると、監視所の窓からの眺めだと気づきます。今度は監視所の中を右に移動し、その窓から船着き場を狙います。ぐんぐん狙っていくと船から下りる人々。ある人は列車に乗り、ある人は歩いて画面下方へ向かいます。またカメラを引いて監視所の中の人を背中から狙います。彼が静かに動き、カメラがそれを追って左に向きます。左側の窓を映し、ズームしていくと先ほど船から下りた人が歩いて船の反対側にちょうど出ている頃です。その人をカメラが追い、会話を拾います。再びそれを眺める監視所の中の人にカメラが移動、そして右側の窓から外を狙うと、列車が出るところです。列車の動きを一通り撮り終えて静かに船の上に狙いを定めると、甲板で人が何か喋っています。と、まああんまり正確じゃないけどこんな調子です。
ずっと1台のカメラが動き続け、同じ時間軸で役者たちが演技します。船の上、港の船着き場、船着き場と反対側の埠頭、それを見つめる監視所の中。遠くや近く、明るいところから暗いところ、あっちこっちの場所。しかもどのショットも絵画や美術品のようなびしっと決まった構図。どんだけリハやったんでしょう。そして撮影技術の凄さは圧倒的です。撮影誰ですか。天才ですか。

このロングショットによる規模のでかい演劇的演出はこの映画の多くを占めており、後半になるとますます鬼気迫るものになります。息を飲むシーンの連続に観る者の不安感は爆発寸前。

もう一つ面白い技法にも気づくでしょう。ロングショットとの必然的相性でもある、それは「省略しない時間」です。
冒頭のシーンで、監視所から埠頭の先を見ると二人の男が争っています。一人が海に落ち、一人は立ち去りまして、監視所の男は無言で監視所を降り、埠頭を目指して歩きます。歩いた先でごそごそと何かしていますが、多分海に落ちた鞄を拾っているのでしょう。その間、カメラは埠頭の手前をじっと映していて、時折ばしゃーんばしゃーんと波が打ちつけます。この波のタイミングの凄さに「波よ、お前も俳優か」とおののいていると、しばらくして鞄を持った男がこちらに歩いてきます。この男が鞄を拾っている姿は映しませんが、鞄を拾っている時間を省略することなく、カメラは回り続けているんです。
虚構におけるお約束である「時間の省略」を破棄しています。文学的な試みですね。
もちろん映画全体がそうなのではありません。「虚人たち」みたいに、2時間半の物語を2時間半で省略なしに描き、食事や排泄や睡眠まで表現するといった実験映画ではありませんが、ある少ないシーンで「省略しない時間」をとても効果的に用います。

こういう映画ですから役者もたいへんです。たいへんで、そしてそれをやり遂げる彼らは凄いです。

始終不機嫌な顔で心を隠し通す主人公ミロスラヴ・クロボットを始め、映画狂女優ティルダ・スウィントンの本気演技、そして何より本編中2度もの長い長いクローズアップで「頼むから瞬きしてくれ」と祈らずにおれないミセス・ブラウンを演じたアーギ・スィルテシュの恐るべき演技にどうぞ度肝を抜かれてください。

「ヴェルクマイスター・ハーモニー」以来、7年ぶりになるタル・ベーラ監督の長編映画です。
タル・ベーラは1955年ハンガリー生まれの監督・脚本家で77年のデビュー作「The Family Nest」でマンハイム国際映画祭グランプリを受賞。94年「サタンタンゴ」2000年「ヴェルクマイスター・ハーモニー」など高評価を受けています。
ニューヨーク近代美術館、ルーヴル美術館でも大規模な特集上映が行われており、この方の作品が芸術作品として評価されていることが伺えますね。

「倫敦から来た男」は第60回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門で上映され、トロント国際映画祭、ニューヨーク映画祭など13の映画祭に出品されました。

2011.01.08

倫敦から来た男 公式サイト 2009年に日本で上映していました。

ヴェルクマイスター・ハーモニー 公式サイト 2010年の2月に上映してたんですね。(リンクミス修正しました)

映画の公式サイトは酷いサイトが多いのですがここのはちゃんとしてたのでリンクしておきました。映画のサイトって時期が過ぎると消えたりしますんでご注意を。今のところちゃんと存在しています。

タル・ベーラの新作「The Turin Horse」はなんとニーチェ。ニーチェを演じるのは本作にも出演しているデルジ・ヤーノシュですって。いつの日か日本で見ることが出来るでしょうか。

[追記]
はい。早速「いつの日か」がやってきました。今はいつの日2012年。2月より「ニーチェの馬」国内公開です。意外と早い公開。我慢できずにトレイラーを観たところ、これはもう心打ち震えて心臓が止まるレベル。観てないけど大傑作確実です。待ちきれない。
というわけですが私が住む辺境の地では6月まで観れません。辺境の地からほど近い商人の街では4月からです。もちろん4月に観ます。でも今はまだ3月になったばかり。はやくこいこい4月こい。

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