ワンダとダイヤと優しい奴ら

A Fish Called Wanda
モンティ・パイソンからジョン・クリーズとマイケル・ペリンが出演して話題になった事件コメディ。
ワンダとダイヤと優しい奴ら

あらま。懐かしい映画を取り上げてしまいました。
というのも、これを再見したからですね。
実は公開当時に見に行けなくて、それ以来「見損ねた」という強い後悔が魂を支配しておりまして、何年後かにビデオか何かで見たんですが、そのことをまたすっかり忘れてしまい、相変わらず「見損ねた」後悔をずっとずっと引き摺って大人になってしまったんでございます。
死ぬまでにこれを見とかないとな、とちょっと前にDVD借りてきて見たんですが「あ、見てたわ」と思い出しました。
このように強いトラウマは記憶の喪失を呼び起こします。そしてトラウマの原因を自覚することによって症状は治まり、気違いが治ります。おかげさまで治りました。

というわけでモンティ・パイソンですが、どうも個人的に並々ならぬ思いを持っておりまして、最初のテレビシリーズの一回目を偶然見て以来私という個人に大変大きな影響を及ぼし自我の一部どころか自我とエスをまたいだ構造的部分にまで浸透してしまったいくつかの事柄のひとつとなっています。

そんなことはどうでもいいのですがこの「ワンダとダイヤと優しい奴ら」はモンティ・パイソンのテイストとは大きく異なるコメディです。
お話は盗まれたダイヤを巡るドタバタですが、どうやら製作陣の意図はイギリスの笑いとアメリカの笑いを合体させたものを作り出すところにあった模様。
イギリス仕立ての皮肉やブラックさとアメリカ仕立てのドタバタ騒動を手堅くミックスした仕上がりになっています。
最初にこの映画を観た時はその合体の意図を理解できず、随分中途半端な映画だなと思ったものです。
つまり軽いドタバタコメディだと思っていると生々しい下品ギャグが登場したり、不条理会話を堪能できるかと期待しているとIQ低そうな展開になったりと、観る者の「つもり」をちょっとだけ裏切るんですね。私はモンティ・パイソンのファンですが、お二人が登場しさえすれば喜ぶようなミーハーファンではなくて、登場する以上イギリス風インテリナンセンスギャグを期待していたわけです。しかもこの数年前にはテリー・ギリアムが「ブラジル」を撮ってるんですからね。並みの映画じゃ満足出来ない青春の甘酸っぱさですよ。
もちろんそのような勝手な期待をするほうが間違っています。
大人になって偶然再見したことによって、以前見た時の不満はすべてなくなっていました。
年を取り、ピュア真っ白な心で映画を観る修行の成果が現れていますので映画に対する勝手な期待や思い込みなんかもうないのです(ほとんど)

改めて観るとこの作品の良さがビシビシ伝わります。ドタバタで下品で洒落ていてお約束で約束破りでブラックでお色気でシニカルで露骨です。今見るとロンドンの街並みや建築内装もいい感じです。

というわけでこの映画は88年ですか。そうですか。もういわゆる古い映画なわけですね。
コメディ映画は特に古さに敏感ですから、これからわざわざこれを観ようとする人はあまりいないかもしれません。
私なんかは「古さを感じさせない、今でも十分見応えある」と言いたいのですが実際のところわかりません。「古くさいじゃんかよ」と言う人もいるかもしれません。
当時はジョン・クリーズとマイケル・ペリンを見て「老けたな」と思いましたが、今見たら「若いな」と思います。
何を当たり前のことを。。。

初めて知ったことがあります。

この映画のスタッフとキャストが数年後にまた集まって映画を作っていたんですね。
危険な動物たち」というタイトルです。これは全然知りませんでした。
いいこと知った。
「ワンダとダイヤ」を見た人も、意外と「危険な動物たち」は知らないんじゃないかと思いますがそんなことないですか?

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