ぼくを葬る

Le Temps qui reste
売れっ子ファッションカメラマンが癌により余命幾ばくもないことを宣告されます。彼が向き合うのは残された自らの生。
ぼくを葬る

フランソワ・オゾンが「まぼろし」の次に撮った死をテーマにした作品です。

ファッションカメラマンでゲイのロマンは恋人との暮らしも上手くいっており仕事も順調、人生を謳歌しておりましたがある日ぶっ倒れて医者にかかってみればすでに転移しすぎている末期的な癌であることが分かってしまいます。
ロマンは一か八かの化学療法を拒否して運命を受け入れ、残された貴重な時間を自らあるがままに過ごすことを決意。したようです。
絶望に噎び、悲しみに暮れ、死を受け入れたり受け入れられなかったり、恰好を付けたりわがままに振る舞ったりします。己を完結させるために幼少期の自分と向き合ったり自暴自棄的になったり甘えたり発作起こしたりもします。
そしていつしか、死への準備が生への力となっていることに気づくかもしれません。
人は誰でも死にますが「ぼくを葬る」のロマンは死までの残り時間が少なく、しかもそれを自覚できる立場にあります。ゲイであることから、生と性の問題も人並み以上かもしれません。そんな彼が取る行動の数々に、感情移入できる人できない人がいることでしょう。

というわけで「ぼくを葬る」はロマンという男の行動を見守る映画です。彼の行動一つずつに何を感じるかは完全に観る人次第。

いやはやフランソワ・オゾンはただ者ではないです。いろんなタイプの映画を自在に作れます。しかもそれぞれのタイプの映画がそれぞれに本気度満点で、単に技法の表層をなぞっているだけのような不埒な作りではありません。
本作「ぼくを葬る」は死の宣告を受けるゲイの話ですから、ともすればオゾン本人とも心的に密接なのではないかと思えたりしますがそんなことまでは分かりません。

で、淡々とした暗い作品かというとそんなこともなくて、例えばですね、おばあちゃんを演じているのが大物重鎮雲の上のジャンヌ・モローだったりして、このおばあちゃんの撮り方がまあすこぶるカッコいい。もちろんジャンヌ・モローご本人自体めちゃカッコいいってのはありますが、カッコいいのダブルパンチですね。
このおばあちゃんとの絡みシーンは素敵ですよ。別れ際の写真とポーズのシーン、花を摘んで手渡すシーンなんか洒落ていてかっこよくて素晴らしいです。フランソワ・オゾンが大物女優に好かれる監督だってのもわかります。

さてそうこう言いながら、それでも実は私個人的には「ぼくを葬る」は「まぼろし」や「Rickey」ほど大好物というわけではありませんで、まあ好みや感覚の問題ですからあれですけど、ちょっとその「死ぬまでにしたい10のこと」が2003年にすでにありますから、やや似ていなくもないという点で、その、あれです。まあいいか。

さてこの作品、妙なストーリー展開がひとつあります。何とは申しません。つげ義春の漫画みたいな展開ですが、ちょっとぶっ飛んでるけどすんなり受け入れられる不思議で大事な展開です。
この展開を司る女優がどこかで見た女優さんだなあと思っていたら「10ミニッツ・オールダー:The Cello」のベルナルド・ベルトルッチ監督「水の寓話」に出てるあの女優さんでした。ヴァレリア・ブルーニ・テデスキです。いやあ。再びお会いできて嬉しいです(他の出演作は知らないらしい)

子ども時代の姉弟がわずかに登場します。このときお姉ちゃんソフィーを演じているのがつい最近観た「ベティの小さな秘密」のお目々くりくり超可愛い女の子アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージなのでございますねえ。
実を言うとこの子目当てに観たんですが、出番はほんの僅かでした。
そして子供ができて離婚目前の大人お姉ちゃんを演じる女優さんもこれまた素敵なルイーズ=アン・ヒッポーという女優さんです。このお姉ちゃんソフィーとの公園のシーンは無条件に多くの人が感情移入できて涙ぐむんではないでしょうか。赤ちゃんとこの方の美しいシーンは息を呑みます。こんなに素敵な女優さんなのにあまり情報がありませんね。残念。

というわけで「ぼくを葬る」でした。「葬る」と書いて「おくる」と読ませる、とかそういう小っ恥ずかしいのは勘弁してください。2005年の映画の邦題に文句付けても仕方ないですが。

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