インセプション

Inception
夢に立ち入ることで潜在意識に潜むアイデアを盗み取る企業スパイが強制的に与えられた次の使命はアイデアを盗むことではなく、アイデアを植え付ける(インセプション)こと。新たなミッションに集められた豪腕チームが挑む。
インセプション

レオナルド・ディカプリオが演じる主人公コブは、夢の世界に入り込みスパイ活動をするスペシャリスト。
無理矢理与えられたミッションである危険なインセプションを行うため、他のスペシャリストをかき集めてプランニングから実行まで、夢の世界で奔走するという突飛な設定の中で往年のスパイアクション映画の醍醐味をたっぷりと発揮します。

さて夢に入り込みアイデアを盗んだり植え付けたりという設定からして、「パプリカ」(筒井康隆の小説)の話題は避けて通れません。
結論から言うと、インセプションは一見「パプリカ」ですが、よく見ると似て非なるものです。でもさらによく考えたら似ている部分も多いのです。でもさらによく考えたら寧ろ筒井康隆の他の小説のほうが似ているのです。でもさらにさらに考えたら、やっぱり「パプリカ」なんです。最初に考える「パプリカと似ているところ」よりも寧ろ「パプリカと違うところ」と思っていたところがパプリカであったという、まあみなさん呆れないで。二転三転二重三重のパプリカとの関係です。ゆっくり説明していきます。

この映画を筒井先生が見たらどう思うでしょう。予告編を見せられて大層驚いたそうです。(笑犬楼大通り偽文士日碌2月10日

このサイトはときどき筒井氏の小説のネタを、誰もが知っていて当然という前提の如く書いてしまうことがままありますが、今回もそうなりそうな予感。

しかしその前に映画ブログとしてはピュアに映画として書いておきたいこともあります。それからいきます。

まず何をさておいてもエレン・ペイジです。この可愛らしい女性はもちろん皆様ご存じ「JUNO/ジュノ」で突如大注目されたあの女優です。愛らしく憎めない少女を演じてその魅力のため数館スタートがあっという間に拡大公開の大ヒット。今やレオナルド・ディカプリオの相棒、包み込むような優しさで保護者のように振る舞う女学生の役をやり遂げるスターへと大出世。感無量ですね。感無量にならなくてもいいんですが。

監督のクリストファー・ノーランはこのアイデアを10年近く暖めていたそうです。緻密な構成、知的なストーリーテリング、心理的葛藤をクールに表現するその手腕はすでに信頼の織り込み済み。インディーズから大ヒットまで、マニアックな作風から皆が楽しむ娯楽作品まで、その才能については誰もが疑うことがありません。

さて本編ですが、夢の世界のスパイ映画です。スパイ映画として真っ当に面白いです。ツボを押さえています。しかも夢ですからある程度荒唐無稽です。しかし注目したい点は、夢の荒唐無稽さを前半に詰め込み、後半は逆に押さえ込んでいる点です。普通に考えれば、夢ならではのぶっ飛んだ世界をクライマックスに描きたい誘惑に駆られるところでしょうが、この映画はまるで逆です。夢世界はあくまでシンプルに、ドラマのほうに重きを置いています。そして夢の世界ですが、これはよくよく見ると「夢」ではない別の何かであることがわかります。層になった世界、時間概念に法則があったりルールに基づいていたり、どうも夢と言ってしまうには抵抗がある世界です。心理学的あるいは精神分析方面あるいはシュールレアリスム的なる夢の考察は適度に押さえており、この映画を見ても決して「夢と現の狭間にいるようなシュールな体験」をすることはなく、寧ろパラレルワールド感を感じます。夢とシステマチックな夢的世界の新しい世界の構築であり、これはノーランが考え出した異世界モノと言えるかもしれません。

基本スパイアクション映画として仕上げていますからそっち方面の見方でもかなりの面白さ。普通のスパイ映画が世界を股にかけるとすればこちらは夢世界を股にかけ、アジア日本風大迫力の屋敷から雪国から幻想都市から次々に現れる舞台におののくばかり。とてつもないセットから美しいCG合成まで、まあどんだけ詰め込むねんと言いたくなるゴージャスな世界での大暴れです。
ただしちょっと個人的には銃撃戦やカーチェイスにくどいところもあったかなと。お約束だから仕方ないか。

さて「パプリカ」との共通点はもちろん夢に入り込み活動するという根底のアイデアです。これは全く同じと言っていいでしょう。夢に入り込むための装置があったり、覚醒するための方法があったり、それが上手くいかない危機的状況があったり、他人の潜在意識にちょっかいを出したり、より深く潜在意識の層に触れる危険があったりといった同じアイデアが見て取れます。
筒井氏でなくても「セラピーと企業スパイの違いだけだ」と感じるでしょう。
アイデア的にはこのように非常に似ています。

ですがアイデアを発展させた結果はどうでしょう。これが実は全然違うのですよね。まず「パプリカ」は夢そのものへの考察が中心です。筒井氏だから当然です。夢の文芸化に対してこの方以上の考察をできる人はいません。
「インセプション」は先ほど書いたように、夢なんですが真っ当な夢とはちょっと違う世界観を作り上げています。ある種のバーチャル世界に近いのです。「パプリカ」が誰かの夢に入り込むのに対して「インセプション」は共有する夢世界を構築してそこに引きずり込むのです。夢については、潜在意識の層や若干の精神分析的側面を持っている以上のものはありません。なんといってもこの映画は夢に関するややこしい映画ではなく、007シリーズへのオマージュもたっぷりのスパイドンパチアクション映画です。
「パプリカ」は前半精神分析とセラピーの渋い物語で後半は夢の出鱈目さを強調した荒唐無稽なドタバタになりますが「インセプション」は前半に夢の荒唐無稽さを強調した面白さを示した後、後半ではリアルさを重視します。

そんなわけで「パプリカ」とは設定となる部分は同じだけどそれ以上の共通点はあまりなくむしろ逆だったり全然違うタイプの映画だったりします。

さて「インセプション」では夢世界が多重世界になっています。一層目二層目三層目とそんな感じで、互いに影響を与え合う世界です。
劇中に「夢世界で死んで覚醒できなければ虚無の世界に落ちる」という表現があります。
私は知らなかったんですがこの「虚無」は誤訳で、「Linbo」つまり「辺獄」と言っているそうです。辺獄というのはローマ・カトリックで、地獄へ落ちるほどでもない人間が死後に行き着く場所のことらしく、劇中ではこれにちなんで忘却の彼方、不明瞭な夢の層、潜在意識しかない忘却の層といったニュアンスで語られます。具体的には目的を持って潜入した夢の層の中での、さらに危険なもう一段下の層を指します。日本語での「虚無」とは全く概念が異なりますから、この部分、見ているときは若干のハテナが頭に浮かびますがそういうわけを合点すると判りやすくなります。
さてさてこの「辺獄」を始め、互いに影響を与え合う潜在意識が生み出す多層世界の物語と言えばこれがあなた、この発想はまさに「驚愕の曠野」じゃございませんか。「驚愕の曠野」にも多重の、互いに影響を与える世界が登場します。ある層で死ねば次の層へ移動するこの世とあの世の重層世界。時間的な概念も内包するより複雑で怪奇な世界観ですが、「インセプション」の多層夢世界との共通点が多いことに驚きます。
ノーラン監督、あなた筒井康隆のファンですかと聞きたくなります。

この「驚愕の曠野」ですが、この作品、凄まじい世界観を構築しています。「世界」という言葉そのものに疑問を投げかけるかの如く、世界の他に唆界やら爛界やら批界などというレイヤーが存在し、前の世界で死ねば次の世界へ生まれ変わります。これは上下関係がある多層世界つまり層になった地獄とも言うべき世界観で、死んで下層の地獄レイヤーへ移動する度に姿が変わり地獄感が増して行きます。
多層のレイヤーは上下と同時に時間的な直線上に並ぶ未来の層でもあり、なんと驚くなかれ、上下の層と直線的時間軸の層が同じ世界を指しているのです。
時間が進むほどにより下層のレイヤーになるという、四次元的というか、スパイラル的というか、想像力の限界に挑戦するかのような世界観です。
このぶっ飛んだ世界観はぶっ飛んでいるだけでなく、現実世界の状況をズバリ言い当ててもいます。
単純に言うと「未来=地獄」です。この正しい認識を危機感として描き出した「驚愕の曠野」を、過去から見た地獄世界の住民であるところの皆様にもぜひ読んでいただきたいと思う次第です。

というわけで映画を語ってるのか筒井康隆を語ってるのかわからなくなってまいりましたのでここで一旦コマーシャル。コマーシャルの後は落ちについての考察になりますので未見の方はここまでにしておいて、映画を見たり本を読んだりして遊んでください。

インセプション(字幕版)

インセプション Blu-ray & DVDセット

パプリカ (中公文庫) パプリカ (新潮文庫)

驚愕の曠野[単行本]

以上コマーシャルでした。

「インセプション」は落ちにちょっとだけ監督の意地悪が含まれますよね。最後のシーン、これが夢なのか現実なのか、その判断を観客に委ねています。

諸説入り乱れているでしょうが、当の主人公自体が夢か現実かの判断のためのある行為について結果を見定めないという洒落たエンディングです。そんなことは重要な事じゃないという宣言でしょうか。そんな気がします。で「そんなこと」がどんなことを指してるかというと、「夢か現実か」ではなくて「分析や解明ごっこ」に思えてなりません。分析や解明ごっこが大好きなマニアにとってはチクッとくるノーランが用意した皮肉なエンディングです。

私は個人的にこの映画はハッピーエンドであると見ています。主人公だけではなく、大企業の御曹司ロバートにとってもハッピーエンドだったし、この映画、企業スパイのスパイ映画として全てを終えてその後よくよく考えてみたらこれがまあ真のテーマは、この続きはちょっとだけ後ほど。

私は分析や解明ごっこのマニアではありませんが、ひとつだけ大それた分析ごっこをやらせていただくとすれば、この映画には二つの解釈が成り立つと考えます。お遊びですよ。念のため。ひとつは素直に見たままのドラマです。夢を利用した企業スパイがライバル企業の依頼で御曹司にアイデアを植え付ける話です。その結果として主人公のトラウマは治療され御曹司はポジティブな幸せを掴みます。

もう一つの解釈はそのポジティブ感からの発想で、そもそも全部嘘という解釈です。全部とは即ち「ライバル企業による陰謀に荷担するというミッション」そのもの、つまりストーリーの設定部分です。従ってサイトー始めジュノであるアリアドネ始めその他の人物たちには裏の真実があり、その真実とは主人公コブの治療を目的としたサイコセラピーの物語であるという大胆仮説になります。黒幕はもちろん亡き妻の父親です。

この説を採用するとサイトーとアリアドネに俄然注目することになります。そもそもサイトーの設定、ライバル企業潰しという動機の曖昧さもさることながら、ミッションへの参加を強要したり一緒に参加したり常に守護者のようであったりする不鮮明さがありまして、腹黒の企業人というより主人公の治療のためのきっかけを作り課程を見守る存在と考えたほうがむしろしっくりくるのです。
そしてここからが大変。アリアドネです。さきほど中断した話の続きにもなりますが、アリアドネはそもそも義父がコブに紹介した「お前より優秀な」という人物です。本当に学生でしょうか?何を学んだ人でしょう。心理学ですか、精神分析ですか、夢の研究ですか。夢に入り込んで潜在意識を探る研究ですか。

彼女の正体は、可愛い姿で油断させつつ心を開かせて潜在意識の奥底まで付き添い心の傷の原因と結果を本人に自覚させて治療する超優秀なサイコ・セラピスト、つまり夢探偵ではないのか、という驚くべき洞察が導き出されます。
なんとアリアドネの正体は夢探偵パプリカならぬ夢探偵アリアドネだったのです。
筒井氏も「企業スパイとサイコ・セラピーの違いだけだ」と思っておられましたが、そうじゃなく、この映画の真のテーマは企業スパイを隠れ蓑にしたサイコ・セラピストの物語だったわけです。まるっきり「パプリカ」です。

スパイ映画のフリをしたサイコ・セラピーの癒しの物語という解釈、これ実は解釈としてややこしいことを考えず素直に見たままのドラマを受け入れたとしても主人公コブと御曹司ロバートにとってのサイコ・セラピーの物語として完結していることがわかります。
この映画を見終わって何とも言えない感動を覚えるのは、単にスパイアクションを観た後のすっきり感ではなく、心の治療に成功した達成感を感じるからです。

アリアドネの小さな体、あどけない顔立ち、幼そうで実は超賢い頭脳、保護者のような抱擁力、一発で信頼を得る人徳、潜在意識への冒険と的確な助言および治療。彼女以外に誰がパプリカだというのか、完璧に夢探偵ではありませんか。
そもそも「アリアドネ」の名前からして大きなテーマ性を感じます。ギリシャ神話の女神の名前ですからね。誰かをどこかの迷宮から救い出した清らかで聖なる娘である女神アリアドネです。
この映画の真の主人公はアリアドネであり、夢探偵パプリカとほぼ同一の容姿や特徴を持っており、彼女の目的はコブの深層心理の迷宮に付き添い、トラウマの原因を示して彼を救済することであり、つまり「インセプション」はスパイドンパチの味付けを施したサイコ・セラピーの物語なのだという結論です。

というわけで冒頭でお約束したとおり、一周回ってまるっきり「パプリカ」であるという点に回帰してしまいました。

(そういや「パプリカ」はアニメ映画化されたようですが、未見にて本稿では小説「パプリカ」に限定して書いています)

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