ラヴィ・ド・ボエーム

La Vie de bohème
芸術家3人がパリを舞台にボヘミアン生活。アーティストの生き方がハードボイルドであることを端的に示すアキ・カウリスマキ1992年の傑作。
ラヴィ・ド・ボエーム

ボヘミアニズムは「定住せず自由奔放な生活を送り周囲の蔑視を気にもしない人々」という意味で、語源の「ボヘミア人」由来の言葉であるそうです。つまりボヘミアンっていうのは芸術家や作家、アウトサイダー、哲学者、思想家などの自由人を指すのであります。

「ラヴィ・ド・ボエーム」はアキ・カウリスマキが長い構想の末、世に放った本気のボヘミアン映画、フランスの作家アンリ・ミュルジェールの「ボヘミアン生活の情景」を真に原作とする作品です。
プッチーニの有名なオペラ「ラ・ボエーム」も同じ原作であるものの、アキ・カウリスマキは「原作を台無しにした」と批判、プッチーニへの怒りをこめて本作を撮ったそうです。
つまり「ボヘミアン生活の情景」の真の姿はパリに集う芸術家たちにあるというナンバーワン大事な事柄を描くことにかけて、プッチーニなんぞは足下にも及ばない、ボヘミアンを描けるのはボヘミアンたるわしのみだ。なんだ馬鹿野郎。というわけです。か。

そんなわけでボヘミアンは「気ままで思想信条に背かない哲学的生き方をしているアウトサイダーで芸術家で他人の目線なんぞ気にもとめない自由人」ということに加えて「他人に迷惑をかけて好き放題やらかして酒飲んで煙草吸ってドラッグやって思想哲学に埋没している変人で乱れていて犯罪者で社会生活不適応者のただのアホ」ということでもあります。まんま芸術家を指します。

あなたも私もボヘミアン。そうです。芸術家は基本ボヘミアンです。

「ラヴィ・ド・ボエーム」を観て、何より真っ先に思うのは「これ俺やん」でありまして、これを作ったアキさんには「おまえは俺か」と思うのでありまして、そして感情移入度は並外れたものとなりまして、もう動けなくなるほどの同一感を味わう羽目になります。

少し冷静さを取り戻し、少し似た世界を描いた映画について言及しておきますと、それはハーモニー・コリンの「ミスター・ロンリー」であります。あれも、ネガティブな意味で「これ俺やん」映画であります。
「ミスター・ロンリー」のほうはボヘミアンではなく、悲しい芸術家たちです。というか、ボヘミアンになりきれなかった社会不適応者集団であるところの芸術家です。ボヘミアンになり得るかどうかが、芸術家が生きるか死ぬかの瀬戸際と言えるかもしれないという、そういう比較として挙げておきました。実際は「ミスター・ロンリー」と「ラヴィ・ド・ボエーム」にはほとんど全く共通点はありませんので誤解なきよう。

さて「ラヴィ・ド・ボエーム」に登場する3人のボヘミアン、一人はアルバニアから来た画家、一人は家賃不払いで追い出された作家、一人は同じく暮らせない音楽家です。
画家をマッティ・ペロンパーが、作家をアンドレ・ウィルムが、音楽家をカリ・ヴァーナネンが演じます。

この三人とそれに関わる人々、彼女も含めて、すべてが愛おしい世界の住民です。格好をつけ気障に振る舞い酒を飲み煙草をくゆらせ芸術に身を沈め社会との乖離を無視し仁愛と自由に生きます。
面白くおかしく、ハイセンスで美的ですらあるボヘミアンたちの暮らし。とてつもない傑作、それが「ラヴィ・ド・ボエーム」でございます。

この映画も、魂突き刺さり系、しかも軽妙、しかも本質を突いていて、しかも面白く、しかもリアリティありすぎで、しかもカッコいい、尚且つ妙なドラマチック展開にも嫌みがありません。むしろそのドラマがすこぶる良かったりします。素晴らしい映画とは「ラヴィ・ド・ボエーム」のためにある言葉であります。いえもちろん他の素晴らしい映画のための言葉でもありますが。当たり前ですけど。

個人的に、アキ・カウリスマキの最高傑作、いちばん好き。と、認識してました。ずっと。
ル・アーヴルの靴みがき」を観るまでは。続く。

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コメント - “ラヴィ・ド・ボエーム” への3件の返信

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